5月京都府支部入札鑑定(2)

そもそも1号から古い物順だとしたら、3号で善定なので4号で鎌倉~南北の大磨上げという見方は破綻しているのですが、苦しい時はこういう事が起こり得るのが入札鑑定です。しかも3号善定でイヤだったし。全て立て直しが必要です。

1号、表裏揃う村正風の刃文ですが、若干箱になる互の目がフクラ下にあり。
兼若と入札。

2号、通にて能く候と来ましたのでもうこれしか無いです。
帽子少し深く、頂点が中央で、庵が大変高く、先まで重ねを維持し、柾目は目視出来ないが刃縁が柾の働き。初見からこれを認識しているのに何故に1の札で入れないかなぁ。。
手掻包俊と入札。

3号、地錵が少なく白い鍛接面で、善定に結構自信があったのですがイヤでした。教科書通り節もあるし。
この刃だとおそらく末手掻なのでしょうが、実は末手掻は大磨上げ無銘の極めでは大量に存在しますが、在銘の末手掻の長い物に出会う機会は滅多に無くイメージがわかず。末手掻には大磨上げ無銘の寛文新刀風の姿のイメージが頭にこびり付いていて、こういう応永~の姿と結びつかない。
しかしおそらく末手掻なので・・・。
手掻包俊と入札。

4号。南北長船に行ってしまったが、国分寺助国の方が絶対良い札だったと思う。が、イヤなので行けず。全く分からない。
来国真と入札。

5号、文殊で取ってもらい通りなので堀川です。
広実は数がほぼ無いと思うのですが、昔本部から来た広実の野趣溢れる錵のイメージと完全に合致する。
堀川広実と入札。



同然
イヤ
同然

1号康継
4号清左



同然
イヤ
同然

4号藤島→簀戸国次でイヤ。5回イヤをもらうってなかなかの奇跡です。

1号 脇差 表(葵紋)肥後大掾藤原(重要美術品)
      裏 越前康継
2号 短刀 包俊(重要刀剣)
3号 太刀 大和国住藤原包久作(重要刀剣)
4号  刀 兼宿
5号  刀 国安(堀川)(重要刀剣)

今回本気で反省しましたので、これからは作品単体だけで判断し入札します。
全部肥前刀に見えてもビビらず全部肥前刀に入れられる勇気を持ちましょう。



5月京都府支部入札鑑定(1)

今回は熊谷和平先生が講師に来てくださいました。

1号 平身。寸延び。幅広く重ね薄い。三つ棟。
皮鉄は詰んでピチピチ立ち白い。刃文は表裏揃い村正風。
重ねはかなり薄い・・・。

2号 短刀 三つ棟かなり高い。定寸ほど。重ねは先まで落ちず。下地が上手い。
板目でかなり上質。少し映り気で白け気味というべきか。直刃で元が少し広く中程少し狭く、ほつれなど働く。
帽子の頂点は中央なので僅かに倒れる様に見える。返りは来国俊風。

3号 刀。少々反る。室町の反り。刃寄り柾。
焼き出し映り風が鎺上に見え、生ぶだとおもう。直刃で刃中に柾気の働き。しかしばさけず。
中央上付近に節。上半匂い口しっかりして深く大変明るい。
善定兼吉と入札。

4号 刀。反り浅く大磨上げだと思う。中鋒枯れ気味。匂い口沈み気味。下半匂い口締まり小足。少し逆足も。
上半直調小丁子。帽子長義風。

5号 刀。少し長い。反り浅め。表は板目肌立ち気味。裏詰む。
乱れ刃で少々ばさける。錵粒荒目。帽子表焼き詰め風。裏僅かに返る。

どれも素晴らしい刀ですが、入札となると非常に難しく、なかなか書けず何度も見る。
こんなに書けない事は滅多に無い。
今から書く事は入札鑑定時の頭の中の悪い見本の様なものですが、当日の考察を・・・。

熊谷先生は確か過去に1号から古い順に並べる事が多かったはず。。という事は今回の1号も古いのか?!
刃文は村正風だが地鉄に皮鉄がこれだけ残っていてこんなに重ねが薄いし、そもそもフクラが村正ではない。
長義にこの手の素直な互の目があったはずで。ただ2号が鎌倉短刀だとすると古さの順番が違う。
2号は身幅と棟角の雰囲気が左文字風だが反りが違い、来と見たいが地鉄が来だと国行の地鉄になってしまい、来とは見る事が出来ず。
1号を来国次として、2号も来か。だとすると2号は国俊国光だが、それだと古さの順番が違い・・・。
1号2号ともに来国光で、来国光の作風の広さを見せるための出題か。。

4号も難しく、1,2号も苦しんで、苦しいとこんな事を考えて札を入れようとしてしまうのです。

1号 来国光、2号 来国光と入札

4号、地鉄は室町の鉄だが、この刃文がどうしても出て来ず。
大磨上げ無銘だと思うので、例えばこんな極めが付いているとか。
長船重真と入札。

5号、焼き詰めに引っ張られてしまい、1,2号の苦しみもあいまってもうよく分からない。
文珠の包国で行ってみよう。
駿府包国と入札。

時代違いイヤ

イヤ
イヤ

1札目、多分過去最低の結果となりました。



名刀展チケット締め切りました

名刀展のチケットは全て差し上げる事が出来ました。
ご連絡頂きました皆様、ありがとうございました。



本能寺「名刀展」のチケットを差し上げます

本能寺、大賓殿宝物館にて開催中の「名刀展」チケットを頂きましたのでご希望の方にさしあげます。
当ホームページ上部メニューの「お問い合せ」の入力フォームからご連絡頂きましたらお送りします。
お送り先のご住所とお名前をお願いいたします。
先着9枚です。
本能寺「名刀展」 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)



室町時代の皆焼

美濃刀全身押形の続きです。
刃文描写は差し表に入りました。
そういえば先日ご自身も押形をされている方に「刃文はどこから描き始めますか?」とたずねなれました。
私は差し裏の刀身中央から描く事が多いのでその様にお答えしましたら驚かれていて。
言われてみれば確かに意外なのかもですが、私と同じ人も結構居そうな気もします。
因みに鉛筆やボールペンなどで物打先の簡単な図を描く時、私は昔から必ず横手から描くのですが、もしかしたら研師には多いのかも。



美濃刀

美濃刀は現存数が多いわりに研磨する機会は少なく、手元に残る全身押形にも美濃刀は殆どありません。
今回は美濃の同一銘の刀を同時に採拓。
同一銘を連続して採拓するのは以前採った忠吉大小以来だと思います。

今回の刀、銘は同じですが銘振りや茎仕立てに多少の違いがあります。ただ独特な雰囲気を持つ作風には共通性を感じ・・。
同人なのか同一工房作という事か。。



石切劔箭神社長刀

大太刀(長刀)石切劔箭神社蔵 (2023年、調査記録のため全身押形を採拓)  
 銘 金房左近尉政重作
   奉納御神前御太刀河州同郡大江木積牛頭天王御寳前明暦四戊戌天正月廿三日 摂州大坂住人竹屋五郎兵衛尉藤原正吉敬白
 刃長 99.8㎝(三尺二寸九分) 反り 2.6㎝ 全長170㎝超

(以下、石切劔箭神社様のお許しを得て、神社内での展示キャプションを転載させて頂きます)
毎年、当神社の夏季大祭では神輿のお渡りが行われる。渡御列には、御神宝を捧持する所役があり、この太刀は長年神輿渡御の渡御宝物として大切な役割を果たしてきた。
刀工名は「金房左近尉政重(かなぼうさこんのじょうまさしげ)」。東大阪とは生駒山を挟んで隣の奈良に栄えた金房派の刀工である。金房一派は、鎌倉時代の大和五派(保昌、手掻、尻懸、千手院、当麻)に属さない刀工集団で、室町時代末期に大和の金房カ辻辺に隆盛を見た一派とのこと。宝蔵院の僧兵の為に十文字槍や大ぶりの槍を作っていたようだが、大太刀はあまり見られない。
銘文から室町時代末に政重の手によって作られた大太刀を、大坂住人竹屋五郎兵衛が明暦4年戊戌(1658年)に木積宮牛頭天王社(当社は室町時代から江戸時代中頃まで京都祇園社より牛頭天王素戔嗚尊を勧請し、饒速日尊、可美真手命と合わせ三柱を御祭神としていた為、その時代は木積宮牛頭天王社と記される事が多い)に奉納したものであることが分かる。
室町時代末期には、このような大太刀、長巻が実戦刀として用いられることは少なかった為、作刀されたものの武具として使用されないまま保管されていたのではなかろうか。そして作刀から数十年の時を経て、竹屋五郎兵衛が入手し、当社御祭神に相応しい刀であるとして奉納したのではないかと推察される。この大きさや迫力のある刀身、力強い刀紋などから、奉納者の当社御祭神に対する敬意を感ぜずにはいられない。

石切劔箭神社(石切さん) (ishikiri.or.jp)



お地蔵さん

京都市内をお散歩していると、お地蔵さんが沢山あります。
それがまぁやけに沢山あって少し歩く度に次々現れ、場所によっては一度のお散歩で何十体と横切る事に。
ネットで検索してみたら趣味で記録している方がいました。
京都のお地蔵さんmap ~西陣を中心に~ – Google My Maps
凄い数ですねぇ。

そのお地蔵さん達、全てではないのですが結構な割合で写真の様にお顔が描かれています。
日々沢山見るので撮る事もあまりないのですが、かなり面白いお顔だったり、何教?!という感じの色使いで思わず足を止めるお地蔵さんも。
私京都生まれじゃないですし詳しい事情を知らず、近所のお爺お婆が良かれと思い勝手に塗っているんだろ程度に思っていたのですが・・・。
これは「化粧地蔵」といってちゃんとした風習だそうですね。全然知らず誤解していました。。
毎年の地蔵盆で子供らや当番の人がお顔を塗り替えるそうです。そういえば近所の駅前のお地蔵さん、度々お顔が変わっているなぁと思っていましたが、そういう事でしたか。



苦しい事は記憶に無い

大太刀や長刀に大薙刀など、分割してスキャンした全身押形をPCで繋げていたのですが、改めて考えるとよくこんな大変な採拓作業をやったなぁと。。

全長170㎝超の長刀

今まで深く考えて来なかったのですが、おそらく集中して何かをやっている時の記憶はあまり残らないタイプなのかもです。
だからか、あの時のあの押形は大変だったぁなんて記憶は無いです(出先での採拓だけは何故か全ての作業について鮮明に覚えています)。
でなければかなり大変な全身押形採拓ばかりやろうなんて思わないし、苦しい作業の多い研磨仕事も一日過ぎれば何事も無かったようにまた研ぎ台に上れないですし。色々都合の良い記憶の構造です。