平安城安廣

脇差、銘 平安城安廣於紀州名草郡和歌山作之

53回目も紀州刀、紀州石堂の安廣です。
石堂派は近江国の発祥で、江戸、紀州、福岡(筑前)などに移住し繁栄しており、安廣も近江国より移住した一人です。
安廣は紀州の藩工として活躍していましたが正保元年に御役御免となり、門弟或いは嫡子と考えられる安定(大和守)とともに江戸に出ます。安定は江戸にて大いに活躍、安廣は京都に移り作品を残します。
安廣の活動実態や足跡は未だ不明な点も多いのですが、近年では南紀重国との関係が注目されています。
以前もブログに書きましたが、(https://kyoto-katana.com/archives/5807/)今回の安廣も茎仕立てや目釘穴の大きさ、そして脇差にも関わらず重量が760グラム以上という異様なほど頑強に造り込む点など、やはり重国との深い関係を感じます。
銘に「平安城」を冠した晩年の京都時代の作品ですが、「於紀州名草郡和歌山作之」と切っており、安廣の晩年の足跡を知るうえで大変貴重な資料です。