奉納 賀茂御社 越中守包國

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短刀、銘 奉納賀茂御社 元禄十二年七月十三日
     願主 高橋就⬜︎ 大和住越中守包國作(賀茂別雷神社蔵)

5回目も、前回、前々回に続き、賀茂別雷神社(上賀茂神社)に伝わる奉納刀です。
この短刀は銘文にある通り、大和国の刀工越中守包國の作で、元禄年間に賀茂御社に奉納されたものですが、驚くべきことは、焼入れ後一度も研磨をされず、打卸状態のまま現在まで保存されていることです。
当然ですが刃も付けられておらず、刃の厚みは刃区部で約1ミリ、切っ先は2ミリ程の厚さが残っています。
茎の錆も概ね浅く未だ鈍い光を放ち、現代の新作刀打卸となんらかわりはありません。
祇園社(八坂神社)に奉納された出羽大掾國路の剣(承応三年紀/研ぎ身/重要文化財)も未だ茎にかなりの光を残しますが、奉納刀には時にこの様な品の出現がみられ、その特殊性から当時の文化の一端を窺い知る事が出来ます。
賀茂別雷神社HP



兼氏(室町時代)

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太刀、銘 兼氏(賀茂別雷神社蔵)

4回目。
この太刀も前掲に続き、賀茂別雷神社への奉納刀で国指定重要文化財の社務日誌に同社への奉納記録が残る品です。
太刀銘で兼氏と銘がありますが、刀身は室町時代の作と思われます。
しかし出来はよく、板目の流れる古風な地鉄に明るく働き豊富な刃を焼いており、直江志津を一段と華やかにした、その様な出来となっています。

賀茂別雷神社HP



吉則(後三条)

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短刀、銘 吉則(賀茂別雷神社蔵)

3回目、山城国三条吉則二字銘の短刀です。
三条吉則は複数代あり、日頃目にする吉則の殆どが室町時代中期以降の作です。
この後代吉則は各地に駐槌し、和泉、三河、越前などの出先打ちを残しています。
さて本作は吉則二字銘で、南北朝時代末期乃至応永にかけての姿。
疲れはありますが未だよく詰み美しい地鉄を残します。
銘、姿、出来といずれも現存する三条吉則最初期、応永頃の物に合致し、賀茂別雷神社(上賀茂神社)に残る社務日誌(国指定重要文化財)に同社への奉納の記録が残る貴重な短刀です。

賀茂別雷神社HP



守次(古青江)

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太刀、銘 守次(古青江)

2回目は古青江守次の太刀。
長寸で反り深く、生茎在銘、堂々とした太刀姿です。
現在でも十分手持ちの重い太刀ですが、茎の幅や重ねから、元来はかなりの豪刀であった事が想像できます。



則縄(福岡一文字)

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太刀、銘 則縄(福岡一文字)


長らく研磨記録ページへの押形UPを行っていませんでしたが、準備が出来たものから順次UPさせて頂きます。
まずはブログページに。

1回目は福岡一文字則縄の太刀です。
生で雉腿茎。
腰反りの太刀姿が美しい。
全身押形一番の利はこの姿が分かる事です。



無題

気が付いたら一ヵ月以上更新してませんでした。
日々研磨に勤しんでおります。

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先日、天然の名倉と細名倉と思われる砥石を頂戴しました。
大変貴重な石で有難いです。
中、細名倉は八年間ほど天然を使っていた時期がありますが、その後人造派に転じました。
久々にじっくり天然を試してみたいと思います。

某御宮様の御神宝の復元刀の全身押形を描かせて頂きました。
御神宝そのものと、復元刀の影打ちは既に描かせて頂いておりますが、大変光栄なお仕事です。

某御宮様ご所蔵の名物刀剣写しの全身押形を描きました。
本歌も以前描かせて頂いており、記憶が蘇ります。

賀茂別雷神社様(上賀茂神社)御所蔵の奉納刀研磨の様子を新聞に掲載して頂きました。
奉納刀三口の全身押形も作成。重要文化財の社務日誌に奉納の記録が残っており貴重な資料です。

2年半ほど前から刃文を描くのに青墨だけを使って来ましたが、先ほど久々に普通の墨(茶)を使ってみました。
長い修行から帰って来た気分です。次からは茶墨に戻します。
砥石もそうですが、ちょっと使ってダメだと判断してしまうと何年か後にその判断の間違いに気付く事があります。時には20年以上経ってからそれに気づく事も。
今回は2年半使ったのでもう大丈夫だと思います。
長い旅でした。。

 



断面の

応永移住系信国を鋸で切っていて、前から確認してみたかった事を少し。

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少々研ぎの処理が不十分だが、本などで度々見る刀身断面。
この手の画像は刀身構造の解説などでよく見かけるが、縦方向の断面を見たく次の加工を。

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棟側から卸して研ぎ進め、内曇りとナルメの後少し酸処理。
画像1の構造なので棟から研ぐとこうなっている。
写真にある刀身の両サイド、刀身表面(平地)付近の鉄は酸処理により少し黒い色になる。これは焼きが入っているという事。
皮鉄として別の鉄だからではなく表面なので焼きが入っているからだと思う。

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白熱灯に透かす。
うねる柾目。何層なのか数える事も可能。白い肌、グレー、黒い筋の混合。
ただこれはあくまで縦断面で、普段目にする刀の地肌はこの横の面(平地)。
うねって飛び出した部分が表面に出ると杢目や板目になる。そう単純じゃないとは思うが。。

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軽く地艶を。
先ほどの分かりやすい層は確認し難くなった。普段の研ぎ工程と同じ現象。

ここまでの肌は、研磨処理により現れた肌。
鉄の合わせ目は以下の画像。

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鋸による切断面には研磨後は見えなくなる鉄の層が見え、この状態で全身に、ほぼうねらず真っ直ぐの合わせ目となる。
この画像では白黒12層に見える。左から白で始まり右端は黒で終わる。
白、黒、それぞれがほぼ同じ幅。
研磨で現れる肌とは別の物といっていい。

 

 



古一文字の

研ぎ上げた在銘の古一文字。腰の崩れ方が表裏共山鳥毛に少し似る。
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以前撮っていた粗い携帯画像ですが。
この崩れ方、似た症状で面白い。が、同じ作者だと言いたいわけではないです。



獨逸鋼鉄

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短刀、九寸五分。
銘 於東京高輪以獨逸鋼鉄 胤勝
  明治三十六年五月

”ドイツ鋼鉄”。凄い響きです。
今まで研磨させて頂いた中の硬さ最強刀は、京都国立博物館蔵の短刀でした(銘 大阪住高橋晴雲子信秀七十五歳作 於京都帝国大学鍛之 大正六年十二月吉日 https://kyoto-katana.com/archives/6775/ )。
しかしこの胤勝短刀はそれ以上だと感じます。
硬い鉄は同時に脆さも持ってしまう事が多く、硬過ぎると研磨の時に刃こぼれで苦労する事もしばしば。
しかしこのドイツ鋼の胤勝、天然砥石を完全拒否する鉄質ながら、刃こぼれの心配は一切必要なし。
獨逸鋼鉄最強です。
この一門は近現代の刀工流派中特に鉄に詳しい人達ですし、当時様々な質の刀が生み出されているようです。



日刀保京都府支部2月入札鑑定会

一号 刀

反り少し深い。全体に反る。身幅広く重ね厚め。棒樋鎺上丸留め。切っ先フクラ強めに張る。
地鉄詰み気味で若干肌立つ。
広めの中直刃。刃中、丁子足、葉が多く入るも少し寂しく感じる。下半匂い勝ち。上小錵。帽子深め。結構深い。先丸。
ぱっと見の刃の具合は末備前か中島来。 焼き出し付近の焼き幅が若干狭まり、大磨上げにも見えなくも無いが生かほぼ生だと思う(鎺上丸留めの棒樋でも大磨上げの場合があるが、これは違うと思う)。
末備前と思いたく再見するも、上半の錵付き方がやはり末備前ではない。が、葉は完全に末備前。
大磨上げ風だが実は生という無銘中島来をなん振りか見た事があり。。地鉄は違うが、無銘の極めの範疇ではあると思う。
中島来と入札。

 

二号 刀

反り少し深い。先も反るが腰反りが勝ち、美しい姿。身幅少し細め。草倶利伽羅や樋中梵字浮彫等。低めの焼きに始まり、上半は鎬に達し華やかで皆焼風。帽子は一枚になっていると思われる。三棟。
持った瞬間は末相州。しかし信国がこう、掻き分けて出て来る。。信国典型の刃の特徴はゼロ。ただ何故か信国を彷彿。彫り物に引っ張られているのかなぁ。。いや多分、姿がそうなんだと思う。ちらっと見た2,3も山城なので、1234と山城という事か~。
信国と入札。

 

三号 脇差

少し寸のつまる鎬造りの脇差。反り浅。中鋒延びる。棒樋を鎺上で丸留め。両チリ(両チリの樋でここまで端正な物はめったにないと思う)。
地鉄最良。湾れに互の目。密度が非常に濃い匂い。よくいう”地刃ともに明るい”という出来。
何度か出ている堀川国広だと思う。やはり大変良い刀。過去拝見した時はザングリ感がゼロだと思ったが、今回はその風を少し感じ、再見が嬉しい。
堀川国広と入札。

 

四号 短刀

片切刃(表平、裏切)。平に素剣、切刃側に護摩箸、梵字
完全にザングリだが研ぎの影響もあると思う。匂い口の密度が高い刃文。湾れや互の目で。低い焼きで3号に共通。所謂志津写しの刃文。
何度か研いだが弘幸の典型で、これも再見だと思う。
堀川弘幸と入札。

 

五号 刀

反り浅い。うねる柾。小錵の中直刃。地鉄が少し白けるが研ぎの影響が強いと思う。
仙台国包と入札。

 

時代違いイヤ
イヤエン


 

一号、あらら時代違い。ちょっと分からんが、写し物が多い初代にしてみよう。武蔵大掾でたまに肥前に思えぬ匂い口を見る気がするのでそれに。
武蔵大掾忠広と入札。

二号、相州の方か。今後は妙な事を考えず、押形に描くのが大変な刃の時は、素直に末相州にしよう。個銘は全くわからんのでこれに。
相州正広と入札。

 

イヤ



 

一号 もう考える力を失った。地鉄はこれに見えなくもない。刃は全く違うけど。康継。

イヤ



 

一号  刀 備州長船住上野大掾祐定
      正徳六年二月日

二号  刀 相州住助廣

三号 脇差 国広

四号 短刀 平安城藤原弘幸

五号  刀 山城守藤原國包

 

一号、上野大掾の直刃は私は初めて見たかも知れません。全て納得です。大変勉強になりました。