本能寺「名刀展」のチケットを差し上げます

本能寺、大賓殿宝物館にて開催中の「名刀展」チケットを頂きましたのでご希望の方にさしあげます。
当ホームページ上部メニューの「お問い合せ」の入力フォームからご連絡頂きましたらお送りします。
お送り先のご住所とお名前をお願いいたします。
先着9枚です。
本能寺「名刀展」 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)



室町時代の皆焼

美濃刀全身押形の続きです。
刃文描写は差し表に入りました。
そういえば先日ご自身も押形をされている方に「刃文はどこから描き始めますか?」とたずねなれました。
私は差し裏の刀身中央から描く事が多いのでその様にお答えしましたら驚かれていて。
言われてみれば確かに意外なのかもですが、私と同じ人も結構居そうな気もします。
因みに鉛筆やボールペンなどで物打先の簡単な図を描く時、私は昔から必ず横手から描くのですが、もしかしたら研師には多いのかも。



美濃刀

美濃刀は現存数が多いわりに研磨する機会は少なく、手元に残る全身押形にも美濃刀は殆どありません。
今回は美濃の同一銘の刀を同時に採拓。
同一銘を連続して採拓するのは以前採った忠吉大小以来だと思います。

今回の刀、銘は同じですが銘振りや茎仕立てに多少の違いがあります。ただ独特な雰囲気を持つ作風には共通性を感じ・・。
同人なのか同一工房作という事か。。



石切劔箭神社長刀

大太刀(長刀)石切劔箭神社蔵 (2023年、調査記録のため全身押形を採拓)  
 銘 金房左近尉政重作
   奉納御神前御太刀河州同郡大江木積牛頭天王御寳前明暦四戊戌天正月廿三日 摂州大坂住人竹屋五郎兵衛尉藤原正吉敬白
 刃長 99.8㎝(三尺二寸九分) 反り 2.6㎝ 全長170㎝超

(以下、石切劔箭神社様のお許しを得て、神社内での展示キャプションを転載させて頂きます)
毎年、当神社の夏季大祭では神輿のお渡りが行われる。渡御列には、御神宝を捧持する所役があり、この太刀は長年神輿渡御の渡御宝物として大切な役割を果たしてきた。
刀工名は「金房左近尉政重(かなぼうさこんのじょうまさしげ)」。東大阪とは生駒山を挟んで隣の奈良に栄えた金房派の刀工である。金房一派は、鎌倉時代の大和五派(保昌、手掻、尻懸、千手院、当麻)に属さない刀工集団で、室町時代末期に大和の金房カ辻辺に隆盛を見た一派とのこと。宝蔵院の僧兵の為に十文字槍や大ぶりの槍を作っていたようだが、大太刀はあまり見られない。
銘文から室町時代末に政重の手によって作られた大太刀を、大坂住人竹屋五郎兵衛が明暦4年戊戌(1658年)に木積宮牛頭天王社(当社は室町時代から江戸時代中頃まで京都祇園社より牛頭天王素戔嗚尊を勧請し、饒速日尊、可美真手命と合わせ三柱を御祭神としていた為、その時代は木積宮牛頭天王社と記される事が多い)に奉納したものであることが分かる。
室町時代末期には、このような大太刀、長巻が実戦刀として用いられることは少なかった為、作刀されたものの武具として使用されないまま保管されていたのではなかろうか。そして作刀から数十年の時を経て、竹屋五郎兵衛が入手し、当社御祭神に相応しい刀であるとして奉納したのではないかと推察される。この大きさや迫力のある刀身、力強い刀紋などから、奉納者の当社御祭神に対する敬意を感ぜずにはいられない。

石切劔箭神社(石切さん) (ishikiri.or.jp)



お地蔵さん

京都市内をお散歩していると、お地蔵さんが沢山あります。
それがまぁやけに沢山あって少し歩く度に次々現れ、場所によっては一度のお散歩で何十体と横切る事に。
ネットで検索してみたら趣味で記録している方がいました。
京都のお地蔵さんmap ~西陣を中心に~ – Google My Maps
凄い数ですねぇ。

そのお地蔵さん達、全てではないのですが結構な割合で写真の様にお顔が描かれています。
日々沢山見るので撮る事もあまりないのですが、かなり面白いお顔だったり、何教?!という感じの色使いで思わず足を止めるお地蔵さんも。
私京都生まれじゃないですし詳しい事情を知らず、近所のお爺お婆が良かれと思い勝手に塗っているんだろ程度に思っていたのですが・・・。
これは「化粧地蔵」といってちゃんとした風習だそうですね。全然知らず誤解していました。。
毎年の地蔵盆で子供らや当番の人がお顔を塗り替えるそうです。そういえば近所の駅前のお地蔵さん、度々お顔が変わっているなぁと思っていましたが、そういう事でしたか。



苦しい事は記憶に無い

大太刀や長刀に大薙刀など、分割してスキャンした全身押形をPCで繋げていたのですが、改めて考えるとよくこんな大変な採拓作業をやったなぁと。。

全長170㎝超の長刀

今まで深く考えて来なかったのですが、おそらく集中して何かをやっている時の記憶はあまり残らないタイプなのかもです。
だからか、あの時のあの押形は大変だったぁなんて記憶は無いです(出先での採拓だけは何故か全ての作業について鮮明に覚えています)。
でなければかなり大変な全身押形採拓ばかりやろうなんて思わないし、苦しい作業の多い研磨仕事も一日過ぎれば何事も無かったようにまた研ぎ台に上れないですし。色々都合の良い記憶の構造です。



大和物

在銘大和物の古い太刀の全身押形を2口採拓。
以前は大和物の押形は比較的簡単だと感じていたのですが、今回は2口とも難しい。

うち1口の研磨が非常に良い。おそらく某派の研師の研磨。
昨年来この研ぎをやりたく、色々試して来ましたが出来ず。
極最近このタイプの研ぎをする方とお話しましたが、仰る事は普通の事。ちょっとお話を聞くだけで出来るなら修行は要りません。(もちろんどうやっているかを聞けるなんて思っていません)
何年も何十年もかけて完成された技術をポイッと教えてもらえる人は、その凄さを分かっていない事が多い。
今の100倍感謝した方がいい。

押形とは別の大和物の在銘太刀の研磨。
これは貴重な体験で、普段の大和風では全くなく。西風。
てか西なのかも。