図録には押形も

手持ちの展覧会図録や蔵品集のうち三十数冊程度をざっと確認したのですが、刀身写真と合わせて押形も多数掲載しているものは7,8冊程度でした。
思ったより多くてちょっと驚きです。
「全身写真と部分写真。茎の部分写真は実物に近い色合で。地鉄がよく見える部分写真と上手な部分押形。」これが揃う図版が理想です。が、諸事情あって実現は難しいですね。

「虎徹と清麿」の図録は押形無しですが、”この写真”を一枚入れる事で押形が必要なくなります。
この一枚の力は絶大ですね。



晴れた研ぎに

少し前、埋忠展に。
楽しみにしていた図録。最近の図録は素晴らしい論文が掲載される事も多く、それ一冊でもう全部OKな感じで非常にありがたいです。
大鑑並といえば、そんなもんじゃないと叱られそうですが、それ程の価値があると思います。

展覧会には山城物、大和物、備前物、相州物、北国物など色々並びますので、比較しやすいですね。
本当はそんなつもりではないのですが、嫌でもそうなってしまいますので仕方ない。
そうなるとやはり、備前物の晴れやかな鉄質が一際目立ちます。
晴れた研ぎが求められる事がよく分かります。



埋忠刀譜

 埋忠刀譜複製プロジェクト

「埋忠展」開催記念 名刀の記録がよみがえる!押形集『埋忠刀譜』複製プロジェクト

埋忠展開催を記念して「埋忠刀譜」がよみがえります。
当然埋忠銘鑑は持っているわけですが、やはりこちらも欲しいですよね。
一番にポチろうと思っていましたがうっかり忘れていて少しだけ遅れてしまいました。



日刀保京都府支部10月入札鑑定会

コロナの影響で2月以降の鑑定会が休止になっていましたが漸くの開催です。
今回は私が当番で、久々の鑑定をより楽しんで頂けるように、8口の鑑定刀とさせて頂きました。

一号刀 角津田
二号刀 そぼろ
三号刀 長義
四号刀 加州真景
五号刀 景光
六号刀 福岡一文字助弘
七号刀 来国行
八号刀 古備前恒遠

1号  刀  銘 越前守助広   《柏原美術館所蔵品(旧岩国美術館)》
          刃長 二尺四寸一分 反り 三分
         (江戸時代前期 寛文頃 1661)

2号  刀  銘 摂州住藤原助広(そぼろ)
          刃長 二尺二寸四分 反り 七分
         (江戸時代前期 慶安頃 1648)

3号 太刀  銘 備州長船長義作 《柏原美術館所蔵品(旧岩国美術館)》
         康暦元年十二月日
          刃長 二尺七寸三分 反り 一寸二分
         (南北朝時代末期 康暦 1379)

4号  刀 無銘 加州真景 / 左吉貞
          刃長 二尺一寸四分 反り 二分五厘 
         (南北朝時代中期 貞治頃 1362)

5号 太刀  銘 備前国長船住景光《柏原美術館所蔵品(旧岩国美術館)》
          年□月
          刃長 二尺二寸七分 反り 四分六厘
         (鎌倉時代末期 嘉暦頃 1326)

6号 短刀  銘 助弘(福岡一文字)
          刃長 八寸七分   反り 僅か
         (鎌倉時代末期 正安頃 1299)

7号 太刀 無銘 来国行     《柏原美術館所蔵品(旧岩国美術館)》
          刃長 二尺三寸八分 反り 八分二厘
         (鎌倉時代中期 康元頃 1256)

8号 太刀  銘 恒遠(古備前)
          刃長 二尺四寸四分五厘 反り 六分
         (鎌倉時代初期 暦仁頃 1238)

今回も鑑定会にご参加頂いた皆様には鑑定刀に対し非常に丁寧な扱いをして頂きまして誠にありがとうございました。
また、この度も大変貴重な御刀を鑑定刀としてご提供頂きました皆様には心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。



薄緑

太刀、銘 □忠(国指定重要文化財 旧嵯峨御所 大本山 大覚寺蔵/京都国立博物館寄託収蔵品)
  刃長 二尺八寸九分 反り 一寸二分三厘

源氏の重宝と伝えられ大覚寺に蔵する太刀です。(薄緑結縁プロジェクト
銘の一字目が朽ち込み判読出来ず、二字目に「忠」とあります。
作風から古備前刀工の作品と考えられていますが、この一字目については長く議論されるところです。
古備前で二字目に「忠」を使う刀工は、家忠、近忠(現存作無し)光忠(長船同人か)などが上げられますが、いずれも似通った「忠」を切り、未だどの刀工の作かは特定されていません。

押形からも分かりますが、表裏の鎬筋が歪む箇所が複数あり、これは樋中の深錆を部分的な荒砥研磨で除去した結果生じたものです。通常の錆を部分研磨で除去しても、ここまで鎬筋を歪める事はなく、相当な深錆であったことが窺われます。

銘の一文字目の朽ち込みは鉄鎺が原因ともいわれますが、その位置は鎺台尻付近よりさらに低く、腰高な古様式の太刀鎺であったとしてもいささか低く感じます。また朽ち幅が広く、例えば厚い革鐔や唐鐔の幅に近い印象です。
(鉄鎺は茎や刃区に悪影響をもたらす事が多くあったと思われ、現在では使用される事は殆どありません。木鎺も湿気や丁子油が影響し鎺下を大きく錆びさせる例を度々見ますが、革鐔も傷むと湿気を持つ状態となり、茎を錆びさせる可能性があります。)

茎全体をみますと銘付近から目釘穴下にかけて、茎の刃方が槌で叩かれ佩裏側に打ち返されており、押形採拓で紙が浮き拓写に苦労しました。これは打ち返しが目的ではなく、おそらく茎幅を狭めるために叩かれたものと思われます。
俵鋲を使用する太刀拵に入れるため、鑢で削り雉股に加工した茎がありますが、この様に槌で叩くなどの工作で狭めた茎も稀にあります。

仮にこの太刀に掛かる鐔が革鐔だったとすれば黒漆太刀拵などですが、本太刀の格式からすると俵鋲と唐鐔の付く衛府太刀拵などがより相応しく、いつの時代かは不明ですが、その様な格式の高い拵に入ったまま、人知れず朽ち進んだ時期があったのかも知れません。

さて刀身の方ですが、板目が少し肌立ち、焼き出し映りから全身に渡る明瞭な乱れ映りを見せますが、暗帯部が比較的狭く、刃に迫る低い位置の映りとなります。教科書通りに見るならばこの低い位置の映りは時代が下がる物ですが、先日UPした重文の助包もそうであるように、古備前や古一文字など平安末期から鎌倉前期の太刀にも低い位置の映りは多数存在します。また佩表の区を僅かに焼き落としますが、古備前物には度々同様の作例が見られます。
本太刀は刃長が二尺八寸九分と長大で重量は924.5g。正に重文にふさわしい名品ですが、焼き刃バランスから察すれば元はさらに豪壮で、先幅広く刃三つ角が張り、一段と武張った姿であった事が想像されます。

旧嵯峨御所 大本山 大覚寺



薄緑結縁法会

「旧嵯峨御所大本山大覚寺」に於きまして薄緑結縁法会(うすみどりけちえんほうえ)が執り行われ、出席させて頂きました。
「大覚寺所蔵文化財保存修復事業」の一環で『太刀「薄緑(膝丸)」結縁プロジェクト』として勧進によって浄財を募り、大覚寺様ご所蔵の「太刀、銘 □忠(薄緑/膝丸)国指定重要文化財」の箱、鎺、白鞘の新調等を行ったもので、鎺は中田育男師、白鞘は森隆浩師にお願いし、私は御太刀薄緑の全身押形採拓、無銘太刀、無銘脇差、無銘薙刀の研磨を担当させて頂いた次第です。

新調された薄緑の内箱には今回ご参加くださった皆様のお名前が記されております(スタッフ名以外の部分にはモザイクを入れさせて頂いております)。
立派な箱、鎺に白鞘が完成し、より良い保存環境で後世に伝えて行く事が出来ます。
ご協力頂きました皆様、本当にありがとうございました。

旧嵯峨御所大本山大覚寺HP



特別展「埋忠〈UMETADA〉桃山刀剣界の雄」

今月10月31日(土)から12月14日(月)まで、大阪歴史博物館に於きまして、『特別展「埋忠〈UMETADA〉桃山刀剣界の雄」』が開催されます。
私、多分この10年で一番楽しみにしている展覧会です。

前期後期で入れ替えありです。
コロナの関係で、チケット日付指定等があるようですので、HPにてご確認ください。

『特別展「埋忠〈UMETADA〉桃山刀剣界の雄」』HP
 展示リスト
 大阪歴史博物館



秋季特別展「北陸の古刀」

福井市立郷土歴史博物館にて秋季特別展「北陸の古刀」が開催されます。
展示作品リスト

 今から千年余り昔、平安時代後期に生まれた日本刀は、はじめ大和・山城(現在の奈良県・京都府)といった政治の中心地や備前(現在の岡山県)・奥州(東北地方)といった良質の鉄産地に近い場所で製作されました。しかし13世紀頃から、海運など流通が発達したことにともない、原料となる鉄が他の地方でも入手できるようになったことで、全国各地に刀工が分散し、新しい刀剣の産地ができたと考えられます。
 越前(現在の福井県北部)ほか北陸地方の各地でも、南北朝時代以来、いくつもの刀工集団が活躍しました。「北国物(ほっこくもの)」と呼ばれた彼らの作品は、一部を除き備前や相州など、古来の刀剣産地の作品と比べて知名度も評価もあまり高くない傾向にありますが、独特の地鉄の風合いとすぐれた技術で、時の権力者の愛蔵品となったもの、近代以降、美術的価値の高さを認められ文化財指定等を受けたものも数多くあります。
 本展では千代鶴派、藤島派、敦賀鍛冶など中世の越前で活躍した刀工を中心に、近世に隆盛する新刀にもつながっていく北陸の刀工たちの足跡をたどっていきます。
開催概要  ※新型コロナウィルス感染症の影響等により、予定を変更する場合がございます。
会  期  10月10日(土)~11月23日(月・祝)

開館時間  午前9時~午後7時、11月6日以降は午後5時まで
      ※会期中の休館日なし
      ※短刀 銘 吉光 名物秋田藤四郎(重要文化財)の展示は会期前半、11月1日(日)までとなります。

会  場  福井市立郷土歴史博物館 観 覧 料一般700円、高校・大学生500円、中学生以下無料
     ・70歳以上の方、身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の交付を受けている方とそ
      の介助者の方は、無料でご覧いただけます。
     ・ 特別展観覧券で、平常展示および養浩館庭園もご覧になれます。
     ・友の会優待観覧券で観覧できます。

主  催  福井市立郷土歴史博物館
      ※本事業は文化庁令和2年度地域ゆかりの文化資産を活用した展覧会支援事業補助金の交付を
       受けています。

共  催  福井新聞社 
後  援   FBC福井放送、福井テレビ、FM福井、福井ケーブルテレビ、
      さかいケーブルテレビ、福井街角放送

「北陸の古刀」出陳刀 銘、信長


百錬精鐵 刀匠 月山貞利展 

会期:令和2年10/28(水)~11/3(火祝)
会場:日本橋髙島屋S.C. 本館6階美術画廊
   〒103-8265 東京都中央区日本橋2丁目4番1号
    TEL:(03) 3211‐4111
※最終日は午後4時閉場

(以下、月山日本刀鍛錬道場HPより転載)

月山鍛冶は鎌倉時代初期の鬼王丸を祖とし、奥州月山の麓で鎌倉、室町期に栄えました。月山鍛冶の最大の特徴は、刀身全体に波のように流れる「綾杉肌」で、月山鍛冶の鍛えた刀身に顕著に現れることから、月山肌とも呼ばれます。江戸時代に入ると月山鍛冶は様々な要因から影を潜めますが、松尾芭蕉の「奥野の細道」に「此国の鍛冶、霊水を撰てここに潔斎して剣を打、終に月山と銘を切って世に賞せらる」とあるようにこの時代にもその名は広く知られていました。

幕末の月山貞吉もこうした鍛冶の1人でしたが、天保期に大阪へ移住し月山鍛冶の再興を果たし、大阪月山の基を開きました。その後、月山貞一(帝室技芸員)、月山貞勝、月山貞一(重要無形文化財保持者)の各時代に様々な苦難を乗り越えながらも、月山貞利によってその尊い技術は現代に受け継がれています。

本展では約八百年続く綾杉鍛えの作品や月山家に伝わる刀身彫刻や日本刀各伝の作品を一堂に展示致します。また後継の刀匠月山貞伸の作品も同時に展示致します。

刀匠月山貞利が鍛え上げた渾身の最近作をどうぞご高覧下さい。

※期間中は月山貞利、貞伸のいずれかが在廊致します。皆様のご来場を心よりお待ち致しております。



則重

刀、無銘 則重

ブログでの全身押形紹介、研磨記録ページでは未公開の物ですが、今回で50回目になりました。
いつも丸筒に入れて保管していますので何枚あるか数えずスタートしましたが、こんなに採拓していたのですね。。
今回は鎌倉末期、越中の刀工則重です。

則重は正宗十哲の一人に数えられている刀工ですが、現在では新藤五国光の門人であり行光とほぼ同時代、同門の郷義弘や正宗の先輩格と考えられています。
短刀には比較的多くの在銘品が現存しますが太刀では数口しか確認されていません。
相伝上位の中でも一際異彩を放つその出来は、正宗以上に錵の変化が激しく、松皮肌と称される独特の肌合いを特徴としています。
今回ご紹介の刀は松皮ごころが然迄強くなく、多くの則重に見る刃錵が地に散り湯走りとなる作風とならず、錵は刃先に向かい降り注ぎ、煌めく刃肌となります。
本間先生が則重について「古伯耆或いは古備前にも結ばれる枯淡な刃文がある」と解説されていますが本刀はこれにあたり、若干沈み気味になりがちな則重にあって地刃ともに明るさが際立つ出来となっています。