応永年紀の
八木ノ嶋を
今日は砥石屋さんをハシゴ。
中山のコッパ。
コッパといっても刀研師の言うコッパのイメージではなく、刃物砥石としてのコッパなので、キロ売りの品ではなく一つ一つに面が付いています。 いずれもよさそうな戸前。
大平内曇原石。 20キロ弱か。
八木ノ嶋巣板原石(左)。
八木ノ嶋と言えば以前ブログに載せた事もある右の写真の様な縞摸様やカエルの足模様などの硬い石のイメージでしたが、こんな綺麗な石もあるんですね。
八木ノ嶋の綺麗なのが出たと聞いてはいたのですが、こんなに良さそうだとは思っていませんでした。
少々焼けが入ってしまっておりますが、あまりに魅力的で買ってしまいました。
きめ細かい砥当りに感じたのでちょっと使い方を検討しよう。
京都刀剣入札鑑定会
一号 刀
新刀。 二尺四~五寸ある。 重ね厚く先幅がしっかりしていて重量感がある。 踏ん張りが少なく元幅よりも先幅が広い錯覚を起す(もちろん計測すれば先幅の方が大分狭いのだが)。 新刀でこれだけ長いがまだ磨り上がって居るのか?
焼き幅広く錵付き複雑に乱れる。 鎬柾。
越中か出羽か迷う。 決め手が分からないので、越中守正俊と入札。
二号 刀
新刀。 板目流れ刃寄り目だって柾。 直刃或いは湾れに尖り互の目(頭はさまで尖らず)が規則的に。非常に明るい刃。
ちょっと分からないので後で。
三号 脇指
忠光。 鎬造り。直刃。棒樋に添樋。
長船忠光と入札。
四号 脇指
鎬造り脇指。詰む。箱乱れ矢筈交じり。
三代辺りの金道か兼若の二代辺りか迷う。
加州兼若と入札。
二号も兼若にしてみよう。
加州兼若と入札。
五号 短刀
両刃。長船祐定と入札。
同然
イヤ
当
イヤ
当
二号はまずい状況になった。 尖りの中に少し箱風の物も合ったので少々自信があったのだが。
ここまで整然とした刃が有るとは思えないが他が出ないので、伊賀守金道と入札。
四号、後代金道と書いたところで、「大阪やし国入りや」と言う声を聞いてしまう。
ん~。何号の事かは分からないが、4号しかないよなぁ・・。
忠行、宗重、貞則らを考えるも当たる気がせず。
いつも刃取る時に苦労する矢筈と同じ形なので越後守包貞と入札。
同然
イヤ
当
当
当
二号は京から西に行った人と教えて頂いた。
そう言えば地刃とも全くの典型。 播磨守輝廣と入札。
同然
当
当
当
当
一号 刀 出羽大掾藤原国路
二号 刀 芸州廣嶋住播磨守藤原輝廣 二ッ胴切断可為子孫之重器者也
三号 脇指 備州長船忠光作 永正十六年二月日
四号 脇指 越後守包貞
五号 短刀 備前国住長船祐定作之 天正十年八月日
二号播磨守輝廣、三札目でようやく当りをもらってから、以前支部会に出た輝廣にそっくりな地鉄である事に気が付いた。やはり輝廣はこの鉄なのだ。 以前出た輝廣の持ち主の方に「輝廣はやっぱりこの地鉄ですね、あの時の輝廣そっくりです!」と言いに行くと、「何言うてんねん、あれやんか、あれその物や!(笑)」と。 ありゃりゃそうでしたか、あれその物だったのですね。 全く気が付かず。 以前出た時は一の札で入れられたのですが、”見切った”などと思うのは100年早いですな。反省。
以前の鑑定 支部会員所蔵刀鑑賞会
長刀鉾
只今祇園祭期間中です。
今年は何十年かぶりで前祭(さきまつり)、後祭(あとまつり)に分かれて?と言うのが復活したそうです。
詳しく知らず、すみません。
子供たちと3人で宵山に行きました。
34万人だったとか。
一画からほぼ動けず。
焼きそばと、から揚げとフランクフルトとパイナップルとキュウリとかき氷と・・・。
和牛ステーキやクロワッサン鯛焼きは行列が激しく辿り着けず。娘が楽しみにしていた綿アメは発見できず。そう言えば近年見ていないかも知れない。
人多過ぎで、ずっとちょこちょこ歩きで座るとこ無いし子供と三人で手も口も服もギットギトのべッタベタで。
子供らはきまって「楽しかった」と言うんですが、一日20回以上は手を洗う日々のお父ちゃんの苦痛は分からんでしょ。
勇壮なお祭りのある地域の方からはもしかしたら、「祇園祭なんてあんなチンタラしたもん」というイメージもあるかも知れません。しかし雅なもんも巡行を実際間近に見ると「おおっ」と言っちゃうんじゃないかと思います。
写真じゃ伝わらないんですよねぇ、鉾って実物は大きいんです。縄で縛っているだけなんで激しく揺れますし。
過去記事
入鹿
紀州の南部に入鹿(いるか・いるが)という鍛冶集団がいました。
私の田舎のすぐ近くなんです。 「入鹿荘」
往昔抄にも入鹿鍛冶が載っています。(往昔抄に所収されている物については紀州の刀と鐔に詳しく解説されています)
基本、実戦用の刀だったはずですが、消耗する前に記録に残されたわけです。さすが古刀期の押形集! しかし以前拝見した事がある、入鹿實次の短刀(重刀・加賀大前田家伝来)はただの実戦刀でかたづけてしまえる様な品ではなく、大変素晴らしい出来でした。
往昔抄の「熊野山住」って、最高じゃないですか。しかも応永年紀入りです。
「玉置三所権現」とか入っている刀が眠っていないですかねぇ・・。郷土刀に近い感覚で是非欲しいです。(玉置神社には残っていない) もしかしたら熊野本宮大社などにはそう言う刀が有ったかも知れませんが、明治22年の水害で宝物の多くは流されてしまったと聞きます。刀剣類も現在は残って居ないようです。熊野詣の奉納品等、凄い品が有ったはずですが奉納刀の記録は無いのでしょうか。(ネットで調べてみると、三度の大火や明治の洪水により宝物等は殆ど焼亡流失してしまったそうです。残念)
熊野本宮大社のHPを開くと宮司さんの言葉が最初にありますが、お名前が「九鬼」さんです。
国宝の熊野三所権現長光は九鬼家に伝来した物だったと思いますがその九鬼さんなのでしょうか。
あまり知識が無いのに書いてすみません。
新聞報道
「新島八重の兄「山本覚馬の刀」は捏造 同志社大が勝手に解釈し、企画展で展示」
こう言う内容で報道されました。
知った刀が古い本に載っている事を度々発見します。 持ち主はそれを知らない事が多いのでお教えすると大変喜んで頂きます。
一般に所載品となると市場価格もUPするので販売時は「〇〇大鑑所載」などとして価値を高めるのが普通です。
ですから、その書籍が出た当時はその刀の関係者や最初に購入する人は、この刀はこの本に所載されていると言う事を知っているはずです。
しかし、その次の人に託される時、或いはその次の時にはその事は既に忘れられている場合が多いのです。
価値が上がる事についてでも、ある意味の「伝来」は簡単に途切れてしまうのです。
伝来が鞘書に書かれている事も多くあります。とりあえず、著名な方の鞘書きなら内容を信じるわけですが、それとて所謂ソースは不明な場合が多い。
ただ単に著名な人の鞘書だからと言うよりは周辺状況から総合的に信頼性を判断した方が良いのかもしれません。
しかし付随する史料が乏しい場合も多いので、正直な所は鞘書は全面的に信頼したいとも思うんです。
もしも史料が少なくても正しい事が書かれていた場合、それをダメと言った時点で伝来が途切れてしまうわけですから。
一方で、そんな危うい伝来だからこそ正確さが求められるところでもあると思います。
詳細は聞いていませんが、今回の覚馬の件でも危うく間違った伝来を生むところで、私も間違った伝来を広めてしまって居た事を反省します。
ネットオークションなどをみると、めちゃめちゃな状況ですね。 ごく最近の手による鞘書や折紙の悪い物が大量です。昔からずっと行われて来た事だからと言えばそうなんですが。ちょっとだけ勉強すれば簡単に見破れるものなんですよ。
私は刀の事しか知らないのですが、ちょっとした展示から大々的な展示まで、そこに刀がある場合、それを見ると結構な確立で間違った事をやっています。
世間で言うと捏造に当たるような場合もよくあります。
刀がよほど難しいものなのか、それとも他の分野でも同じように間違いは大量にあるのか、どちらでしょうか。
確かな伝来は正確に後世に伝えたいものです。
往昔抄
先日の剣相の事ですが、所謂後彫、特に傷隠しの後彫が剣相上OKならば多く行われた可能性がありますね。
この部分の傷は災いを呼ぶので梵字を入れるとよいなんて事で。
ちょっと間延びした彫りや不自然な位置の彫物は度々見ます。しかしいずれも若いんだけどなぁ、彫が。
大流行したならば剣相に関わる品がもっと沢山あってもよさそうに思うんですが。
さて、往昔抄がやってきました。(古刀期に書かれた大変貴重な押形本をまとめたものです)
何か調べ物をしていて「往昔抄に」と言う事になりそこで止まってしまうんです。
往昔抄いわれても、んなもんあるかーい!状態だったのですが、出版されてたんですね、それすら知りませんでした。
ま、ふにゃふにゃ文字ばかりで9割9分読めませんので解説書片手に頑張ってみます。
剣相の疵
先日買った「刀剣史料(昭和34年)」をパラパラと読む。
「通俗刀の話 ~意外な武士の迷信~」という記事がありました。
この手の話にはあまり興味がわかずいつもならスルーする所ですが、「相剣書の内容」の文字が目を引きました。
ちょうど「KATANA」の第7巻、「剣相の疵」を読んだ直後だったので。(第27話「剣相の疵」剣相をする若い研師のお話)
”剣相”とは刀の長さ、地肌、刃文の形、疵の位置などによって吉凶を占う事だそうです。
日本刀大百科事典によると、剣相は古刀期から既にあり、江戸中期頃には大流行し江戸の後期にまで及んでいるそうです。
私、研師をやっていながら”剣相”というものがある事をほぼ知らないでおりました。
「刀剣史料」の中で紹介されているものは・・・「鐔際の鎬筋上に疵があれば思いもよらぬ損失をする相があり、如何なる幸運の人なりとも此の刀を帯刀する時は忽ち悪運となり身体を亡すに至る、殊に難病身から離れず、五体の内にいつも痛みのある相である。但し腫物または瘡毒が腰より下に発する事があれば、きまってその痕が終身の疵となる」。
他には「帽子の長き返りの傍に三日月形のあるものは、その人何事によらず心に決する能わず、且つ金色によって二心を生じ不義悪心を生す。なお激しきに至っては焼刃の鐔元まで深く入ったのは女難の相あり。更にその傍に玉焼きのあるは婦女姦淫の相あり」と。
また、剣尺と言う物差しがあり、それを区切って財・病・離・義・官・刧・害・吉など吉凶を占う文字を割り当てる。
それを刀身に当て、疵の部分に合う文字から運勢を判断するそうで・・。(日本刀大百科事典に「剣相の内容は極めて幼稚かつ不合理なものである」とあります通り、実際お持ちの御刀に悪い相が出ていても、あまり気にし過ぎるのはよくないと思います(笑))
この剣相術の流派はかなりの数にのぼり大流行。その波は武士から町人、朝廷にまで及んだそうです。
なんですかこれは! こんなのがそんなに流行っていたのですか。
こんなのがそんなに流行っていたならば、KATANAに出て来る「あらゆる剣相占いを取り入れて大吉相の寸法、刃文を指定して刀鍛冶に作らせたベスト・オブ・ハッピーラッキースウォード!!」と言う物も実際に存在したんじゃないでしょうか?!
日本刀大百科事典にも江戸下谷の国吉の銘に「相剣造」の添え銘、また横山加賀介祐永、天保十五年八月日の作に「亀田氏応需吉剣相作之」の銘が有る事を紹介しています。
研ぎをやっていると、異様な造り込みや不自然な刃文の刀、銘文などに意味の分からない文言や切り付けのある刀にはまま出会います。
それらには”剣相”が関係する品があったかも知れません。
特に京、大坂で流行ったそうなので、そう言うのが得意な三品系などにはあるんじゃないかなぁ。変わった刀ありますよねぇ、三品系の代の下がる刀には特に。
また天然砥石を試す
また刀剣の研磨には一般的ではない天然砥を試す。
違うと思いつつもずっと既存の考えにとらわれて居たようです。
とらわれて居る事は分かって居て、既に抜けたと思っていたのですが、実はまだ抜けられていなかった。
今日は本当に分かったんだと思います。
これからスタートだと言う気持ちが強く起こったので。
刀剣関連古書購入。
最近身近で話題になった郷土刀が載っていてよろんだ。
非常に珍しい品なのだが、当時からやはり珍品として扱われていた事が分かった。
美濃刀大鑑も購入。大鑑物は康継か國廣大鑑以来で久々です。
昔は持っていたのですが今はなく、揃えておきたかったので。
こうして大鑑になるとしっかり掘り下げられ、美濃物の奥深さが分かります。
尤も美濃物の刀剣史は大鑑一冊で済むような物ではありませんが。