二字国俊短刀

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短刀、銘 國俊(二字国俊)

35回目です。
二字国俊の短刀は、長らく重要文化財の愛染国俊(28.79㎝)のみとされて来ましたが、近年出現した本刀(21.3㎝)が新たな一口として加わる事となり、そしてその短刀が京都にあると知り押形をとらせて頂きました。
初期来派では来国行にも唯一の在銘短刀(寸延/30.65㎝)として特別重要刀剣指定の品があますが、愛染国俊、来国行寸延短刀といずれも手に取り拝見しました。
本刀を含む三口ともに太刀に見る刃文とは異なる出来となり、全てに少し反りが付きます。
この作風を知る事は初期来派短刀の作域を理解する上で重要で、来国俊以降の鎌倉期来派短刀とは相違します。それを顕示するこの三口の存在意義は大きく、その価値は計り知れません。



直江助信・助俊

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脇差、銘 奉命 直江助俊 同 助信謹造(石切劔箭神社蔵)
慶応元年八月日

34回目。前回に続き、石切劔箭神社様の御刀です。
水戸藩九代藩主徳川斉昭は刀を鍛えた事でも知られ、その作品の茎には葵紋崩の紋章を刻みます。
藩主斉昭の作刀の相手鍛冶を務めたのは直江助政、助共親子で、今回の押形はその助共の子、助信、助俊兄弟の合作刀です。
水戸藩では尚武の気風から刀の実用性への関心が高く、棒試し、巻藁試し、鹿角試し、水試し等の荒試しに耐えた刀を藩士達の指料としたと伝えます。
本脇差は身幅広く、重ね厚く、平肉豊な造り込みで(重量は395g)、正にその想いを形にした作品となっています。

石切劔箭神社HP



横山祐包

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刀、銘 備州長船住横山祐包(石切劔箭神社蔵)
明治三年八月日

33回目は新々刀備前、横山祐包。
祐包は祐永と並び、新々刀期の備前を代表する刀工です。
一時は衰退した備前鍛冶も幕末期には再び隆盛し、一派独特の丁子を焼く祐包の作品も数多く造られました。

本刀は「いしきりさん」として親しまれ厚い信仰を集める石切劔箭神社の蔵刀で、同社には多くの奉納刀が残されています。
新々刀らしく精緻な地鉄に完璧で破綻の無い刃を焼き、祐包の技量の高さが伺える作品です。
祐包には銘に「友成五十八代孫」と切り添える物をみますがその一行から、平安期古備前刀工群より続く備前刀工の誇りと気炎を感じます。

石切劔箭神社HP



大磨上げ無銘刀

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刀、無銘(極銘有)

32回。
茎には古い時代の極め銘がありますが、現代の鑑定では違う見方が適当かと思われますので茎は伏せさせて頂きます。
大磨上げで身幅やや広く、鎬高く、切っ先が少し詰まる造り込み。
押形だけでは伝わり難いところですが、手にすると非常に力強さを感じる姿です。
鎌倉末期頃の千手院、或いは当麻でしょうか。大変魅力のある刀ですので全身押形を採拓させて頂きました。