滅裂ですが

ちょっと忙しかったので更新も滞っておりました。
お盆の続きをざっと。

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紀伊山地へ突入です。

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久々にお盆に帰省。 車が多くのろのろと何時間も山また山を・・・。

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幾つかの滝を見、数十個のトンネルを通り・・・

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ようやく玉置山麓が見えて来ましたか・・・。

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やれやれ朝9時に出て、着いた時にはすでに日は傾きかけておりました。
山が深いと太陽さんとは早めのお別れです。
20歳くらいの時に、都会のビルの谷間に沈む夕日があまりに大きく、「あれは太陽じゃない」と普通に本気で否定していて笑われた事を思い出します(^-^; (山深い所に住んで居ると通常より大きく見える太陽なんて見たこと有りませんから)
じゃぁあれはなんだと思って居たんでしょうか・・・。 
はっきりとは思い出せませんが、多分都会には意味不明な赤く大きな物体が有っても不思議ではないと思ったんでしょう。
突然話は飛びますが、次回研磨記録はこの短刀をUPします。

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當麻寺(当麻寺)

いつも田舎に帰る時、奈良県R165を南下するのですが、南向き右手に金剛山?!を見ながら山麓に三重の塔が見えるお寺がかなり気になっておりました。
當麻寺です。

大きな地図で見る
刀好きの人ならば誰もが知っている大和国当麻(たいま・たえま)派、この派が従属したお寺がここです。
ちょっと田舎に帰る、息子と二人の旅ですので私のわがままを通す事にして少しだけ寄り道をし念願の當麻寺に行って見ました。
猛暑の中、車を降り歩きます。
二王さんの居る門に。
あまりお寺巡りをした事の無い私の感覚ですが、普通は南向きの門の印象があるのですが、ここは東向きの門から入りました。 

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いつも遠くから見ていた三重の塔が間近に見えます!
一つだと思ってたら二つ塔が有ったのですね。

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東塔、西塔(両塔国宝)。 奈良時代末から平安時代初頭の建築と推定され、これだけ古い東西両塔が現存する日本で唯一の例として大変貴重な事だそうです。
日々見慣れた京都、東寺の五重塔と比べて、素人の私から見ても明らかに古い様式だと分ります。
西側の塔に行こうとしましたが下調べ無しで行った為なかなか近づけず・・・。

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これが限界か(^^) 
しかしより重厚感が増しますね。
東側の塔へ。

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創建当時の材木が少しでも残っているのかどうかは、お寺素人の私には分りませんが、こんな物をおおむかしに造った人々は凄いです。
さてさてしばらく散策しましたが暑くて死んでしまいそうなので門を出て車に戻るとします。

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ざっと拝観しただけなので詳しくは分りませんが、當麻寺周辺で当麻派の刀鍛冶についての解説を見つける事は出来ませんでした。
先ほど、當麻寺の有る葛城市のHPを”ざっ”と見ましたがやはり当麻派の刀鍛冶についての記述を発見しませんでした。
このお寺周辺に鎌倉時代末期~南北朝にかけて、当麻派と言う刀の名工集団が居たと言う事は、せっかく當麻寺を訪れた人々にも知られる事は全く無さそうです。
当麻派の刀の存在を知っているのは刀を好きな人だけの様ですね。 寂しいもんです。
當麻寺を後にし、さらにひたすら南下。
山塊が見えて参りました。  

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紀伊山地。
標高はそれほど有りませんがなかなか厄介な山深さです。



錯視

今日少しバラエティー番組を見たいましたら、「錯視(さくし)」の話題をやっておりました。
目の錯覚の事です。 
夜八時の番組ですのでご覧になられた方も多いかと思います。
例えば、

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この画像ですが、図のAとBが同じ色だと言うのです。
いやいやどう見たって違うやろ!ってな感じなのですが、残念ながらAとBは同じ色なのです(^-^;
疑り深い方は保存して印刷して、カットして、合わせて見て頂いたら分ると思います。
しかし、印刷してカットして合わせる直前まで、やはり全く違う色にしか見えません・・・。 私もやりました(^-^;
先日来拭いを作っておりますが、拭いの色合いも単純では無い面があります。
凄く濃く(黒く)拭いを入れたとしても、刃取りを地味にすれば拭いの濃さはさほど目立ちません。
少し薄めに拭いを終えたとしても、派手な乱刃で刃の谷を深く白く刃取れば拭いは黒く見えます。
濃い拭いに派手な乱刃を派手に刃取ると、拭いはより濃く見え刃取りはより白く派手に見えます。
また鎬地の色も関係します。
鎬地をあまり黒く磨き過ぎると拭いが薄く感じられてしまい、鎬地を薄い色に仕上げると拭いが濃い色に見えます。
地の青みなども、刃取りに関連している場合が多くあるものです。
そしてもちろん刀が持っている本来の鉄色も拭いの上がり具合に大きな影響を及ぼしております。
拭いに関して、なんとか自分の思い描く拭いにならないかと色々と試行錯誤を重ねました。
もう10年以上前になりますが、「本当になんとか私の中に有る拭いの謎を解決したい!」と言う思いから、思わぬルートで入手した、私がそれまでに一番驚愕した性能の拭いとその他数種の拭いをとある会社に成分分析に出した事が有ります。 
私などではよく分らない単位まで成分を正確に分析して頂きました。 一眼レフデジカメが買えるくらい料金が掛かりました(^-^;
さぞかし色々な材料が入っているのだろう、そしてそれが解明されればその材料を入手さえすれば理想の拭いに到達出来るのだ!と期待しほくそ笑んだ事を思い出します。
しかし私が一番理想とした拭いの成分分析の結果はなんと、鉄肌99.9%という様な結果でした。
残りは乳鉢が擦れて混ざった極微量な成分です(^-^;
なんとも思いもよらぬ結果で驚きでした。
当時の私がたまたま一番理想とした拭いがそう言う材料であったと言うだけで、当然それが全ての答えだと言う訳では無いのですが、難しいと感じる様な事も意外と目の錯覚程度の事や、その工程以外に大きな力が有ったりする訳なんですね。
なかなか複雑なもんです(^^)

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拭いのつづき

先日の拭いですが、数日間とにかくひたすら擂り続けました。
そして完成!

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少し試してみます。。。
多分良い具合か。
少し色合いが地味なので一般的な拭い材料を微量加える。
結果、
こうなって、

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こうなって、

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ゴミ箱行きとなりました。
極微量しか加えていませんが、ここまで顕著にダメさが現れる事は珍しい。
しかし結果が微妙過ぎて判断に迷うよりもかなり良い結果が出たと言えます。
それにしても、もっと微量づつ作れば良いだけなんですが、擂った物全部使っちゃいましたので今日からまたやり直し。
その前に、おそらくダメと思われる方のやり方でダメさの確認もしないといけませんのでそちらも進めます。

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これは微量で。
しかしなんとも、ダメなはずの方も悪くは無かった・・・。
と言う事は、良いと思ってた方が大した事無かったと言う事で。
しかし試さないといけないパターンは沢山あるので進めます。



ちょっと久々に

今晩は押形を描きました。
ちょっと久々です。
複雑な刃文だぁ。
刀身は内曇りの途中です。
研ぎ上がってからですと、僅かな事でも擦れ傷などが付いてしまう可能性もありますので研磨にお預かりしている御刀は全て研磨途中か研磨前に押形をとります。(研ぎ上がった御刀でも、慎重に行えば押形をとっても問題は有りませんが念のためにと言う事です)
それと、研ぎ上がりの御刀は表面がツルツル滑って輪郭をとる作業がやり難くて仕方ないのですが、白研ぎ状態だと滑らないので作業はかなりスムースに進みます。
押形は明晩完成予定です。

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拭い作り

先日、高見國一刀匠に鉄肌を頂きましたので、早速拭いを作っています。

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沢山頂きました。これだけ有れば孫の代まで有るでしょう(^^)
鉄肌とは、刀を鍛える時に飛び散る火花を集めた物とお考え頂いたらよいと思います。
まずは陶製乳鉢で叩いて潰し、ガリガリと擂って行きます。(もっと荒い時は鉄乳鉢でガンガン叩いて潰します)

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かなり細かく擂れたら、より細かく擂るため乳鉢を変えさらに擂り続けます・・・。
とりあえず大分細かくなって来ました。
10年ほど目指して来た理想の物になったかも(*^ー^)ノ!?
本当はあまり良いとはされない状態の仕上がりなのですが、私はずっと目指してた出来でして、とりあえず見た目では、初めて目指す物になった感じです。
しばらく擂って後日試しましょう。

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まだ鉄肌100%ですが、必要を感じれば他の物も調合します。



研磨の勉強に

昨日は研磨の勉強のため、兵庫県の高見國一刀匠の仕事場に伺いました。
京都駅から智頭急行スーパーはくとに乗って。

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ガラガラですので先頭の一番前の席に。 ん~息子も乗せてあげたい。
さてさて約二時間で上郡駅到着。
駅まで高見刀匠が迎えに来て下さいました。
山間ののどかの雰囲気の中に広い仕事場があります。
仕上げ場にお邪魔しました。

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うちの3倍は有る仕上げ場です。 
こう言う雰囲気が理想で憧れます。
こんな所に一日中こもって仕事がしたいです。
(画像が悪く、良い雰囲気は全く伝わらないと思います。残念)
多数の御刀を拝見し、さまざまなお話をお聞かせ頂きました。
やらないといけない事が沢山出てきました。
今日から始めます。

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鑑刀中の高見刀匠。



京都支部入札鑑定

平成21年7月19日  京都支部入札鑑定
一号  刀
 少し詰みぎみの肌ですが、全体的にかなり白く肌立つ。 研ぎの影響でもありそうです。
複雑に乱れ、物打ち付近は肥前刀の様な匂い口。 アブの目状にもなる。
帽子崩れ尖る。
なんにも思い浮かばないので後で考えよう。
二号  刀
 細め。 大磨り上げ無銘か。
好みは分かれる所だと思いますが、大変晴れた研ぎで見事。 
直刃。 小沸出来で刃中もよく働き沸える。
表大丸、裏尖りぎみ。
刃寄り柾。 裏には木目や板目がはっきりと出る部分が有るが嫌らしさは全くなし。
地刃ともに冴える。
相州行光と入札。
三号  刀
 反り深め。 腰が開くもあまり間を空けない互の目を全体に焼く。 焼頭沸える。
こちらも晴れた研ぎで刃取りが大変丁寧。 かなりの時間が掛かって居る事でしょう。
重ねが厚い。 棒樋に添樋。
少し互の目を多く焼き過ぎとは思いつつ、応永信国と入札。
四号 短刀
 両刃。 長めで9寸ほどか。  先に行きあまり見幅を落とさずフクラもゴロンとする。
大分先の方でカクンと反る。
姿は新々にも見えるが地刃は古い。 白鞘の柄がかなり短い。
ん~~、どこでしょうか。 渋い所を色々と思い浮かべます・・・。
 個名が分らないので大きく雲林院(うじい)と入札。
五号  脇差
 平造り。 
 横山祐包と入札。
一号は分らないので土佐守忠吉と入札。
 
 時代違いイヤ
 イヤ
 イヤ
 イヤ
 当り
 
 おお。 辛い。
さてさて皆さん大きな声でお話されていたので一号は末相州だと聞こえてしまいました(^-^;
一号 末相州次廣と入札。
二号 やはりこれですか・・・。 古三原正家と入札。 それにしても良い出来です。
三号 長船祐定(末)と入札。
四号 冬廣と入札。
 然
 然
 当り
 当り
 当り
一号  太刀 相州住康国
二号  太刀 備州住正廣作(重要美術品)
三号  刀  備前国長船住彦兵衛尉祐定作
         天正九年二月吉日
四号  短刀 備中国井原住人源□□
         若州住人冬廣作
         所持銘
五号  脇差 備前国長船住横山祐春
         嘉永四年二月吉日
         友成五十六代孫