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古備前

2014年10月24日【ブログ】

研ぎ場にて古備前を拝見する。
古備前は時代で言えば平安末~鎌倉初期の作である。
今週研ぎ場で拝見する在銘の古備前は二振り目だが、この錵出来の刃を見る度に鎌倉末期の多くの名刀も、これには到達出来ていないと感じてしまう。
こう言う違いをもっと分かり易く説明出来ないものか。
TV等のナレーションでこれをいう場合、「とされる」「と言われている」との表現になる場合が多い。
しかしこれでは「昔にしては凄かったんだね」「電気が無いわりにはそこそこ良い物が作られていたんだね」程度で終わっているのではなかろうか。

研ぎは気持ち

2014年10月23日【ブログ】

本日は研ぎ場にて非常に多くの刀を拝見。
中に一振り、内曇を完璧に引ききり長時間下刃艶を入れ、丹念に地鉄を整え、完璧なナルメを行った研ぎがあった。
研師の各工程の気持ちが見えた。

今一度、平成知新館へ行ってみた

2014年10月21日【ブログ】

また行ってみた。
平日でも変わらずの行列。
これから紅葉シーズンにかけて途切れる事はなさそうだ。
会場に居ると、普段は”刀”を意識しない人々が目にする”刀”とはどの様な物なのか、漏れ聞こえる声からわかる。

さて、骨喰藤四郎。
茎の火肌から火災後の刀身状態が想像できる。
火災に遭い、その後の研磨を経ないそのままの刀身を度々見るが、上身もぺらぺらと肌がむけている。
骨喰の彫りもかなり酷い状態であったと思われる。そして更に再刃。
彫りの力が全く無いのはそれが原因であろう。
光徳刀絵図を見ると焼身になる前の図があり、それは今よりも濃密で力強い彫りである。が、押形には寿斎の書付で「切物之内二むら有之故さらへ申・・」とあり、埋忠寿斎が彫りさらえをして居る事がわかる。即ち元々それほど上手な彫ではなかったのかも知れない。
康継の作に「骨喰吉光模」の銘がある骨喰写しが存在する。(また重刀図譜を見ると播磨大掾重高にも骨喰写しがあった)
これは本科骨喰が焼身となる前に写された物である。その彫りは光徳絵図に見る彫りに近似し、骨喰の元の姿が窺い知れる貴重な品である。
そもそもこの彫りは藤四郎吉光が彫ったとは思えないのだが、誰の手によるものか・・。(刀身自体吉光作とは考えられて居ないようであるが)
この異様に幅広い櫃や櫃内の空間の多さは康継が骨喰彫りを写したと言うよりも、元が越前彫りと言われた方がよほどしっくり来る。

少々前置きが長くなった。昨日のブログで「骨喰の彫りは何とかならないものか」と現状の批判めいた事を書いてしまったが、研磨は手を尽くしたのかもしれない。
すべては上記のごとく、焼けたのが悪かった。

平成知新館に行ってみた

2014年10月21日【ブログ】

京都国立博物館の平常展示館、「平成知新館」に行ってみた。
明治古都館(本館)では鳥獣戯画の展示で2時間待ちの行列です。
あんな状態で見るのは辛い。

平成知新館はリニューアルが完了したばかりで美しい建物。
素敵な雰囲気。人が少なければですが。

島津正宗を見に行った。
人の流れにのってツーっと何度か見る。
正宗6振り、郷3振り、藤四郎2振り。

正宗と郷は難しい刀。

秋田藤四郎と骨喰。
可愛らしい銘の秋田藤四郎(失礼な表現ですみません)は展示で度々現物を見る。
吉光の銘は数種あり、厳ついグループと可愛いグループなどある。
以前新発見で話題になった岡山藤四郎は秋田藤四郎と同じ可愛い銘グループに入る。

骨喰の彫りは何とかならないものか。
何度見ても思いますが、こどもが銀紙を貼った様な仕上がりで。
彫り直しがダメならあと少し荒い仕上げに留めれば少しは改善されるかも。
貴重な歴史資料ですから惜しいです。

一号 刀

太刀の磨上定寸ほどか。
表尋常な切っ先。 裏は少し上で切っているため小切っ先風に見える。コンマ数ミリだが刃三つ角を外すと雰囲気がかなり変わる。
細かく乱れる。
横手下から帽子は元来の匂い口、それ以下は総体に潤む。
映り鮮明。映りのほぼ全てが焼き頭に接着。焼き頭より棟方向へ垂直に立ち上がるイメージ。よって、暗帯部は帯状ではなく魚体に現れるパーマーク状となる。
暗帯部と映りでは映りの方が明らかに硬く、映りが高い状態にはっきりと段差が出来る。
薩摩刀ほど大粒で黒い地錵が映り部と暗帯部にも均一に、平地全面に付く。
地錵は映りより更に硬く刀身表面で一番高い層となる。

こういう状態は珍しいと思うが以前拝見した事がある刀で、片山の極めが付いていた。
片山一文字と入札。

 

二号 刀

備前。中期を少し下がる姿かと思う。室町の。
直刃。映る。もやもやと大肌が映るタイプ。自然。
反り、身幅、切っ先、地鉄、すべて忘れて刃だけを見ると少し来風。
もしかして昔出た事があるか?しかし全く思い出す事は無い。

長船勝光と入札。

 

三号 刀

延びる切っ先。フクラ先張るも元来では無い。
新刀風。
綺麗な地鉄。
古刀風。
よくわからず。
長義の形の刃が混じる。
兼長の極めだったりする?

兼長と入札。

 

四号 短刀

反る。複雑な互の目でずずっと焼き下げる。
かなり刃を立てた差込で元来の匂い口の雰囲気がつかみ難いが、本来は今ほどカリカリしていないはず。
末備前と廣賀で少し迷う。備前にしては反り過ぎだが廣賀はいま少し先で細いイメージがある。

源兵衛尉祐定と入札。

 

五号 短刀

細身。重ね厚。細目の直刃。

土佐吉光と入札。

 



国入
イヤ
イヤ

二号は同然に終わりました。
三号は時代が全然違うそう。
四号は二択負け。(本当はそうでは無く、第一に入れるべきであった)
五号は絶対の自信だったので驚いた。

 

三号 祐定と入札。
四号 廣賀と入札。
五号 末の包次と入札。





通り

五号、大和末手掻で通りと来てしまいました。
加賀四郎? 20年弱前でしょうか、加賀四朗コレクターが居られ、数振り拝見したかと思いますがそれ以来見て居ません。
山城?
判者さんが山城の鞍馬関をお持ちである事は知っています。確か過去に三、四振り鑑定に出ており、この短刀は無かったはず。 もう鞍馬は無いと思う。
後代の信国、吉則、吉房、長吉、この辺しか思い浮かばず。

三条吉則と入札。





一号 刀  片山一文字
二号 刀  備前国住長船与三左衛門尉祐定作 天文十年八月日 為銘有り
三号 刀  備前国住長船彦左衛門尉祐定作 天正三年八月吉日
四号 短刀 見田五郎長銘廣賀 永禄五年八月日
五号 短刀 吉次(鞍馬関)

鞍馬関ですか・・。
土佐で完全な札だと思ったのですが。
鞍馬関は思いのほか隆盛したのでしょうか。 しかし長い物は見た事が無い。

IMG_1988

埋忠明寿の刀を見てきた

2014年10月15日【ブログ】

重要文化財、埋忠明寿の刀(太刀銘)、佩表 山城國西陣住人埋忠明壽(花押) 佩裏 慶長三年八月日 他江不可渡之(他へ之を渡すべからず)  刃長 二尺一寸三分半。
先日まで開催されていた刀匠河内國平展は複数回足を運びました。この展示は壁掛けのアクリルケースに遠距離からLEDを当てる方式のため、眼球から10センチ程度の距離で刀身が見られます。 そのすぐ後なので一般的な展示は距離が辛い。
刀好き以外にはそれが普通でしょうが、見たい人には一般的な展示は辛い時代に来ています。どうしても比較したくなるものですし。 照明設備や需要等の関係で簡単では無い問題ですが。

さて明寿。 慶長新刀は素敵です。
太刀でしょうか刀でしょうか。明寿の刀に出会う事は有りませんので意識した事がありませんでした。
太刀銘ですが、慶長新刀ですし一応刀としておきます。日本刀大鑑では「刀」としていますが多数の書籍及び今日見た展示では「太刀」です。
佩表が不動明王と梵字、ダブルカーン。裏は龍。彫りを見られる人が見ればどちらが表か分かるのかも知れません。

展示は太刀置き。かっこいいです。
慶長新刀の見本的な姿。
刀を習う時、「慶長新刀は南北朝の磨上姿」と習うわけですが、あまりそれにとらわれない方がよいと思います。
姿とは切っ先のフクラ、茎の刃方の線、棟の線、肉置き、踏ん張り、茎の全ての線等そして焼き刃バランスと、大変微妙な事で決まる物なので。 慶長新刀は慶長新刀の姿として完成されています。(製作時に南北の磨上刀に対する意識は有ったのかも知れませんが)
単に分類や鑑定の方法として「慶長=南北磨上姿」と言い切るには違和感を感じます。 そんな程度の考えでは慶長新刀の姿は出せませんから。
例えば刀工が造り込んだ姿(焼きも含め)、これを研ぎ崩すのは一見簡単です。しかし、ちゃんと見られる目で見れば、殆どの場合、元の状態がわかります。即ち、最初の造り込みを完全に崩し切る事は難しいのです。 と言う事は良い姿、焼き刃バランスを保っている刀は、焼き入れ、姿直しを終えた段階から名刀なのです。
名刀とは優れた刀工が生み出す物。 当り前ですが案外本当に分かって居る人は少ないのかも知れません。