破天荒女

数年前85歳で亡くなった伯母は若いころ女優さんでした。
私が知る伯母は、とにかく華がある”東京のおばさん”。いつも知的で明るく、冗談を言っては軽く踊って見せてくれる人。
小さいころから”伯母さんは女優をしていた”とは知っていましたが、次第に「なぜ?どんな経緯で?」との思いを持つようになり、しかし直接聞く機会もなく。。
ある時、古本屋の古い週刊誌に伯母の写真を見つけ購入。そこには東京のおばさんの一番華やいでいた頃の姿が。
以来伯母が載っている週刊誌や映画雑誌、エッセイ集などを見つけるたびに買っていたら、20冊を超えていました。
なぜ?どんな経緯で?を直接は聞けませんでしたが、古本屋に並ぶそれらにはその”なぜ”が書かれていることも。

(写真は映画のパンフレットから)
作家の野坂昭如さんとの対談が掲載された本がありそれによると、十津川の家を出たのは14歳、1949年ごろ(昭和24年)で単身大阪へ。
当初は美容師を目指していましたが、歌とダンスが好きでダンサーとなり上京。
ただその後の仕事ぶりには「なぜ?」の疑問が増してしまうのですが…。
まずショーダンサーとして独りハワイに渡り、それからニューヨーク、ラスベガス、ロサンゼルス、ロンドン、ローマ、東南アジア諸国等々で踊っていたそうです。その後、アメリカ・イタリアの合作映画に出演。帰国後は日本でドラマや映画などに出ていたと。
因みに伯母は身長165~170㎝(記事により様々ですがたぶん実際は160台後半)と当時の日本人女性としてはかなりの高身長でグラマラスな姿態。野坂さんはそんな伯母のことが大好きだったそうで、野坂さん本人も書いていますが他の雑誌にも野坂さんをはじめ様々な文化人との交流話が度々出てきます(どこまで本当か分かりませんが)。
伯母に関してもですが、昔の記事には若かりし頃の私の父がちらと出て来ることも。
父は五人姉弟の末っ子で、次女の伯母は8つ離れた末っ子の父を一番可愛がっていたそうです。
東京ではバンドマン(ドラマー)をしながら伯母の付き人をし、姉弟二人でアパート暮らしをしていた事などが記事に。
そういえばその当時の話は殆ど聞いたことがなかったかもです。

私の祖父は父が2歳の時、大阪湾で戦死しています。なので父は祖父の顔を知らないのですが、伯母はその時10歳。
父親の顔を全く知らず別れをむかえるのと、10歳で父親との別れを体験する事とどちらが不幸なのでしょう。
それは私には分かりませんが、伯母が郷里を出た理由には強く関係しているのではと想像します。てか、出た理由もその後の人生も、私みたいな人間には想像しきれるものではないか。。
雑誌に掲載される帰国後ある程度年齢を重ねた頃の写真には(年齢不詳で通していたようですが)、やさぐれ感を演出したものがあり、煙草を吹かす姿が印象的。
私が知らない伯母の強かで破天荒で、グラマラスでかっこいい写像がそこにあります。
YouTubeで土方歳三の生涯を語る動画をみていて、私の身近に居たかっこいい人の事を思い出したので書いてみました。




硬い末古刀

硬い末古刀の仕上げ。
とにかくひたすら硬く、内曇りが効きづらい。
こういう刀は地肌が良く出る事が多く、今回も細かく地沸が付き、シャキッと簡単に晴れる。
ただ刃艶が効かないのでよく選ばなければならず。刃文もとりとめのないもので、どう拾っても美濃新刀のようになり、いかん。(美濃新刀が悪いということではなく)
少し前にも同様に硬い刀の事を書いた気がして検索したら1月ですか。7月くらいかと思っていたら。。時間間隔がバグっています。
諸々 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
↑ここにも書きましたが、今回も砥当たりだけじゃなく、持って硬い刀。

眠い刀を「物ぎれしそうな」と表現する場面に度々でくわしますが実際どうなんでしょうか。
眠い刀で畳表を切ろうとした人を二人知っていますが、どちらの刀も全く切れずでした。切断出来ず途中で止まります。
重さ尋常、刃は普通についていますし、平肉も普通か少し無いくらいです。なので形状や研ぎの問題ではなく、おそらく刀の硬度の問題なのでしょう。
もちろん切断できれば良いわけではなく、折れない事の方が重要なのかもですが。





古い差し込み研ぎを拝見2

少し前、過去何度か拝見している刀ですが、差し込み研ぎで有名な研師が研いだものを久々に拝見しました。
古い研ぎ。多少のヒケや曇りは有るが状態は良好。
色々考えながらじっくりと何度も拝見。とにかく上手い研ぎで、以前拝見したときの感想をブログで確認してみました。
古い差し込み研ぎを拝見 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
今回の感想と寸分たがわず同じでした。。
7年前なんですけど。全然進歩していないんでしょうか。。

マーティンと一緒に拝見した時のこともありました。
「兼宣作」 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
その後も色々試しているのですが・・・。

でまた今回も試していましたら、古研ぎに見るトロトロの差し込み研ぎが完成しました。
グーグルマップ・浄拭 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
このブログの後半で「本阿弥の三事」についての意見を書きました。それはあのトロトロの差し込みがどうしても解明出来なかったからですが、解決です。鉄肌拭いとは原理が違うのでしょう。差し込み拭いの驚くべき効果を始めて体験しました。



『「愛宕山は砥石山」愛宕山砥石を知る人々の証言』

『「愛宕山は砥石山」愛宕山砥石を知る人々の証言』DVDをお送り頂きました。
“日本刀”は、愛宕山周辺を始めとする京都産天然砥石が無ければ完成しません。
現在我々が刀の美しい地肌や刃文を鑑賞できるのは、京都産天然仕上げ砥石があってこそです。
#8000,#10000・・・と粒度の高い人造砥石はいくらでもありますが、単に粒度の問題ではないのです。
天然仕上げ砥石のみが持つ特異な性質が刀に作用し、極めて精緻な研磨技術が発達、そして日本刀独自の鑑賞文化が生まれました。

今、愛宕山周辺の砥石鉱山は極一部を除きほぼ全てが閉山状態。
刀剣鑑賞文化の継続が危惧されるところです。
この映像記録作品には、まだ盛んに採掘が行われていた当時の採掘職人さんや、その仕事を支えていた周辺の方々の貴重なインタビューが収録されています。

ちょっと話が逸れますが・・・。
当時の採掘現場では、作業により傷んだタガネや矢(バール)をその場で鞴(ふいご)と炭を使い修理しながら使用したというお話がありました。刃がこぼれたり潰れたりしたタガネをそのまま研ぐのは大変なので、焼きなましてから研磨、その後再度焼き入れを行うのでしょう。
戦が頻繁だった昔、傷んだ刀は戦場で再刃されたであろうというお話を聞くことがありますが、その通りかもですね。



大和金房研磨

しばらく前、錆身で極一部に光る箇所をみる刀がありました。
僅かに覗く地刃からは錵の明るい激しい出来が確認できます。
身幅は4㎝以上あり、鎬が高く、長寸、超大鋒の豪刀。
無銘で長い茎。茎の錆は浅くまだ全体に銀色味を残し、新々刀の生ぶ無銘かと。
錆び切り~細名倉まで、完全に無銘新々刀のつもりで研磨を進めたのですが、内曇りを引き始めた直後、古刀だと気が付き。
錆び切りから内曇りまで新々刀と思い込み古刀と気づかないなんて事はめったにありませんが、とにかくこの刀は見誤りました。
造り込みの巧みさに加え地刃が殊に素晴らしく、ここまで出来た物に出会った経験はありませんが、金房の特徴が顕著でしたので「新々刀だと思っていましたが金房だと思います」とお伝えし納品。(その後鑑定で金房に)
金房刀は度々研磨しますが、時に大変豪壮な刀に出会います。
↓これらもその例です。
金房 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
石切劔箭神社長刀 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)

今回研磨した刀は金房の正真。
刃長は二尺四寸九分(75,3cm)と少々大きい程度ですが、元幅が39,1(40,6)mmあり、刀身重量は1197g。
仕上研磨で手首を痛めました。。