京都高島屋にて「月山貞利展」

現在開催中の「百錬精鐵 刀匠 月山貞利展」にお伺い致しました。

私は研師には古名刀の展覧会よりも、現代刀匠さんの個展の方が数段勉強になると思っています。
刀の世界に限らずですが、個展は誰でも出来るものではありません。安定した技術と作品数が最低条件(こんな事を私が書いて失礼な話ですが…申し訳ありません)。
安定した技術により制作された刀が複数の研師に研がれ、それが一堂に会する。研師にとってこんな凄い機会を逃す手は無いわけです。
本日も貞利先生の安定作から貞伸刀匠の意欲作まで、様々な作品で研磨の勉強をさせて頂く事が出来ました。



祈願

お仕事の安全祈願。
豪雨の粟田神社~青蓮院。

昔、粟田神社のビアガーデンで土砂降りと迅雷の中、大樹の元で雨宿りをした事を思い出しました。長男はまだベビーカーに乗っていましたか。。
比叡山、吉田山、銀閣寺、金戒光明寺、南禅寺方面、そして平安神宮にと、落雷が近付き。。
豪雨でボトボトになりながら多くの人が雨宿っていて、結局私もそれに従っていたのですが、あれは逃げないとダメでした。
あの時雷が落ちなかったのは粟田神社だけじゃなかったか。そんな気がしています。
ベビーカーに乗っていた息子も、今では私より身長が高いです。



昔の配置に戻しました

都合で研ぎ台を久々の配置に。これ落ち着きます。これで行こうか。



壊れる

電気炉が壊れた。
1000時間以上程度は使ってきたと思いますが、これくらいで壊れるんですかねぇ。。
ヒューズは切れていないし。分解してみようかと思ったのですが、素人が変にさわって仮に直ったとしても、安全面で心配ですし新しい物を購入しようかと。
しかし検索してみるとかなり値上がりしていて、もう昔買った値段では無理なんですねぇ・・・。



「百錬精鐵 刀匠 月山貞利展」京都髙島屋8/25(水)~31(火)

会場:京都髙島屋6階美術画廊
※最終日は午後4時閉場
京都髙島屋の営業時間についてはHPをご確認下さい。

月山鍛冶は鎌倉時代初期の鬼王丸を祖とし、奥州月山の麓で鎌倉、室町期に栄えました。月山鍛冶の最大の特徴は、刀身全体に波のように流れる「綾杉肌」で、月山鍛冶の鍛えた刀身に顕著に現れることから、月山肌とも呼ばれます。江戸時代に入ると月山鍛冶は様々な要因から影を潜めますが、松尾芭蕉の「奥の細道」に「此国の鍛冶、霊水を撰てここに潔斎して剣を打、終に月山と銘を切って世に賞せらる」とあるようにこの時代にもその名は広く知られていました。
幕末の月山貞吉もこうした鍛冶の1人でしたが、天保期に大阪へ移住し月山鍛冶の再興を果たし、大阪月山の基を開きました。その後、月山貞一(帝室技芸員)、月山貞勝、月山貞一(重要無形文化財保持者)の各時代に様々な苦難を乗り越えながらも、月山貞利によってその尊い技術は現代に受け継がれています。
本展では約八百年続く綾杉鍛えの作品や月山家に伝わる刀身彫刻、日本刀各伝の作品を一堂に展示致します。また後継の刀匠月山貞伸の作品も同時に展示致します。
刀匠月山貞利が鍛え上げた渾身の最近作をどうぞご高覧下さい。



特別展 薩摩の陶と刀 ―響きあう美濃との歴史と文化―

岐阜県博物館にて開催中です!
岐阜県博物館HP

 2021/07/23(金)~ 2021/09/26(日)

 江戸中期、薩摩藩によって実施された木曽三川の宝暦治水工事が契機となり、昭和46年に鹿児島県と岐阜県とのあいだで姉妹県盟約が結ばれました。以後、さまざまな交流事業がおこなわれるなか、令和3年には50周年を迎えます。このことを記念するため、岐阜の美術工芸として馴染みの深い「陶磁器」と「刀剣」に着目し、鹿児島が誇る「薩摩焼」と「薩摩刀」に焦点を当てた展覧会を開催いたします。

展覧会名特別展 薩摩の陶と刀 ―響きあう美濃との歴史と文化―
開催期間2021年7月23日(金)~2021年9月26日(日)
観覧料入館料:一般600(520)円 大学生300(200)円 高校生以下無料 ※( )内は20名以上の団体
図録の購入について※準備中
ダウンロードチラシ(表 PDFJPG)・チラシ(裏)
関連リンク記者発表資料岐阜県庁ホームページ) ※関連記者発表資料岐阜県庁ホームページ


拭いの続き

先日のこれは無事良い拭いになっていました。
やはり焼き方が肝要と改めて確認。

しかし原料による違いも確認しておきたく、一番好きな拭い原料の鉄肌を今一度頂戴する事が出来ました。
とりあえず焼き前も拭いにして試します。
黒い拭い。20代の頃、拭いはこの色でなければダメだとお教え頂いた事がありましたが、ちょっと私には合わないです。



七人の侍

久々に見たくなってしまいまして。207分、終わるのが寂しいです。

さてさて、ブログの内容が気になりちょっと確認しました。
島田勘兵衛の短刀。Wikipediaでは平造ですが、やはり冠落造ですね。
で、どうしても古刀に見えなくて。。例えば藤枝太郎英義みたいな新々刀に見えてしまいます。。おっと危なく研ぎ減りによる姿の変化を見誤る所でした。この映像は1586年(天正年間)当時の物なので研ぎ減っていないんですよね。と考えると前回の兼春なんて見方は結構良い気がします。これが秋山小兵衛ならば「ノサダ」というのですが、勘兵衛さんはちょっと違う気がします。
前回は平八さんの刀が思い浮かばなかったのですが、実は今回も思い浮かばず。なんででしょ。
今一歩キャラが薄いからか。でもそうでもないと思うんですが。。また次回考えます。