研磨工程を ⑫”

先日から刃取りに入っています。
以前も書いた通りこのへんの詳しい説明はやめておきますが初歩的なところだけを・・。

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刃取りは研ぎの流派や個人の考え方により多種有りますが基本は大体同じではないかと思います。
上の写真は刀身を四方向から見るものです。
基本としてこの四方向いずれから見ても違和感が無ければバランスは取れていると言えます。
しかし通常は茎を下にして立てた状態と、刀ならば刃を上にして横に、太刀ならば刃を下にして横に見ると言う二方向から見て違和感が無ければ良しとすると思います。
しかしあまり違和感やバランスを気にしてしまうと、”緊張感”とでも言うのでしょうか、アンバランスから来る独特な雰囲気が消えてしまいますので、刀の伝法や時代、刃文の構成などにより刃取りも変えて行かなければなりません。
(刀の出来を表す言葉は昔から多数有るのですが、基本的な刃取りのバランスの事を書こうとしただけでもその状態を表す言葉が過去の書籍などで見た事が無い事に驚きます。それだけを見ても”研ぎ”とは刀匠が鍛えた刀をいかに美しく見せるかだけに徹した裏方である事がわかります。)
刃取りのバランスと言っても、もしも普段意識せずに見ていた方が居られれば分かり難いかも知れません。
刀身彫りや小道具、鞘塗りなどで「陰陽」「昼夜」など対極表現がよくありますが、刃取りも陰と陽の見方で見るとバランスも見えてきます。
刃文(刃取り)を中心に見れば、白く刃取った部分の形が「陽」、黒い地鉄部分の形が「陰」です。
バランスを考える場合、陰と陽を逆転して意識すればそれが見えて来ます。
先に書いた「しかしあまり違和感やバランスを気にしてしまうと、”緊張感”とでも言うのでしょうか、アンバランスから来る独特な雰囲気が消えてしまいますので・・」これと重なりますが、例えば丁子はどう刃取るか、助廣、一干子、越後包貞、助隆をどう刃取るか、相州伝をどう刃取るべきかなど、各流派や個々の刀によって刃取りはさまざまですし、一概にどれが正解と言えないものだと思います。
俗に言う「化粧研ぎ」の代名詞が”刃取り”だと思いますが、知るほどに先の見えない奥深さが見えてきます。



研磨工程を ⑪

某日、刃取りを開始。

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刃艶を使います。
どの工程もそうなのですが、特に時間と根気が必要な作業かもしれません。
※艶入れ以降の画像はデジタル画像の性質上、刀身の実物よりも肌の出方が強く見えたり肉眼では全く確認出来ない色ムラが強調されたりと、画像としては課題の残る物です。  それらを解決するには部分画像を使用すれば済むのですが、工程の紹介と言う意味であえて刀身全体画像を使用致します。



名研師たち

最近の研ぎではなく、古研ぎの刀で見事に研がれた物に度々出会います。
古研ぎと言っても江戸時代から昭和まで幅広く、判りづらい話ですね。
研磨した時代の判定は慎重にしなければなりません。
普段、いつ頃の研ぎか?と聞かれたら諸条件と見た目から大体この位前じゃないでしょうか?とお答えしますが、根拠は薄いです。10年ほど前でしょうか京都で、「諏訪上宮御釜作貞宗作 康安元年三月日」の銘の有る刃長九寸九分の短刀を拝見した事が有ります。
確か全体に白研ぎの様な状態で、各角はかなりダレてしまい、錆びも多数発生、さらにその錆びをペーパーで磨って取った様な状態だったと思います。(確か立派な塗り箱(桐だったか?!)や上等な白鞘に入っていました。それらに外見上の傷みは有りません)
通常はこの様な状態だと、幕末~明治以降一度も発見されず眠り続けて居た故この様な状態になったのだろう・・・などと勝手に想像しますが、銘が銘だけに興味が有り色々調べた結果、昭和25年頃、本阿弥光遜が研磨した事が分かりました。

この釜作貞宗、刀剣美術や明治の鑑定家今村長賀の押形集「今村押形」所載品だったんです。
特に刀剣美術では何号にもわたりこの「釜作貞宗」について刀剣界の重鎮達が議論し話題になった物だという事も分かりました。
(昭和25年当時本阿弥光遜が研磨した事も書いてありました)
その後いつ頃からその存在が忘れられたかは分かりませんが、愛玩されない刀は僅か数十年の内にあの様な状態になるのか・・・と思い知りました。

書こうとした事から大きく外れてしまいました。
先日のブログで「拭いや刃取りの奥深さをお伝え出来ないものかと思うのですが・・・。」と書いたのですが、ここ数日何かよい方法は無いかと考えていました。
最近ちょっと遠のいていた現代研磨の礎を築いた方々についてのお話を読んでみようと、江戸期から現代へと流れを作った本阿弥忠敬、井上行蔵、石川周八、本阿弥琳雅、そして平井千葉。さらに昭和初期に活躍された多数の名研師のお話を読み返しました。
先日も書いた「私などが書くのはおこがましいとも思うのですが」と言う気持ちがさらに強くなってしまいましたので、やめておきます。
私などがブログに書いてもただの苦労自慢以上にはなりません・・。
「研磨工程を」の方はもう少しで仕上がりです。 時間を見つけてまたUPします。



研磨工程を ⑩

拭いが入りました。
刀歴が長い方はそうでも無いのかも知れませんが、ネット上などでは「差込研ぎ」がもてはやされると言いますか、「鉄肌拭い」や「刃取り」を軽視する傾向が有る気がしてなりません。
最近はネット上でそう言う発言が有ると一般にも広がってしまう世の中ですので、拭いや刃取りの奥深さをお伝え出来ないものかと思うのですが・・・。  
私などが書くのはおこがましいとも思うのですが、一応ネット世代でもありますので同世代やもっと若い方々にお伝え出来る事も有るかと思います。  
出来れば今後その事にも少し触れてみたいとおもいます。
そうそう、先ほど私もよく利用する「ウィキペディア」で”差込研ぎ”を見てみましたら、ヘンテコな事が書かれていて驚きました。

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※艶入れ以降の画像はデジタル画像の性質上、刀身の実物よりも肌の出方が強く見えたり肉眼では全く確認出来ない色ムラが強調されたりと、画像としては課題の残る物です。  それらを解決するには部分画像を使用すれば済むのですが、工程の紹介と言う意味であえて刀身全体画像を使用致します。



新年会恒例一本入札

先日は京都支部新年会。 
恒例により新年会は一本入札で行なわれます。
(今回は、「提出は一回のみですが、それぞれ三つ書いてもよし」と言う大サービスの一本入札でした)
会場で久々に刀鍛冶修行中のピエールさんにお会い出来ました。
ピエールさんはいつも誰よりも熱心に鑑定をされています。
私事ですが、英語の話せる40代を目指してここ半年ほど英語のお勉強をして居るのですが(至ってマイペースな程度ですが)、この勉強法で良いのかどうかずっと不安でした。
それでピエールさんにお聞きしたら「ウン!それ正しいと思います!そのまま後三年頑張って!」と言う風に言ってもらえました。 
40代に間に合うでしょうか?? 
継続は力なり。
 一号 太刀
細身。輪反りに近い。
小沸え出来
雰囲気は鎌倉時代前期乃至中期です。 
乱れの調子が細かく初見は古一文字を思いました。
落ち着いて見ると、佩表物打辺に白い巣に成った肌が幾つか有ります。 
さらに、焼き頭に沸えが凝り飛焼になる物が点続し、湯走り風となっている箇所が数箇所あります。 これは決定的特徴でしょう。
でもちょっと不安ですのでとりあえず三つ。
 「綾小路・古備前行秀・来国行」と入札
 二号 刀
短寸。 匂い出来、腰開き互の目。 部分に沸え付く。 乱れ映りが全身によく出る。
末と中期と迷いましたが
 「与三左衛門尉祐定・勝光」と入札。
 三号 脇指
身幅大変広く、大鋒。
鎬地幅広く、派手な龍を欄間透かしに彫る。
今日は頭が晴れて居るので持った瞬間、日向大掾貞次を思いました。
しかし直感でしか無いので少し考える・・・。
匂い口は康継では無い。 しかし帽子の形は完全に康継。
康継以外の初期越前物と言うつもりで「越前下坂」と入札。(初代康継も初期には下坂銘があるため本来はこの書き方だと初代康継も含む意味にとれます)
 四号 脇指
平身。少し反る。 表に梵字、裏に雨龍。
美しく潤い完璧に整う地鉄。 
刃先まで細かく沸え、冴える刃。
地鉄は潤い少し青みが有ります。
この潤い感は拭いの材質による所が大きく、青味はよく沸える刃で、刃艶の効きが大変よいため刃取りの色が晴れる事による視覚的効果から出ているのではないかと思いました。
この、刃取りが楽しそうな刃はこれしかないでしょう。 しかし他の刀を見た後、再び見ると迷いが出て来てしまいました・・・。 その選択はずるいと言われる札になったでしょうか・・・。
 「親国貞(和泉守国貞)・出羽大掾国路・こてつ」
 五号 短刀
内反り、直刃、返り長い。
沸え映りが出ています。
返りが長いので来国俊に入れたくなりますが、違うようです。
三つ考えましたがどうしても二つしか思い浮かばず。
 「青江次直・古宇多国房」
 当
 然
 然
 当
 然
 一号  太刀  綾小路
 二号  刀   長船宗光
 三号  脇指  日向大掾貞次
 四号  脇指  於大阪和泉守国貞
 五号  短刀  青江延次

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鑑定会後は数年ぶりに宴会に出席させて頂きました。
楽しい宴会とおいしい料理。
こういう席での料理は「もう終わり?!」と言う場合が多いものですがここ「三木半」は、「もう食べられません」と言う感じでおいしい料理が出てきます。
その後、刀の大先輩に上七軒に連れて行って頂き、普段私などは絶対味わえない雰囲気を堪能。
お土産にサンドイッチを頂きました。
ただのサンドイッチとして何気なく頂戴したのですが、帰宅してビックリ。
こんなのは、私はもう食べられる事は無いと思います・・・。  ありがとうございました。
 



研磨工程を ⑨

艶入れ作業は続き、某日上げ艶に。
荒砥で線や面を決め、以降細名倉までそれを維持しつつ、より正確に整えながら砥石目を完全除去(この”完全除去”が他の刃物類とは別次元で行なわれます)。
数日間内曇を効かせ、刀の中に有る物を全て出す。
そして最終的にどう見える様に仕上げるかは、地艶と拭いの作業で決まります。
長く続いた一連の作業の集大成です。
地艶は、同質の物でも「大きさ」と「厚さ」を変えれば刀身に与える影響は驚くほど変わり、地肌が全く別物に変化します。
この二つの要素に「質」を加えると、かなりのバリエーションが生まれます。
さらに、指を動かす速度、長さと強さでもかなりの違いがでます。
あと灰汁の濃度と。
基本的には柔らかい艶ほど肌が伏さりそして曇り、硬いほど晴れます。
大きいく厚い艶ほど大肌が強調され、薄いほどそれが和らぎます。
薄く細かいほど大肌が消えます。 しかし柔らかいと小肌も消えます。
組み合わせは無数に有ります。
これらをこの後の拭いの質に合わせて調整し、進めて行きます。
拭いも材質、粒度の違いによりかなりのパターンが有りますので拭いの力を考慮して艶を終了します。

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※艶入れ以降の画像はデジタル画像の性質上、刀身の実物よりも肌の出方が強く見えたり肉眼では全く確認出来ない色ムラが強調されたりと、画像としては課題の残る物です。  それらを解決するには部分画像を使用すれば済むのですが、工程の紹介と言う意味であえて刀身全体画像を使用致します。



研磨工程を ⑧

最近祝日とか休みが多くないですか?!  歳をとって来るとそう感じるんでしょうかね。
また休みかい!休みばっかりやなほんま(怒)!っと毎月毎月言ってる気がします・・。
研磨の工程は地艶に来ました。
某日、下地艶をかけます。

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※この艶入れ以降の画像はデジタル画像の性質上、刀身の実物よりも肌の出方が強く見えたり肉眼では全く確認出来ない色ムラが強調されたりと、画像としては課題の残る物です。  それらを解決するには部分画像を使用すれば済むのですが、工程の紹介と言う意味であえて刀身全体画像を使用致します。



研磨工程を ⑦

某日、地砥を引き終えようやく内曇工程が終了しました。
鋒をナルメ、下刃艶をかけます。
下刃艶は主に刃に対し効かせて行くのが通常の作業ですが今回は地砥を荒く引きましたし、この後使用する予定の下地艶の質も考慮し、地砥で作った硬い刃艶で刀身全体に艶入れをします。

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個人的にはこの状態や次ぎの下地艶、その次ぎの中地艶時の刀身が凄く好きです。
映りの有る物は全工程中一番際立って見えますし、鎬地に映る場合も磨き前ですから完全な状態で見る事が出来ます。
・・・しかしその状態は所詮研磨未完成状態。 人前に出る顔では無いのかも知れませんね・・・。 
何よりこの状態では大変錆びやすいです。 
後に行なう”拭い”工程は錆びに対する抑制効果は絶大です。