また別の刀の全身押形の採拓を

こんかいは09シャーペンで下書きを。
ブログは毎日押形の事ばかりですが、研磨以外の時間に行っている作業です。
研磨のお仕事はしっかりと進めています。

私ビジネスマンではありませんし伝統職人なので自分から出る言葉ではありませんが、色んな方との会話の中で「ニッチ」という単語が出て来る事が結構あります。
それまで誰も注目していない分野を開拓する、素晴らしいですね!
で、ニッチ以下を指す言葉ってなんなんでしょか。あ、ニッチ以上ですか?!どっちだ。。
”押形”ってニッチ以下(以上)ですよね(押形をやっている方々すみません)。
もうだいぶ昔ですが、押形ばかり練習していたら刀匠さんから「玉置君押形なんか上手くなってどうすんの」と言われた事がありましたが、なんの反論の気持ちも無く私もそう思いました(今でも)。(その後かなりの年月が経ち押形で賞を頂いた時その刀匠さんから「凄いねおめでとう!!」と心からの言葉を頂き、ちょっと感動に近く嬉しかったのを覚えています)
私承認欲求もそれ程ないようですしSNSに投稿する事も無く、”今時誰も見ていない”と言われるブログ、しかも拡散力ゼロの独自サイトのブログに細々と投稿しているだけですが、それなりにネット投稿は楽しんでいます。(延々続けたくなる砥石投稿と同じで宣伝の気持ちゼロです)
以前はネットで「押形」と検索しても少数程度の他サイトかうちのHP位しか出て来ませんでしたが、今では書籍やらサイトやらと色々ヒットする様になりました。
しかし世間の認知度が上がったかと言えば、ほぼ変わらんでしょう。
変わったように見えている物は、幻想みたいなもんです。一部のニッチな人達が見てくれているだけです。(あっ)
今日シャーペンで下書き後に墨入れしながら自分の画力の限界を感じつつ、そんな事を考えました。
(いつも括弧書きをなるべく使わない様にと思っているのですが、今回めちゃ多くなりました。読みにくくてすみません。)





変わる

映りはかなり淡いので描き込まずに完成としました。描いた方が賑やかになり上手くなったような気分になれるのですが、その為にというのはちょっと違いますしね。

途中だった太刀に戻り続きを。
先日までとは驚く程に勝手が違います。
あもしかして、”勝手が違う”という表現はネガティブ方向の表現でしょうか。調べるのが面倒なのでそのままで行きますが、やり難いのではなく、見やすく描きやすくて驚きで。
古名刀の直刃調の微妙な揺らぎや、見えやすくはない刃中の豊富な働きを必死で見て描いていたので、少し時代が下がる大胆な刃文で、しかも差し込み研ぎで見やすくて。
単に見やすい刃文の太刀という事ではなく、一応自分が成長した面もありそうです。
再開してみたら刃文の形が違う箇所多数。。すみません、なんとか修正の方向で。
押形を始めて何年でしたか、もう20年くらいでしょうか。まだ成長出来るんですねぇ。諦めていたのに、驚きました。
また次に控えている刀がかなりの難物なので、それに活かせたらと思います。



佩裏の下書きをする

先日来の古いところの太刀、佩表の途中で佩裏の下書きに移ります。
片面づつ完成させるタイプの押形描きもいますし、部分ごと、数センチ単位でほぼ完成させながら進む人もいます。皆それぞれのやり方が。
シャーペンで下書きをする事もありますが今回は墨書きを下書に進めています。
全体の刃文が見える光線では帽子が見え難いのが普通の刀です。帽子だけまた別角度で照明をあてたり、自分があちこち移動し見える位置から帽子を描いて行きます。



その後の後

もう少し進みました。
映りは「鎬寄りに淡く」でした。一部地斑風の乱れ映りがありますが、かなり淡いので普通は見えないと思います。
所有者さんや研師によってはこの映りをもっと立てたいと思うかも知れませんが、そのままが良い事もあるわけです。

話は変わりますが、先日禅的鑑賞等に掲載の美濃刀数口を拝見しました。
山田英研師の差し込み研ぎが見事なのは、あの刀身に対する鑑賞眼から来ているのですね。
あれだけ細かい所まで見ていれば、それが見える様に研ぎたくなるのが研師です。安易に色々塗って見せる訳ではなく、多くを石使いで見せるのが素晴らしい。
また少しズレますが、最近ノサダの銘が下手だという話が世間で常識になりつつある事を知りました。
刀を見るのが研師スタートの私だからでしょうか、ノサダの銘を下手という感覚で見た記憶がありません。
我々現代人が文字を書く時は、せめて横棒の角度は揃えなければ下手字に見えてしまいますが、それでいえばノサダの銘は角度バラバラです。
私はノサダは末古刀の最高峰という位置づけが先にあり、最初からそういう視点で見た事がないからでしょうか、若い頃初めて本物のノサダの茎を見た時、良い銘だ、良い茎だと感動した事は覚えていますが、銘が下手とは思わなかったはずで。
幕末の書でしたか、ノサダの刀について、「悪筆を以て正真とす」的な事が書かれていた記憶が。その辺もノサダの銘は下手だという人のソースとなってしまっているのかも。

山田英研師の言葉をひとつ抜粋。(日本刀 本質美にもとづく研究) 
「(銘の美的価値) 普通真偽の鑑定はほぼ右のような一般的な古来の見方で間に合うが、これからは更に高く着眼して銘の文字の真価を鑑察しなければ徹底した鑑定は不可能であるし、又立派な文字の美的価値を鑑賞しないことは如何にも惜しい。古名刀の銘は金石文字の最高美と思う。優秀な刀ほど銘の書体が秀抜である。元来日本刀の銘は刀匠が自分の作刀に対して責任を明かにしたものである故に、極めて真剣な文字となっているのであって、この意味からも現今の書画の落款などとは比較にならぬほど厳粛なものである。武門の道義と生命のかかった日本刀の銘を鑑するに、現代世相の常識を以て簡単に律するようなことでは甚だ不適当といわねばならぬ。更に又銘の品位はその刀の品位と同じ高さであると見て差支えない。故に書としての美的価値の鑑察は最も大きな問題である。」

山田英研師はノサダの銘を折に触れて賞賛していますが、例えば禅的鑑賞にはこのように。
「形に執われず自由に転ずる筆意に禅機を感じ、達道の人の高い境地のみに通ずる非凡さがあり~」
銘一つとっても非常に奥深いものですね。

刃文を描く為、先ほどまで何時間も集中して数センチの範囲の連続で刀を見ていましたが、そんなものでは刀は見えませんね。
押形とはそういうものです。(あ、押形を否定している雰囲気の文面になってしまいました。そういう事ではありません。)

今日、現代の研師で一番好きな差し込み研ぎをする研師が研磨した短刀をお預かりしました。
やはり見事な差し込み研ぎ。多く見る気持ち悪い差し込み研ぎとは次元が違います。







その後

先日の梵字の太刀の途中↑から↓にチェンジする。

古い所の太刀。働き豊富。そういえば映りはどうだったか。。まだ刃文しか見ていなかったので地は意識に入っておらず。
押形は刀の勉強になるとは言いますが、要は意識次第です。押形なんぞやらなくても刀をしっかり見る目を養う事は可能です。



新作を

新作刀全身押形。働き豊富です。

現代刀はタガネ枕が立っていて銘を摺り出すのは容易ではありません。
石華墨を細かくしてもタガネの際まで責めるのはかなり難しく。
以前から思っていた事を初めて実践してみましたら、かなりの効果でした。



写経のような気持ちで

押形を行っている時は写経の様な気持ちで・・・と話す事がありますが、この太刀の梵字を写している時は正に写経を感じました。
三浦研師と何度か行ったことがありますが、お寺で写経をさせて頂くのは本当に気持ちの良いものですね。



押形オリジナルグッズを作って頂きました。

1つだけ美術館さんで、押形のオリジナルグッズを作って頂きました。
オンラインショップで購入可能です。
収益は1つだけ美術館さんの運営費になります。

入鹿實綱の槍がスリムサーモステンレスボトルにーー!
山鳥毛の押形をマグカップやポストカードやマイクロファイバータオルなどにして頂いていましたが、大好きな入鹿の押形がグッズになるのは他とは違う嬉しさがあります。
紀和鉱山資料館さんに嬉しい報告をしなくては~。

Sword or Soul オリジナルグッズ – 1つだけ美術館公式サイト (jimdofree.com)



映画「日本刀の美」

私もお手伝いさせて頂きました映画「日本刀の美」のスクリーニング&トークイベントが開催されます。

日本刀の美_J_flyer (nagano.art.museum)

受付終了まで僅かとなっております。ご興味のある方は是非!
(上映後、主演の大塚優希さん、大江利哉監督、河内一平刀匠らによるアフタートークがあります)

「日本刀の美」 スクリーニング&トーク | イベント | 長野県立美術館 (nagano.art.museum)