今年も終わっちゃいます

今年も様々な経験をさせて頂きました。
日常の研磨から、まさか人生でこんな経験をするなんてという突飛な物まで本当に幅広く。
そんな経験を楽しめる人ならこんなに楽しい事は無いのでしょうが、私は全然楽しめないタイプなので、人生損をしていますね。。
そして成長速度が遅い。色んな経験でいい加減慣れたい所なのですが、何にも変わりません。毎回ゼロからのスタート、そんな感じです。
なんなんでしょか、この変わらなさは。昔、ギターが好きでずっと弾いていましたが、指先の皮が全然硬くならないんです。そういう体質でしょうか。あんまり関係ないですか。。

美しく輝く刀には人の心を動かす力があります。
しかし錆朽ちた刀にその力は薄れ、残念ながら毀損され朽ち果て、そして忘れ去られる物も存在します。
研磨の道に入り今年で30年になりますが、今でも研ぎ台に乗る時の気持ちは弟子入り1年目と何ら変わりません。
錆びた刀も研ぎ磨けば美しく光る、その喜びの気持ちです。 
人には”鋭利で美しく輝く物を大切にする”、そんな本能の様なものがあると感じています。錆朽ち忘れ去られようとした刀も、研ぎ磨けば大切にする気持ちが生まれるのです。錆朽ちようとする刀身を、鋭利で美しく輝く刀剣へと蘇らせる、それが研師の仕事であり、それが今後1000年の未来へと輝きを伝えて行くための使命だと信じ、日々の研磨に努めています。
来年もこの気持ちは変わりません。ずっとこのまま変わらず研磨を続けて行くはずです。



樋を先に掻く

3尺2寸の大太刀研磨。
棒樋が掻かれていますが、平地の樋角(鎬際)に長く焼きが入っています。(断続的ではあるが多数)。
この状態を見ると、焼き入れは樋先(ひせん)じゃなかろうかと想像します。
現代の作刀では焼き入れ後に樋を掻く事が普通かと思いますが、昔は樋先もよくあった事なのか、それとも3尺超えの大太刀だから特別か。
昔はセンで掻くだけでなく、赤めた刀身に鉄の丸棒を当て、打ち叩いて樋を作ったと何かの本で読んだ事がありますが、ちょっと想像つかんレベルの仕事です。槍も金型に打ち込んで造ったとか。同じ刀職でも全然想像つかない世界で。
そういえば、量産しているところでは樋もセンではなく回転する円盤砥石にフリーハンドで刀を当てて樋を掻くといいますが、それはそれでとんでもなく凄い技術です。熟練技というやつですね。
しかし時に熟練技は安売りされるといいますか、安売りのためにその技が生まれるというか。
研磨もそうですが、練度が低く下手で遅いだけなのに、日数が掛かる仕事だからと高額な料金になっている事も多く、その辺の見極めは難しいですね。
熟練の職人が最高の仕事を最速で行っても大変な日数を要する、それが刀剣の研磨だと思っていますが、そんな時代も過去の物になる気がしています。





拭いの差し方

マーティン君から拭いの差し方についての持論を聞くことが度々ありました。
それが結構繊細というか細かい内容で。 研磨の1~10までをスロバキアでほぼ独学に近い形で何年も行っている間に、様々な持論が固まっていったのだと思います。私も同じ様な環境でここまで来ましたので、彼がやって来た事がよくわかります。
で拭いの差し方ですが、私も30年やっていますので色々試して来ました。その結果今の形に固まっているわけです。
マーティンの差し方、「それは流石に変わらんやろ(効果無いやろ)」的な内容で。。経験が豊富になると、試さずともある程度判断できますし。
最近研磨した刀、良い地鉄なのでさらに良くしたい気持ちから、マーティン流拭い法を初めて試してみました。
とこれだけ前振りがあればもうお分かりだとは思いますが、マーティン流の拭い法、初めて試した結果、良い効果がきっちりと表れてくれました。
私、ダメと思う事も全部潰して行くタイプだったのですが、経験が驕りに直結する悪い例でした。反省です。
いつか日本に帰って来たらマーティンに謝らないと。
固まっている人を見ると、「固まってるなぁ~」と思ってきたんですが、結局自分も固まっちゃってるんですねぇ。。固まる程のもんをなんも持っていないくせに固まるのが一番カッコ悪いですね。
やっぱりマーテインにメールしよう。





京都府支部入札鑑定会

12月支部例会は私が担当となりましたので、5口の御刀をご用意させて頂きました。

鑑定刀

 1号  刀  銘 君万歳
          真鍋純平作 令和四年秋吉日
 2号 短刀  銘 為森繁久彌翁 善博作
          平成十八年十一月吉日
 3号 太刀  銘 長谷部国信(附)元禄五年本阿弥光忠折紙(特別重要刀剣)
 4号  刀 無銘 長船長重               (特別重要刀剣)
 5号 太刀  銘 重恒   (附)元禄八年本阿弥光常折紙(特別重要刀剣)

真鍋純平
(撮像:中村慧)
久保善博
長谷部国信
(撮像:中村慧)
長船長重
(撮像:中村慧)
古備前重恒
(撮像:中村慧)

この度も京都府支部入札鑑定会のために大切な御刀をご提供下さいました皆様、誠にありがとうございました。



押形の展示が終わりました

新作刀の研磨が何口も続き身体がボロボロになっていますが、こんなに没頭出来る仕事はないですね。
なんでしょかこの感覚は。こんなにも難しく、こんなにも大変な研磨なのに。。
多分これが先日「刀剣界」に書かせて頂いた通りの事なんだと思います。

1つだけ美術館」さんでの押形展示が無事終わりました。
普段から刀に慣れ親しんだ人ではない目線で押形を見るとどうなのか、色んな事が分かりました。
面白い~。ありがとうございました!

         撮影:鍋坂樹伸さん



入札鑑定会

今回は本部から日野原先生をお招きしての鑑定会です。

1号 短刀
重ね薄めに感じる。無反り。真の棟中広。
古研ぎで良く手入れされている地鉄。少し映り気。
匂い深く格調高い粒子。刃取ると直ぐ調になる刃で、出入りは小さく、しかし動きは様々。
表の腰から中央の刃中に尋常ならざる金筋。裏の刃縁に特徴的な湯走り多数。
帽子が印象強く大丸気味(裏が特に)。そして盛んに佩きかけ。

以前包丁正宗を拝見した時、映りが明瞭で驚いた事があったが、この短刀も古研ぎでなければ地鉄と映りが同質だと思う。
  映りがある | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
帽子が決定的にこれ。 正宗と入札。


2号 刀
反り浅く重ね尋常。少し重い。二筋樋。
焼き幅広く帽子深く、よく詰んで最上質の地鉄。淡く映る。
新刀との声が多く聞こえるも、絶対に古く、抜群に良い刀。
広直刃の調子で湾れや互の目があり、中央付近逆がかり、島刃も。
裏帽子島刃に。

裏帽子だけなら長義、逆刃が無ければ長重、そんな刀で。
青江だと思うが個銘が分からず、なんとなくのイメージで入れてしまう。。青江次直と入札。


3号 短刀
長い。ギリギリ短刀か。無反り。刃線は少し入る。真の棟。
古い短刀でよく詰み、特徴的な荒い肌が表の各所や裏腰付近に顕著。
暗帯が出来るほど明瞭な錵映り。その中に黒く抜ける筋が複数。棟焼きは無い。
小錵出来の刃。焼き低めで乱れ。裏の尖りが強い。

反り姿は違うがサイズから一瞬安吉と言いたくなるほど尖る帽子だが、地鉄がこれ。
来国光と入札。


4号 太刀だと思う。
少しだけ踏ん張り腰反り気味で先も反り、幅バランスが間延びした感がある応永姿。先身幅を落とし小鎬高く微妙に延びる応永の鋒。
全体に少し肌が立つ風合い。
下半の乱れが少し小詰み小反風だが中程には大房もあり嫡流にも見える。全体にそれほど腰開きに見えず、福岡一文字風。
研ぎは差し込み研ぎ。全身の映りが常の応永よりかなり強く、映りが焼き頭から直接立ち上がる部分も多いが、焼き頭に接しない箇所は黒い部分が互の目形で帯状。この映りは裸焼と同じに見える。

古くは無いが小反か嫡流か迷う。。長船康光の区送りか・・・。
長船康光と入札。


5号 刀
太刀姿。古研ぎ。地を伏せている事もあるが多分元々詰み気味の地鉄。
錵出来の備前形の刃文。深い。帽子1つ乱れ込み先丸で倒れ。表裏同じ。
帽子以外は信秀の刃文を錵出来に変えた感じ。が姿は全く違う。

こんな造り込みの物は見た事が無いが、地鉄を伏せた上で、この刃錵の感じはあり得るかも知れない、と思って、左行秀と入札。


当同然

同然

5号、途端に難しくなる・・・。
水心子の錵にしか見えなくなって来てしまう。が、流石に水心子とは入れられず。
石堂とは絶対違うと思うし・・・。
次郎太郎直勝と入札


当同然

同然

最後の入札になってしまった。。新々刀は感覚だけでは当てられず、知識と明確な意識を持った経験が必要な事を、毎度ながら改めて思い知る。
加東綱俊と入札。


当同然

同然
同然

1号 短刀 朱銘 正宗(蜂須賀正宗)

2号  刀 無銘 青江

3号 短刀 来国光

4号 太刀 備州長船家助 
      永享九年八月日

5号  刀 為村上重君石堂運寿是一精鍛造之 
      嘉永七年甲寅歳二月日

青江の研磨が美しく、研磨コンクールに出品されているかもと感じる。
是一経験が少なく、過去の研磨でも多分新々刀是一は25年ほど前に1口、新刀是一をこの10年で2口。新々刀是一は確か刃中がこんなに錵ておらず。新刀は匂い出来。石堂の沸え出来の刃を勉強出来た。新々刀をこんなに伏せて研げる意思が凄く、多分あの方(故人)の研磨かと想像する。





こんな感じになりました

押形にしたい刀全部をとる時間もなく、とりあえず今はあと短刀と描きかけの太刀と末備前です。




やり直しました

先日来進めていた全身押形。↑ここまで進んでいましたが全然ダメなのでやめました。

↑二枚目。
研ぎも押形も、やり直す時は無になって作業を行うのですが、無になり過ぎて茎を摺った最後に茎の輪郭を硬質色鉛筆で明瞭にする作業を忘れてしまいました。誰にも気付かれない自分だけのこだわりですが、これはやり直しが出来ない作業です。。残念。
刃文描写、やり直してよかった。これも自分しか分からん事かもですが、一つ成長出来ました。



刃切れ

昔は刃切れを気にしなかった説もやはり問題ありかと思います。
刀を使用した際一撃で折れたり、或いは何度かの使用で突然折れる場合は別ですが、何度も使用し段階的に傷んで行きやがて折れる場合、まず最初に起こる現象が、曲がり、うつむき、刃切れ、このどれかです。この事は荒試しの結果などに記されています。
損傷の第一段階を既に過ぎている刀を普通は嫌いますよね。。(ここで言っている刃切れは後天的なケースです。焼き入れで生じる刃切れとはまた別です)ただ、刃切れがあるだけで全てが完全否定されるのを非常に惜しく感じる事がありますし、何らかの救済的考え方があっても良いですね。
以前は保存審査基準に「刃切れのある物は不合格とする」との一文があったはずですが、今はありません。
今後は考え方も変わって行くのでしょうか。



刀の傷

江戸時代以前は現代のように”刃切れ”を気にしなかった説を唱える人は結構多いです。(本当かどうか、私には分かりません)
同じ様に、刀の鍛え傷を気にするのは現代だけだという人も居るようですが、それは言い過ぎですね。

写真は数打ち刀ですが、この刀には埋鉄が沢山入っています。
ちょっと見え難いのですが本当に沢山入っていて、5個や10個ではないと思われます。
そしてどれも長く。長さ3,4㎝は普通で、確認出来る長い物で6,7㎝には達しています。
研磨している研師なのになぜ埋鉄の数が曖昧なのか、それはあまりに鉄が合い過ぎていて見つける事が困難だから。
この事はブログに度々書いていると思いますが、この種の埋鉄は、刀が製作された後の時代に行われた物ではなく、刀工が刀を製作する過程で行われていると思われる物です。では何故そうだと分かるのか、それは鉄があまりに合っているから。
埋鉄は入れる鉄の選定が非常に難しく、どんなに慎重に選んだとしてもそう簡単に完璧に合う事はありません。
この様に発見する事が困難なほど完璧に鉄が合っているという事は、その刀を製作した鉄その物を埋鉄として入れて居るからです。
根拠がこれだけだと、「いやいや鉄を完璧に合わせる埋鉄名人だったかも知れないじゃないか!」と言いたくなってしまう所ですが・・・。
こういう埋鉄だらけの数打ち刀、刃中にも普通に埋鉄があったりするんです。普通はやりませんが一応現代なら超鋼合金のタガネもありますし、その他の手法も含め刃中を埋める事も可能な訳ですが、江戸以前に刃中に埋鉄があるという事は、焼き入れ前に埋鉄を行っているという事になります。ですので刃中の埋鉄にも普通に焼きが入り、精査しなければ発見出来ない状態になっています。
埋める際の技法は現代の様に繊細な仕事はしておらず、いうなれば、雑。普通はこんな雑なやり方では妙な事になってしまう訳ですが、焼き入れ前の柔らかい刀に、その刀を造った鉄その物を使って埋める訳なので、こんな短時間で作業が出来る雑なやり方が可能なのでしょう。
そういう仕事なので、数打ちの当時の安刀に10も20もの埋鉄が可能なのだと。
そんな数打ち刀でも少しでも傷を減らすために沢山埋鉄をしている訳で、昔は傷なんて気にしなかった説はちょっと言い過ぎですね。

過去ブログを検索したら幾つかありました。
フクレ | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)