明るさなど

京都国立博物館にて、調査研究のため某太刀の全身押形採拓を行いました。
京博さんでの出張採拓作業は何回目でしょうか。。何度かおこなっていますが、前回からはもう何年か経過しています。
この何年かの間に、私の目は光量が少ない場での押形採拓が厳しくなっていました。
京博さんの作業スペースは決して暗い場所ではないのですが・・・。
刀の刃文を見るライトに加え、手元の光量を上げないと描いている刃文が見えないです。
大覚寺さんの太刀「□忠(薄緑)」の全身押形採拓は大覚寺霊宝館の前室で、光量がかなり少なく苦労しましたが、ビデオライトを2台持ち込んでなんとか作業をこなしました。
かと思えば先日の「稲葉江」では非常に明るい場所で採拓をさせて頂く事が出来たのですが、自然光であったためか、描いている刃文の見え方が普段とは異なり苦労をする事に。光の量もですが、質も大きく影響してしまうようです。
研磨実演や出先での研磨でも、光の質が普段と違い非常に苦しむ事があります。苦しむというか、ほぼ見えない事も度々で。これは年齢・視力に関わらずですね。研磨で”見えない”という場合、鑑賞とはまた別次元です。刃文の働き、刃の明暗、地鉄のタイプ等々、そういう物は見えていますが、それらとはまた別種の物が見えない訳です。それでも実演などならこなす事も可能なわけではありますが。
そう考えると出張での押形採拓は研磨実演より遥かにシビアです。手元が見えなければ苦労しますし、刃文が見えなければ作業は不可能です。
次回また続きの作業がありますが、ビデオライトを持って行きます。