明るさなど

京都国立博物館にて、調査研究のため某太刀の全身押形採拓を行いました。
京博さんでの出張採拓作業は何回目でしょうか。。何度かおこなっていますが、前回からはもう何年か経過しています。
この何年かの間に、私の目は光量が少ない場での押形採拓が厳しくなっていました。
京博さんの作業スペースは決して暗い場所ではないのですが・・・。
刀の刃文を見るライトに加え、手元の光量を上げないと描いている刃文が見えないです。
大覚寺さんの太刀「□忠(薄緑)」の全身押形採拓は大覚寺霊宝館の前室で、光量がかなり少なく苦労しましたが、ビデオライトを2台持ち込んでなんとか作業をこなしました。
かと思えば先日の「稲葉江」では非常に明るい場所で採拓をさせて頂く事が出来たのですが、自然光であったためか、描いている刃文の見え方が普段とは異なり苦労をする事に。光の量もですが、質も大きく影響してしまうようです。
研磨実演や出先での研磨でも、光の質が普段と違い非常に苦しむ事があります。苦しむというか、ほぼ見えない事も度々で。これは年齢・視力に関わらずですね。研磨で”見えない”という場合、鑑賞とはまた別次元です。刃文の働き、刃の明暗、地鉄のタイプ等々、そういう物は見えていますが、それらとはまた別種の物が見えない訳です。それでも実演などならこなす事も可能なわけではありますが。
そう考えると出張での押形採拓は研磨実演より遥かにシビアです。手元が見えなければ苦労しますし、刃文が見えなければ作業は不可能です。
次回また続きの作業がありますが、ビデオライトを持って行きます。



京都府支部入札鑑定会

今回は当番でしたので、平安時代~江戸後期までの刀を集めさせて頂きました。

1号  刀 無銘(五条)      (重要刀剣)
2号  刀 額銘 国俊(二字国俊) (国指定重要文化財)
3号  刀  銘 肥前国忠吉
4号 短刀  銘 源清麿(年紀入り)(重要刀剣)
5号  刀  銘 平信秀      (重要刀剣)
         文久三年二月日

1号 五条
2号 二字国俊
3号 忠吉
5号 栗原信秀

この度も大切な御刀を京都府支部入札鑑定会のためにお貸しくださいまして、誠にありがとうございました。



全身押形 新しい時代の備前様式

刀、銘 備州長船住横山祐包(石切劔箭神社蔵)
    明治三年八月日

刀、銘 瑞泉堀井俊秀 (花押) 
    冨岡清行所持 昭和十二丁丑二月吉日

太刀、銘 加賀国住正峯 於傘笠亭作之 思飛鎌倉期 漂一文字上
     昭和丙午年二月

新々刀の地鉄を”鏡肌”などと呼ぶ事がありますが、大変よく詰んだ肌を表す言葉で、押形の祐包や祐永など横山一派にも見られます。
この地鉄により、匂い口が地肌に影響される事無く整った刃文を焼く事が可能となっています。もしかしたら、鎌倉時代の備前刀工達もこの様な地鉄を目指していたのかも知れません。
新しい時代の備前様式の刀には、単に整うだけではない、地鉄の深みを求めた作品が現れました。
人間国宝の隅谷先生の作品は地鉄に変化があり、また映り気のある作品も多く見られます。
そして平成・令和の備前様式はさらに進化し、地刃共に様々な魅力に富み、単なる復古刀とは違い個性的で味わい深い作品が生まれています。



全身押形 美濃刀、直江志津・御勝山永貞

刀 無銘 直江志津
大和手掻包氏が美濃国志津に移住し兼氏と改名、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍し一門が繁栄しています。
その二代目以降及び一門の総称が直江志津です。(刀の世界では「志津」「直江」と刀工名の様に使用していますが、志津、直江は元来地名です。)
直江志津に関連する呼称がいくつかありますので以下に整理します。
・志津  =手掻包氏美濃移住後の名称(志津三郎兼氏)。大志津。
・大和志津=兼氏の大和在住時代の名称(大和在住時代の作は全て無銘)。
      包氏に近い刀工で美濃移住に追従せず大和に残留し、
      その名跡を継いだ鍛冶の名称(広義大和志津。この後代包氏在銘作は現存します)。
・直江志津=兼氏の門葉は直江に移り住み栄えますが、二代以降の兼氏及びそれらの総称。直江。

刀 銘 美濃御勝山麓住藤原永貞 
    於江戸青山作之 文久元年十一月

毎年の重刀審査発表を見ても分かりますが、新々刀の重刀合格の壁はかなり高いものです。
そもそも、新々刀の中で重刀に合格できる可能性がある刀工は限られているという事は、過去の指定品から理解できます。
代表的なところをあげると、清麿、栗原信秀、固山宗次、大慶直胤、左行秀、薩摩新々刀各工などでしょうか。
その次に各国の新々刀有名諸工が続きますが、その一人が御勝山永貞です。
永貞は作刀の技量で見れば代表工として上げた工人達に劣るとは思いません。非常に上手い刀工です。



全身押形 朱銘兼基

朱銘、兼基 八十一翁松庵(花押)

しばらく前の刀剣美術「名刀鑑賞」に来国光の松庵朱銘がありましたので、以下その解説を引用させて頂きます。

『「松菴」は明治時代の故実家で、東京帝室博物館(現東京国立博物館)の学芸委員を務めた稲生真履(司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』の登場人物で、海軍軍人として日露戦争時の日本海海戦などで活躍した秋山真之の義父)のことで、刀剣をはじめとして古美術品に造詣の深い人物として知られており、他にも同氏が極めたものが幾点か確認され、本作の極めよりして同氏の炯眼の程が窺われるものである。』

三本杉基調ではありますが出入りは大人しく、頂点の尖り具合も優しい互の目です。元から先まで揃った形とはなず、三本杉の祖型的刃文となっています。地錵が細かく付き地景が多数確認できる板杢で非常に良質な鉄。
孫六と言いたくなる調子ですが、身幅若干狭めの大人しい造り込みであり、鋒も詰まり気味である事などを考慮してこの極めとされたのでしょうか。大変勉強になる良い極めだと感じます。

この様に締まった美濃の互の目を墨筆で描くのは結構難しく、先日の孫六も苦労しました。



全身押形 善定兼吉

刀 銘 兼吉(京都国立博物館2018年度館蔵品修復事業に於いて研磨)

京都府支部入札鑑定会が現在の文化芸術会館に移る前、京都私学会館で行われていた当時、鑑定刀に兼吉が出て来ました。その時拝見した兼吉が京都国立博物館に入る前のこの刀です。もう17,8年ほど前でしょうか。。
1の札で、絶対当たりだと思い「当麻」と入札し「イヤ」だった事をよく覚えています。私が過去に拝見した美濃物(志津系以外)の中で3本の指に入る好き度の刀です。
差し表の腰にある小さな尖り刃に気が付けば入札の選択肢は一つ、兼吉です。



全身押形画像作成

現時点で手元にある全身押形を全てこの様な画像に作成中です。
全体にたわみなどがありますが、自然で嫌いじゃないです。

フルサイズ



当麻と尻懸

度々ブログに書いて来ましたが、私は入鹿も好きですが当麻も大好きです。
その当麻ですが、相州行光に非常に似た作風とされ、鑑定では当麻とするか行光とするか、判断の難しい物も多いといわれます。
刀屋さんの「当麻」の商品解説などに、”現在は当麻の極めだが重刀審査では行光への極め替えもあり得る”という様な文言も散見します。確かにその通りとも言えますが、この様な解説は相州物の人気によるところでしょう。私などは大和物好きなので当麻のままで良いのですが。。

さて、無銘の極めでは当麻は行光に紛れるわけですが、それは主に刀の話であって短刀ではまた別の一派に紛れる事になります。短刀で迷うのは「当麻か尻懸」です。
尻懸は互の目がちだから違うと思われるかもですが、実はそれ、主に長い物の場合であり短刀の判断は大変難しいのです。
古い刀剣美術で薫山先生が紛寄論(著者不明・慶長頃)の釈文を連載されていますが、刀美91号に「尻懸の事。是も多分直焼刃にて、当麻と互いの出来不出来にて紛るゝ作なり。しかしながら当麻程は地つまらずして、塩相うすく、位の劣るを以て尻懸と知べし。但刀には直焼刃の内に先尖りなる地足間遠に入たるものあり。」とあり、尻懸は当麻に紛れると論じられています。
紛寄論はその名の通り「紛れやすい作を寄せて論じた」本ですが、やはり当時から当麻と尻懸は紛らわしい物とされていた事がわかります。

生ぶ無銘短刀を当麻や尻懸と見る場合、決め手の一つとなるのが茎尻です。
当麻・尻懸短刀は茎尻含め茎姿が特徴的な物となるわけですが、どれもが完全に一様とは言えず、個体ごとに多少の差があります。
その茎尻は文字にすると様々な表現となり、例えば重刀図譜では当麻・尻懸短刀の茎尻は、入山形、入山形(片削風)、片削形、片山形、剣形、剣形風などですが、これらは実際の見た目には大きな違いではなく微妙なものです。
茎姿が特徴的な当麻・尻懸短刀、その両者に、また各個体によりに微妙な違いがある中、茎から当麻か尻懸かを判別する事が出来れば良いのですが・・・。
「尻懸の茎尻は棟方の傾斜が当麻よりもなだらかだ」とはいうのですが、尻懸短刀を沢山見てみるとそうとも言えず、棟方の傾斜が急な物も多数存在します。
また第66回重刀では「ヒヤウエノデウ 文和二(以下不明)」の短刀が「当麻」として合格していますが、これは尻懸の茎尻とされる棟方の傾斜がなだらかなタイプです。
(兵衛尉は当麻派刀工が継承した名で、銘鑑によると当麻派の、国行、長有俊、友清、友綱、友俊、友長、友行らが兵衛尉を名乗っています。
また尻懸派の刀工を銘鑑で調べますと則長以外にも、家光、助国、助長、助永、助成、助延、助平、助弘、助吉、長則、長光、則氏、則国、則貞、則真、則耀、則直、則成、則弘、弘直、弘林、行瀬らがありましたが、兵衛尉を名乗る者は一人もおりません。)
この様に茎尻はあくまで決めての一つでしかなく、それだけでどちらかを決定する事は難しいのです。やはり茎を含め上身の姿や出来など総合的な判断しなければならないようです。
最近大和物と思われる無銘の短刀を複数窓開けする機会が有り、以前から思っていた当麻と尻懸を見分ける難しさを改めて実感した次第です。

参考押形 第28回重刀 無銘当麻 茎尻入山形(片削ぎ風)

参考押形 第25回重刀 無銘当麻 茎尻入山形


稲葉江の全身押形を

調査研究用として、出張で「享保名物 稲葉江」の全身押形を採拓させて頂きました。
「江」を手に取ったのは過去おそらく10口程度と思いますが、この稲葉江の出来は格別です。地刃の冴えは尋常ならざるもの。
刀美名刀鑑賞では「彼の作中最高の出来映えと健体さをもって優品の多い同工極めの中でも最高峰に位置するものである」とありますが、その通りだと感じます。
出張での押形採拓は、良い押形を作成する事よりも大切なのが、事故無く作業を終える事。
国宝の押形採拓で刀の近くに危険性のある硬い物を置きたくはありません。
今回も木硯が役立ってくれました。