石切劔箭神社長刀

大太刀(長刀)石切劔箭神社蔵 (2023年、調査記録のため全身押形を採拓)  
 銘 金房左近尉政重作
   奉納御神前御太刀河州同郡大江木積牛頭天王御寳前明暦四戊戌天正月廿三日 摂州大坂住人竹屋五郎兵衛尉藤原正吉敬白
 刃長 99.8㎝(三尺二寸九分) 反り 2.6㎝ 全長170㎝超

(以下、石切劔箭神社様のお許しを得て、神社内での展示キャプションを転載させて頂きます)
毎年、当神社の夏季大祭では神輿のお渡りが行われる。渡御列には、御神宝を捧持する所役があり、この太刀は長年神輿渡御の渡御宝物として大切な役割を果たしてきた。
刀工名は「金房左近尉政重(かなぼうさこんのじょうまさしげ)」。東大阪とは生駒山を挟んで隣の奈良に栄えた金房派の刀工である。金房一派は、鎌倉時代の大和五派(保昌、手掻、尻懸、千手院、当麻)に属さない刀工集団で、室町時代末期に大和の金房カ辻辺に隆盛を見た一派とのこと。宝蔵院の僧兵の為に十文字槍や大ぶりの槍を作っていたようだが、大太刀はあまり見られない。
銘文から室町時代末に政重の手によって作られた大太刀を、大坂住人竹屋五郎兵衛が明暦4年戊戌(1658年)に木積宮牛頭天王社(当社は室町時代から江戸時代中頃まで京都祇園社より牛頭天王素戔嗚尊を勧請し、饒速日尊、可美真手命と合わせ三柱を御祭神としていた為、その時代は木積宮牛頭天王社と記される事が多い)に奉納したものであることが分かる。
室町時代末期には、このような大太刀、長巻が実戦刀として用いられることは少なかった為、作刀されたものの武具として使用されないまま保管されていたのではなかろうか。そして作刀から数十年の時を経て、竹屋五郎兵衛が入手し、当社御祭神に相応しい刀であるとして奉納したのではないかと推察される。この大きさや迫力のある刀身、力強い刀紋などから、奉納者の当社御祭神に対する敬意を感ぜずにはいられない。

石切劔箭神社(石切さん) (ishikiri.or.jp)

本能寺蔵 伝金房

・大和金房研磨



お地蔵さん

京都市内をお散歩していると、お地蔵さんが沢山あります。
それがまぁやけに沢山あって少し歩く度に次々現れ、場所によっては一度のお散歩で何十体と横切る事に。
ネットで検索してみたら趣味で記録している方がいました。
京都のお地蔵さんmap ~西陣を中心に~ – Google My Maps
凄い数ですねぇ。

そのお地蔵さん達、全てではないのですが結構な割合で写真の様にお顔が描かれています。
日々沢山見るので撮る事もあまりないのですが、かなり面白いお顔だったり、何教?!という感じの色使いで思わず足を止めるお地蔵さんも。
私京都生まれじゃないですし詳しい事情を知らず、近所のお爺お婆が良かれと思い勝手に塗っているんだろ程度に思っていたのですが・・・。
これは「化粧地蔵」といってちゃんとした風習だそうですね。全然知らず誤解していました。。
毎年の地蔵盆で子供らや当番の人がお顔を塗り替えるそうです。そういえば近所の駅前のお地蔵さん、度々お顔が変わっているなぁと思っていましたが、そういう事でしたか。



苦しい事は記憶に無い

大太刀や長刀に大薙刀など、分割してスキャンした全身押形をPCで繋げていたのですが、改めて考えるとよくこんな大変な採拓作業をやったなぁと。。

全長170㎝超の長刀

今まで深く考えて来なかったのですが、おそらく集中して何かをやっている時の記憶はあまり残らないタイプなのかもです。
だからか、あの時のあの押形は大変だったぁなんて記憶は無いです(出先での採拓だけは何故か全ての作業について鮮明に覚えています)。
でなければかなり大変な全身押形採拓ばかりやろうなんて思わないし、苦しい作業の多い研磨仕事も一日過ぎれば何事も無かったようにまた研ぎ台に上れないですし。色々都合の良い記憶の構造です。



大和物

在銘大和物の古い太刀の全身押形を2口採拓。
以前は大和物の押形は比較的簡単だと感じていたのですが、今回は2口とも難しい。

うち1口の研磨が非常に良い。おそらく某派の研師の研磨。
昨年来この研ぎをやりたく、色々試して来ましたが出来ず。
極最近このタイプの研ぎをする方とお話しましたが、仰る事は普通の事。ちょっとお話を聞くだけで出来るなら修行は要りません。(もちろんどうやっているかを聞けるなんて思っていません)
何年も何十年もかけて完成された技術をポイッと教えてもらえる人は、その凄さを分かっていない事が多い。
今の100倍感謝した方がいい。

押形とは別の大和物の在銘太刀の研磨。
これは貴重な体験で、普段の大和風では全くなく。西風。
てか西なのかも。



3月支部鑑定

都合により入札出来ず。

1号 短刀  銘 信国
         応永三年八月日
2号  刀 無銘 信国(南北朝後期)
3号  刀  銘 廣幸(平安城弘幸)
4号 脇差  銘 城州住政国
5号 脇差  銘 於大坂和泉守国貞作之

今回は南北朝後期の信国と応永信国の出題(応永の方は源左衛門尉と式部丞以外の信国です)。初代信国以降応永迄の南北後期信国は複数居ます。初代は基本直刃か湾れを焼きますが、応永信国のあの特徴的な互の目は既に南北後期から現れ始めています。
今回出題の南北後期信国も既にニコイチの互の目が始まっては居ますが、未だ明瞭ではないという作風でした。応永信国は応永然とした作風。2口並ぶ事により両者の違いや共通点を比較する事が出来ました。
廣幸は弘幸の後期銘です。堀川物らしくザングリとした肌で、刃文は国広に近く大変出来の良い作品でした。
城州政国は国広の弟国政の弟子といわれ非常に珍しい作品。入札鑑定の出題刀としては難易度が高いですね。



4月支部鑑定

1号
3尺超。少し細身で反り浅い。よく詰む綺麗な地金。互の目と湾れ。寛文新刀の姿をそのままグンと延ばした感じ。
これ、以前並んだ事が。(後で調べたら2017年に鑑賞刀として出ていました)
”覚えていてよかったぁ、知らなかったらめちゃくちゃ苦しんだはず”・・・と思ったのですが、改めて考えると安定に似た刃文なのかも。
紀州安重と入札

2号
刀、長寸、反り浅、大鋒、互の目。
新々刀の所謂勤皇刀スタイル(大鋒は少ないとは思います)。
互の目の雰囲気から、江戸系とは思えず。
新々刀勤皇刀によくある刃文だが、私には絞り込む能力がなく。
当たっているとは思わないが、水戸に。
直江助政と入札。

3号
脇差、鵜首造。湾れ互の目、返り長く焼き下げ、全身荒錵。
水田の錵だが地鉄が良く詰んで無地風。以前研磨した呰部水田がどれも詰んでいて研ぐのに苦労した経験があり、水田で詰んでいると呰部に行きたくなる。
水田為家と入札。

4号
小振りな脇差。本造。大互の目、向かい合う箇所あり。
助隆によくあるサイズでこのサイズの助隆を何度も研磨した経験があるが、錵の滑らかさが少なく多少バサケる気がし、他の人にしてみる。
長運斎綱俊と入札。

5号
短刀。焼き出し、簾刃風。詰んだ地中に板目や杢目が肌立ち目立つ箇所が広範囲に。
丹波守吉道と入札。


当同然
当同然
当同然
同然

1号 刀  銘 紀州住安重 
2号 刀  銘 原田寿賀造 藤原永壽佩刀
        慶応二年春二月於平安宮本包則鍛之
3号 脇差 銘 備中国水田住大与五国重作
4号 脇差 銘 尾崎長門守藤原助隆
        享和二年八月日
5号 短刀 銘 山城国藤原吉貞

2号は宮本包則でした。今回は勤皇刀スタイルを作る刀工に入札すれば当同然にして下さったそうです。
今まで見た包則の刃とはかなり違い、銘も初めて見る草書銘で貴重!
4号は尾崎助隆。同じ刀工の作品でも地刃の出来は個体差が出るのは当然なので、入札鑑定では地刃の出来と造り込みのどちらを優先するかとなった場合、造り込みを優先する方が良いのかも知れない。今回の助隆や、藤島、親国などの様に造り込みでピンと来た場合、作風が多少違っていても負けたらダメという事で。
5号、丹波じゃなくて驚いた。丹後守兼道や大和守吉道などの簾刃は度々見るが、そもそも吉貞って初見。




本能寺「名刀展」

明日4月19日より、本能寺 大賓殿宝物館にて「名刀展」が始まります。
以下出陳刀剣の一部です。

太刀  銘 光忠(重要美術品)
太刀  銘 包平(特別重要刀剣)
太刀  銘 国宗(特別重要刀剣)
 刀 無銘 貞宗(重要刀剣)
 刀  銘 備前国住清光作之 
      天文二十三年八月日(特別重要刀剣)

また、新たに多数の全身押形を展示して頂く事になりました。
お近くにお越しの際は是非「本能寺大賓殿宝物館」にお立ち寄りください。

全身押形の展示リストは以下の通りです。

・ 刀 名物 稲葉江(国宝)
  (金象嵌銘)天正十三十二月日江本阿弥磨上之(花押)
        所持稲葉勘右衛門尉
           柏原美術館蔵 
          (2023年、調査記録のため全身押形採拓)

・太刀  銘 備前国長船住人真光(上杉三十五腰)(重要文化財)
           京都国立博物館蔵
          (2024年、調査記録のため全身押形採拓)

・ 刀 額銘 国俊(二字国俊)(重要文化財)
           個人蔵     
          (2023年、調査記録のため全身押形採拓)

・太刀  銘 助包(重要文化財)
           個人蔵     
          (2020年、研磨修復に際し記録として全身押形採拓)

・ 刀  銘 肥前国住近江大掾藤原忠広
           京都国立博物館蔵
          (2023年度、京都国立博物館修理事業の際、記録として全身押形採拓)

・脇差 朱銘 貞宗
       本阿(花押)
           柏原美術館蔵

・短刀  銘 源清麿(おそらく造)
       弘化丁未年二月日 依鳥居正意好造之
          (2023年、調査記録のため全身押形採拓)

・短刀  銘 村正
・太刀  銘 景助(古備前)
・脇差  銘 相州住正広
       文明元年八月日
・短刀  銘 助弘(福岡一文字)




本能寺「名刀展」

明後日、4月19日より、本能寺 大賓殿宝物館にて「名刀展」が開催されます。

展示リストはチラシをご覧ください。



備前物の全身押形を採拓

備前南北朝期。
備前物の押形採拓を減らそうと思っていたのですが、やはり数が圧倒的に多くそして名品の率は他国を大きく上回るので、結局押形採拓率も上がってしまいます。



肥前刀

以前、柴田果の肥前刀観の事を少し書いたことがありました。
 柴田果の肥前刀観
昭和26年、刀美第10,12,13号、柴田果の「刀匠は斯う考へる」の一節。
『第一に品が良い。垢ぬけがして、すべてに無理がない。刃味がよい。自由に焼刃を渡している。それでいて、これ見よと言うような衒気がない。まことに精品という感じである。其上に、刀匠は幾代も上手が続いている。』
残念ながら刃味の事は判りませんが、正にその通りと誰もが思うところだと思います。
続いての文章。
『次に最も重要なことは、製作されている数量もまた相当に多い。そして、作品に例外というものは餘りない。この事も私の好きな理由の一つである・・・・・・というて、此例外なしと言うことは、精良なナイフ工場が作るナイフの如く画一的のものと言う意味ではない』

上記リンクの以前のブログでも書きましたが、肥前刀の生産量はかなりの数に上り、例えばネットで近江大掾の刀を検索すれば際限なく出てくるのではないでしょうか。とにかく作刀数は膨大で、しかもそのどれもが非常によくできている。こんな刀工は刀剣史上他に例がありません。
それだけ沢山ありますので肥前刀を研磨する機会も多く、研磨記録ページにも押形を多数上げさせて頂いております。

全身押形を整理したのでまた幾つかを。

肥前国住人源忠吉(初代)
通常は藤原ですが「源」姓を名乗る稀少例。


肥前国忠吉(初代)
五字忠吉銘で大和物を狙った作品。この手の初代に頗る出来の良い名品をみます。


肥前国住人忠吉作(初代)
時代の影響で、肥前刀の短刀は少ないですね。


肥前国住近江大掾藤原忠広(二代)
柴田果さんは刃味が良いと言っています。よく斬れたのでしょう。いや、よく斬れるのでしょう。
この押形、鑢の際もぼかしていませんし、金象嵌も色鉛筆だしと、ざっくり描いた記憶がありますが、久々にみると刃文がちゃんと近江大掾に見えますね。正に自画自賛ですが。。
差し裏腰のピョコんと刃中が丸くなる箇所。肥前刀の直刃によく見る現象です。


肥前国住陸奥守忠吉(三代)
肥前刀の人気は、初代、三代、初代後期武蔵大掾、近江大掾の順だと思います。もちろん人それぞれではありますが。


肥前国陸奥守忠吉(三代)
脇差にも名品多数です。短い故に完成度はさらに高まりますし。


刀、肥前国忠吉 脇差、肥前国忠吉(両者八代)
柴田果さんの「其上に、刀匠は幾代も上手が続いている」はこれです。
肥前刀の初代、二代、三代の作品と後代作品を、銘を見ずに判別できる人がどれだけいるでしょうか。


刀 銘 肥前国住近江大掾藤原忠広(二代)(2023年度、京都国立博物館修理事業に於いて記録として全身押形採拓)
先のブログはこの刀の研磨の前でした。
柴田果の「精良なナイフ工場が作るナイフの如く画一的のものと言う意味ではない」との言葉。
私はむしろ肥前刀は画一的な物だと思って来たので改めて考えながら研磨したわけなのですが・・。
”画一的”を辞書でみると「何もかも一様で、個性や特徴のないさま」とあるので、これはまず当たらないですね。
しかし技術の安定、それぞれの刀の鉄質の均一性に関しては画一的と言いたくなるほどのレベルです。
こんな刀工集団はやはり他に例はありません。
肥前刀の研ぎ味に関し過去にこんなブログがありました。

肥前刀の事 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)

やぁ面白いですねぇ肥前刀。
この近江大掾の研ぎ味は以下の通りです。
仕上は差し込みでしたが、過去一番好きな仕上りとなりました。
ただ、この次に差し込みをした刀で、この拭い材料の特性をようやく理解しましたので、次回からはまた違った仕上がりに到達できると思います。
研磨諸々 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
肥前刀、内曇を引く | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)