当麻

F0FFD8D8-4751-425E-8504-8355922C15F5
短刀、無銘 当麻(附本阿弥光忠折紙)

15回目も大和物。当麻です。
当麻派の在銘作は僅少ではありますが、国行、有俊(含長有俊)、友行、友長などに遺されており、また「当麻」とのみ銘を切る作品も数点確認されています。
それら在銘の当麻派作品には比較的穏やかな出来が多い中、無銘の当麻極めには大和色の中に錵が一段と強く、働き豊富な相州気質を持つ作品が多々あります。
これは前述(尻懸)の通り本阿弥の古極めなどを踏襲した結果ですが、当時はその様な作柄の在銘作が存在したのではないかといわれています。

さて押形の当麻ですが、重ね厚く内反り、板目に柾で地錵厚く、刃中錵づき金筋入り、茎尻は当麻派の特徴である片削風入山形となります(尻懸も近い形状)。
そしてこの短刀には享保名物帳編纂に大きな役割を果たした本阿弥光忠の折紙が附帯しますが、現存する当麻派の享保名物は二口の上部当麻で、本短刀は造り込み及び作風がそれに近く、大変興味をそそられます。



尻懸

sikkake
刀、無銘 尻懸

14回目は大和物、大磨上げ無銘の尻懸です。
鎌倉時代から南北朝時代にかけての大和には、千手院、保昌、手掻、当麻、尻懸と五大流派があり、大和五派と呼ばれています。
大和物に在銘の品は少なくその多くが無銘ですが、少ないながらも各派に在銘の品が残っており、それらが現在の無銘鑑定の基準となっています。
また古来よりの無銘鑑定の掟といいますか傾向もあり、大和物に対してもそれらを総合した判断が行われています。
さて押形の刀ですが、鎬が高く手持ちの重い大和物然とした造り込みに、柾気の強い地鉄、柾肌に絡む働きが豊かな刃文に、尻懸極めの要となる互の目が目立つ出来となっています。



清光②

E262FED8-E363-4D85-B6AC-226FAC1EC3C4
刀、銘 備州長船清光
    天正二年八月日

13回。今回も末備前の清光です。
前回の清光は鎬筋、棟角共に重ねが非常に厚く、重量感たっぷりの造り込みでした。今回は鎬重ねは十分有りますが棟に向かい少し重ねを減じる造り込みがされており、前掲清光より手持ちは頃合いです。(棟重ねの減じ方が著しい場合「棟を盗む」「棟を削ぐ」などと表現します)
地鉄は新刀並に詰み、刃文は切っ先に向かい次第に華やかとなり、皆焼状となっています。



清光①

IMG_0862
刀、銘 備前國住長船清光
    永禄九年二月日

12回目になりました。末備前、長船清光の刀です。
清光は忠光とならび直刃の名手と呼ばれますが、乱れ刃の作品も多く残しています。
末備前には同名刀工が多数いますので俗名によりそれぞれを識別しますが、俗名を冠した作品でない場合、よほど銘字に特徴が現れていなければどの工の作かを特定する事は困難です。
「俗名を冠する作品が注文打ちで、それ以外は数打ち」との解説を時折目耳にしますが、その影響か俗名の無い物は出来が劣るとの誤解も広まっているのではないでしょうか。俗名入りの末備前に名品が多いのはその通りですが、俗名がなくともそれと同等の末備前も多数存在します。



村正②

49AA1292-AAE9-4B27-BE0C-83DCA3A530C6
短刀、銘 村正

11回目も前回に続き村正の短刀です。
これはあまり聞かないと言いますか聞いた事が無いのですが、私は村正の研磨は大変難しいものだと思っています。過去度々村正研磨の機会を頂いて来ましたが、いずれの作品も天然砥への反応がかなり繊細な鉄質でした(当然個体差はあると思います)。
そんな刀ですので見事な研ぎに掛かっている村正に出合った時は、その研師の技量に本当に頭が下がります。内曇砥以降の天然砥石の性質を余程研究しなければ、そういう研ぎは出来ません。



村正①

IMG_0849
短刀、銘 村正

10回目、村正です。
村正は室町時代末期の伊勢の刀工で文亀を上限に同名の継承が数代あるようですが、現存する正真と思われる銘にも様々あり、その代別については確固たるものではありません。
(文亀を初代、天文を二代、天正を三代とする通説が広く知られています)



初代忠吉

F014D039-F70B-4147-BDD0-E3D71B462870
短刀、銘 肥前國住人忠吉作

9回目。慶長新刀、初代忠吉の短刀です。
二代近江大掾忠廣の短刀は稀有であり、それに比すると初代の短刀は多いという事になりますが、他の慶長新刀、例えば堀川国広などと比べると決して多くはありません。これは同じ慶長新刀でも活躍年代に微妙な違いがある事が要因の一つとして挙げられます。



陸奥守忠吉

D5221697-D6FB-4906-ABF4-EA04533A13A1
脇差、銘 肥前國陸奥守忠吉

8回目です。前回の近江大掾忠廣の嫡子、忠吉家三代の陸奥守忠吉です。
この三代忠吉の作品は初代、二代に比べると現存数が格段に少ないわけですが、それは長寿であった父、近江大掾忠廣の代作に長年従事していた事と、父に先立つ事七年、五十歳の若さで歿していることによります。(近江大掾忠廣は享年八十一)
多くの肥前刀工中、人気実力ともに最も初代に迫るのがこの三代忠吉で、押形の脇差も、美しくも強さのある地鉄に錵密度が濃く明るい刃を焼いています。



近江大掾忠廣

IMG_0843
刀、銘 肥前國住近江大掾藤原忠廣
    寛文二年十二月廿二日
    貮ッ胴截断 山野加右衛門永久(花押)

7回目
初代忠吉の嫡子、忠吉家二代目を継ぐ近江大掾忠廣の刀です。忠廣は作刀期間が六十年以上と長く、多くの作品を残しています。
肥前国自体、刀の生産本数が非常に多いのですがその中でも最も多くの作品を残しているのが忠廣で、肥前刀工だけでなく、全刀工を含めても現存作品数は突出しているのではないでしょうか。
作風は直刃、丁子、互の目と数種ありますが、過去の鑑賞や研磨の経験上やはり直刃が断然多く感じられます。



丹波守吉道

IMG_0827
刀、銘 (菊紋)丹波守吉道
(京都帝釈天蔵、南丹市立文化博物館寄託品)

6回目は丹波守吉道。
おそらく二代、或いは三代でしょうか。
直ぐに長く焼き出し、互の目主体に様々な刃を交え、匂い深く錵よくつき、砂流し入り、そして湯走りが縞がかり簾刃風となる箇所が複数あります。
丹波は代が下がると完全な簾刃出来が多くなりますが、初代やこの頃の作品には完全な簾刃とはならず、あくまで”簾刃風”にとどめたものがあり、その過ぎない働きが絶妙な景色となっています。

この刀は南丹市立文化博物館にて開催された「園部藩立藩四〇〇年記念・令和元年度秋季特別展 園部藩の歴史と文化」に出陳の品ですが、その展覧会図録の解説に『刀が納められていた箱蓋裏には「謹上 明和八年辛卯冬十一月廿有五日 藤英常」との墨書きがあり…』とあるとおり、園部藩六代藩主小出英常、京都帝釈天への奉納品です。

南丹市立文化博物館