姿を

短刀拵の姿を改めて勉強させて頂きました。
西円堂から出たと言われる鞘を元に柄を復元した物です。
刀身はたまたまピッタリ合った振袖茎の短刀です。

ざっくりですが数値も測らせて頂きました。

鯉口角38.5
角下37.6
最広部38.9
最狭部36.5
栗型36.1
栗型15.8
栗型~鯉口18.0
栗型~返角先59.8

鞘を握った時大変驚いたのですが、復元された頭は卵型にしていますが鞘は卵型ではなくラグビーボール型でした。
てっきり鞘も卵型だと思っていたんです。これが一番の収穫でした。

法隆寺へ | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)



長谷八幡宮

お散歩でよく行く長谷八幡宮さん。

小さな社寺は人口減少により存続が難しくなり、消滅するところも多くあると思います。
しかし人口が増えている地だから安泰という事はありません。
今後の存続はますます難しくなるのでしょうか。



馬手差の拵を

刀掛けは背の低い物が好きで、鞘底9㎝のアクリル刀掛けに刀を置いています。

いいねぇと毎日眺めていましたら、少し寂しくなっても来るもので。
せっかく2段のアクリル刀掛けもあるんだし、短い物が有ればなお嬉しく。
幸い馬手差銘の短刀を持っていますので、馬手差拵をつくろうと。

短い物で好きな拵えは、少々時代が上がりますが柏木兎腰刀です。
柏木兎腰刀(かしわみみずくこしがたな) | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
↑この拵は故上野修路氏の製作で、本歌はもちろんですが、本歌とほぼ変わらず大好きな拵えで、拝見する度に感動すら覚える見事な仕事です。
柏木兎腰刀– 第一室刀剣 | 上野の博物館 (sakura.ne.jp)

上杉の黒漆合口腰刀(九郎二郎)も本当にかっこいい拵ですね。
知人が製作しましたが、本当に美しい。
私、鐺が一文字なのと、薄い鞘が好きなんです。

法隆寺へ | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
↑西円堂から流出したという鞘から復元した拵。
これも好きな拵えですが、鐺が丸なのとゴロンと太い鞘は、自分が持ちたい好みからは少し外れてしまい。。
この柄形状は本当にかっこよく好きなのですが、薄い鞘にこの柄は合わないというか無理で。(柄復元は上野修路氏です)

法隆寺西円堂奉納武器にある馬手差拵をそのまま再現すると、↑この拵に栗型・返り角・櫃穴を馬手差の配置する様な形になると思うのですが、そうするとゴロンとした鞘になってしまいます。
九郎二郎の雰囲気で栗型を裏、返り角も裏で刃方に付け、先を棟方向に。こんな事をすると笑われてしまうのでしょうか・・・。
天正の時、切羽をあえて1,5ミリの厚い金着にしましたが途中でうるさくなり赤銅に作り替え、次はセオリー無視の厚い切羽がカッコ悪くなり0.5の薄い赤銅に替えた経験がある様に、冒険はせず現存品に倣うべきでしょうか。
しかし現存の品は僅少が過ぎます。もっと色々なタイプがあったのではないか、そんな気持ちがどうしてもあり、自分の好み寄せ集め拵を作りたくなってしまい。。しかしやはり後悔するパターンでしょうか。。
こんな構想段階が一番楽しいのかもです。




幡枝八幡宮に行きました

3日連続ですが幡枝八幡宮に。やはり石清水が見たくて。
その前に四条烏丸に用事でそれが済んだ後、北山の京都府立京都学・歴彩館で降ろしてもらい、調べ物を。
ここだと神社の資料が沢山あるはずです。でピッタリのがありました。
「幡枝八幡宮社創建千百年記念誌(平成6年発行)」。
色々載っていて、もちろん国広の事も。 
糸巻太刀拵があるはずでその存在がよく分からなかったのですが、太刀拵の写真も掲載され健在のようです。
幡枝国広は現在は京都国立博物館に寄託されていますが、ネット情報では東京国立博物館に寄託されているとするものも多くあります。
記念誌によると、岸本先生が発見するまで御蔵の中で赤錆のまま眠っていたそうで(記念誌では昭和7年頃発見と書かれていますが、岸本先生ご自身は刀剣美術28号(昭和29年)で大正15年2月7日発見と書かれています)、その後、研磨や拵修理の上、東京国立博物館に寄託され、昭和60年頃に京都国立博物館に移されたそうです。

府立京都学歴彩館から北に歩き、岸本先生と同じく深泥池を通り幡枝八幡宮に。

さて、肝心の石清水ですが・・・。
実は十数年前、幡枝八幡さんで神社の方に国広が焼き入れに使った湧き水はどこですか?とたずねたのですが、その時は東方向にあったはずだとお教え頂いていたんです。それでその山の斜面を探していたのですが・・・。(その方面には幡枝古墳群があり、今思うとその事と伝わってしまったようです)

幡枝八幡宮社創建千百年記念誌に、明治期と昭和初期の八幡宮の略図があり、以下の文章も。
「この山の南麓より清水が湧き出て以来、神社の霊水として山上まで汲み上げて使われるとともに~この清水を汲み上げて神前で鍛えた(国広が)太刀は本宮の神宝とされている」
明治の略図に石清水の場所は記されていませんでしたが、昭和の図には幡枝八幡さんの南麓に「石清水」との記載がありました。
実は薄々そうじゃないかと思っていたんです。。
南麓には「幡枝石清水公園」という小さな公園があるんです。そして井戸の様な物も。
これが井戸かどうか、水が湧いているかどうかは未確認ですが(勝手に開ける訳には行きませんし)、この公園が「石清水」の跡で間違いなさそうです。

石清水の場所も住宅地となり若干残念な気持ちもありますが、沢山のちびっ子達が雪がとけてぐじゅぐじゅの中、ドロドロになって遊んでいましたし、国広さんも怒りはしないかも知れない、そんな気持ちで自宅まで歩き、天正打ち国広の押形を眺め、また別の刀の内曇りを引きました。