鞍馬関

鞍馬関の刀の全身押形を採拓していて疲れてしまい、夕方お散歩に。
せっかくなので叡電に乗り鞍馬に行きました。

鞍馬寺。何年ぶりでしょか。

青い紅葉が綺麗です。叡山電車では秋の紅葉のライトアップが知られていますが、新緑のライトアップもしているそうです。
狛虎。鞍馬寺の狛犬は虎。

鞍馬街道。
町を流れる水がやけに綺麗だと思ったら、鞍馬川から水路で引いてるんですね。
賀茂川の水を引く上賀茂社家町や高野川の水を引く上高野の町並みが大好きで、こういう町のお散歩は落ち着きます。

「鞍馬関」とは言いますが、関から鞍馬に移住したのか、山城鍛冶が関に修行に行き再び鞍馬で作刀したのか等、詳細は不明のようです。
鞍馬関には彫物のある作品も多く、近年の重刀にも濃厚な彫物のある鞍馬関の指定がありました。
この鞍馬の地のどの辺りに鍛冶場があったのでしょう・・・。焼き入れの水は当時もこうして鞍馬川の水を引いていたのかも知れません。
因みに、鞍馬寺竹伐り会式(たけきりえしき)で使われる山刀をまとめて拝見した事がありますが、確か鞍馬関鍛冶の作品は無かったと思います。
刃長は1尺4寸程度。超大段平とでも言いましょうか、身幅は尋常ではありません。使用の度に道具としての研ぎが繰り返され、切り刃なのか平造りなのかよく分からない状態の物が殆どですが、茎からみて元は平造りと思われます。中にはフクラが強く付き、先が張ってマチェットに近い形状の物も。刀鍛冶の銘と分かるものでは山城守歳長、若州次廣、信濃守信吉らがありましたが、これらは刀鍛冶が製作した祭具としての貴重な作例です。



真雄・清麿・行宗/兼虎・信秀

刀 銘 信濃国真雄
信州赤岩村の名主、山浦治右衛門昌友の長男として生まれる。
正則、寿守、完利、寿昌、正雄、真雄、寿長などの銘を切り、弟に清麿がいる。

小刀 銘 信州住真雄

短刀 銘 清麿
真雄の弟。
正行、環、秀寿、清麿の銘を切る。

短刀 銘 信州住行宗(花押)
     嘉永六年二月日
真雄の長男。
行宗、兼平、兼乕、兼虎などの銘を切る。

色々拝見 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
この行宗を最初に見た時のブログです↑
行宗について詳細↓
信州住行宗(兼虎初期銘) | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)

短刀 銘 信州住行宗
     嘉永五年八月日
刃長七寸三分。行宗銘作品の出現はこの短刀で何口目でしょうか。数少ない初期行宗銘の一つです。

短刀 銘 兼乕

短刀 銘 兼虎

短刀 銘 升龍軒兼乕
     枩代臣 

刀 銘 平信秀
    文久三年二月日
清麿門。
京都で鏡師をしていた時代があり、伏見稲荷大社には信秀製作の鏡が残されています。



京都国立博物館「文化財修理の最先端」

京都国立博物館「金工 1F-5展示室」にて『文化財修理の最先端 金属工芸』が開催中です。
会期は2024年6月18日(火)~ 8月4日(日)

刀剣展示作品リスト

 刀  銘 長曾禰興里入道乕徹 (研磨 本阿彌日洲/人間国宝)
太刀  銘 有綱        (研磨 藤代松雄/人間国宝)   
太刀  銘 備州長舩則光    (研磨 小野光敬/人間国宝)
      享徳二年八月日  
 刀 無銘(名物島津正宗)   (研磨 本阿彌光洲/人間国宝)
太刀  銘 助久        (研磨 藤代興里)
短刀  銘 日州住信濃守国廣作 (研磨 玉置城二)
      天正十九年二月吉日  
薙刀  銘 大和尻懸住則長作  (継茎 宮本包則/帝室技芸員)
      切付銘宮本能登守包則継之

名人研師の仕事と共に私の研磨も展示して頂き、恐悦至極に存じます。
展示品中個人的には日洲先生の乕徹の研磨が至高の極みと感じます。

短刀 銘 日州住信濃守国廣作 (令和4年度 京都国立博物館修理事業に於いて研磨)
     天正十九年二月吉日




6月入札鑑定

1号 刀
踏ん張り付き、腰反り、先も反る。刃線張らず若干細め。鎬高い。
よく詰み良い鉄。備前の映り。種々の互の目、少し腰開く。砂流し目立つ。帽子一枚で返り深く焼き下げ。
表裏の腰に梵字と蓮台。
出来の事は記憶に無いが、この表裏の変わった位置と組み合わせの彫りには覚えがある。が、何だったか思い出せず。。
末備前だと思うがそれほど末までは下らず中期だと思う。
祐光と入札。

2号 刀
反り浅。地強い。錵出来の互の目、尖り交じり。焼き出し無し。裏に打ち寄せ合う互の目2箇所。全体に小詰む。帽子丸で返り太く長めで倒れ気味。
いつもより少し荒いがこのタイプは親国かと思う。
親国貞と入札。

3号 脇差
造り込み尋常。良い地鉄で平地から鎬地まで同質。差し表の平地に地斑風あり。中直刃。横手下より焼き幅広くなり帽子深く先下がる。
匂い口のラインが硬く止まらないが地斑風なので肥前だと思う。代別は分からない。全体の雰囲気は3代の気がするも確率で選ぶ。
近江大掾忠広と入札。

4号 脇差
幅広で反る、大鋒(10㎝超か)。棟先も反り、力強い姿。
一見無地風の地鉄だが地錵が付き良質。頭の出入りは少なめの互の目丁子。所々荒錵。丸留めの棒樋。
苦手なのが来ました。。多分固山なんでしょねぇ・・・。
帽子の先が昔研磨した長信の匂い口に似ている気がする。
高橋長信と入札。

5号 脇差
平身。応永備前姿。幅狭め。フクラ枯れるも後天的。応永杢。淡く棒映り風。互の目で総じて焼き低め、小詰む。棒樋。
長船師光と入札。





1号  刀 銘 備前国住長船宗光
        明応六年八月吉日
2号  刀 銘 和泉守国貞(真改若打ち)
3号 脇差 銘 肥前国陸奥守忠吉
4号 脇差 銘 固山宗次作之 天保十年八月日
        於武州千住太々弐刃土壇拂 切手山田五三郎
5号 脇差 銘 康光

全部同然というのも珍しい。
後で確認すると1号が出ていたのは2022年の鑑定でした。その時も同じく祐光に入れていたという・・・。
同じ間違いを繰り返すよくあるパターンです。
入札鑑定記 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)



山浦系の

先日の真雄の小刀に続き兼乕短刀。親子です。

短刀 銘 升龍軒兼乕
     枩代臣
升龍軒銘は非常に珍しく現存品はほぼ確認されていない貴重銘だそうです。
関西に居るからか私の環境がそうなのか、山浦系の作品に出会うことは滅多にないのですが、色々御縁を頂き最近だと清麿×2,行宗、升龍軒銘以外の兼乕×2等の研磨や押形採拓をさせて頂きました。また準備が出来ましたらUPさせて頂きたいと思います。
京都支部鑑定に山浦系が出た事はほぼありませんのでやはり関西には少ないのかもしれません。

刃文にパステルは一切使わないと決めてしばらくたちます。どの押形が最後だったか・・・。
完全に墨だけで描き切るほうが断然時間が掛かりますが、やはり墨だけの方が好きです。
(写真に撮ると刃文がかなり濃く写りましたが実際はもう少し薄い色に仕上げています)



小刀の押形採拓2

これで諦めたらダメでしょという事で2枚目を採拓。
久々にカーボンを使い再チャレンジしました。

石華墨
カーボン

色むらを抑えるのが難しいのと長期保管で変色する事もあり、長らくカーボン紙での採拓はしていませんでした。
右のカーボンの方が銘が断然よく見えます。(鎬を越えている箇所は銘の一部が鎬を越えているからです)



小刀の押形採拓

小刀の押形を採拓する事に。考えてみれば小刀は初めてです。
重ねが無いので通常の楔形の台では輪郭の採拓は無理と思われ、シリコンで刀身に完全に隠れる台を作り刀身を浮かせます。

研ぎ崩れて鎬が無く銘も薄いです。石華墨での採拓ではおそらく銘は出ないでしょう。
インクなら出るでしょうか?!インク採拓の経験が無くちょっと分かりません。
小刀は茎の棟区部分が二段構造になっているのでここをどう摺り出すか・・・。
小刀の押形を書籍で確認してもやはり茎棟区部が摺れないので空白になっています。なんとか摺り出したいですが。。

銘が有る事はなんとか確認出来ますが、かなり厳しいですねぇ。。
茎の鎬が高いので重りを外し紙を平面にすると茎幅が実際より広くなってしまいます。
普通の鎬造りや菖蒲造り等は茎から上身へ鎬が通っており、実際の身幅より押形の方が広くなったとしても刀身全体にその現象が起こるので見た目の違和感はありません。しかし小刀は茎だけに鎬があり、押形の棟角の線にずれが生じてしまいます。
二段になった区を摺り出したうえに幅が広くなってしまう現象を解決する事は無理そうで、この辺は曖昧に処理するしかないですね。



雲林院短刀

少し前ですが雲林院(うじい)の両刃短刀を拝見しました。
2012年の支部鑑定に雲林院包長の両刃短刀が出た事がありそれと同一かと思いましたが、事前に刃長をお聞きすると7寸程と小振りとの事。
確か鑑定に出た包長は大振りだったイメージで。。
結局それは私の完全な記憶違い。まぎれもなく当時支部鑑定で拝見した雲林院包長の両刃短刀でした。

銘はよく切れた細鏨で勢州雲林院住包長。裏年紀は文亀三年八月日。
長年のお手入れが行き届き鉄味抜群の茎。在銘品の良さを改めて感じさせてくれます。
平成24年 京都支部新年恒例一本入札 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
当時の入札鑑定記にも書いていますが、杢目と柾目が美しく、室町期の最上質の鉄です。
所謂本国物ではありませんが、皆に大切にされて来た事がよくわかる清々しい名品でした。



無題

少し前に美濃物の皆焼刀2口の全身押形を採拓しましたが、その前後、綾小路太刀、大和鎌倉期在銘太刀、大和南北朝期在銘太刀、大和応永頃の在銘刀、清麿、則重と全身押形を採拓。
描き手によって描きやすい刀、難しい刀と色々あると思いますが、清麿は墨派の人にとって難しい刀ではないかと感じます。刃文の形こそ信秀に似ていますが刃文描写の難易度は別次元です。