古い

本日は大変古いお品を拝見。
古雅で大変好み。
在銘誠に貴重。 



名刀

今夜はしばらくお会い出来ていなかった方から楽しいお話を沢山お聞きした。
昔、コーラを毎日20本飲んでいたお話(それでも糖尿の気は一切無し)、焼き魚にはひたひたに成る程醤油を掛けるお話など。 沢山笑った。 若い者に楽しいお話が出来る人に憧れる。
昨日は来国次と粟田口を拝見。 いずれも刀。
国次は身幅平肉ともにたっぷりとあり誠に健全。 中ほどから先に掛けても反りを持つ。
磨上の茎は短い。  所謂片手打ちの姿に仕立てたか。
なんとも力強い。  磨上当時の拵えはどんなに素晴らしかったかと想像する。
粟田口の長いものは久々の拝見。
こんなにも素晴らしいものですか・・・。 
ずっと溜め息でした。  こういう刀に憧れる。



刃取る

刃取っている刀の刃が大変硬い。
ここまで硬い刃は久しぶりだ。
何とか形に成ってきた。
先日の勝四郎の刀、頭は冑金(半太刀頭)だが鞘がよく見えないので敢えて触れなかったが、ラストの辺りで鞘が少しよく見えるシーンがあり、どうやら石突や責金が付いて居るようにも見える。 
一般に半太刀と称される拵えだ。
しかし、「打刀拵」(東京国立博物館 大塚巧藝社)によると、この種の拵えの半太刀との呼称を否定している。
刃を下にして差す物を半太刀とし、刃を上にして差す勝四郎の拵えは打刀拵の一様式と見るべきだそうだ。
私もこの手のものは半太刀と言ってしまっていたし他の書籍や商品説明などでもそうして居る事が多いのではなかろうか。
因みに、刃を上に差す拵えか下にして差す拵えかは栗形と返り角の位置で分かる。
七郎次は片手打ちではなく脇指であった。
長いのと中くらいのを二つ差すから短い方が見劣りするわけで、脇指一本差した姿と言うのは締まって様になるもんだ。
平八の刀はなぜか思い浮かばないなぁ・・。



拭いの続き

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分厚い鉄肌が沢山出来ました。

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叩いて剥がす。 
鋼材も大分小さくなった。
さてこれから磨って微粉末にしなければ成らないが、有るはずの鉄乳鉢が見つからない。
めったに使わないのに大きく重く邪魔なのでと棄てたのだったか?! 
そのめったな事が今来てるんですが。

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鉄磨り棒だけ見つかったのでこれで磨る。
昔、とある拭いを成分分析に掛けたら極微量の陶製乳鉢の成分が検出された。
今回のは少々多めに混じる事になりそうです。



七人の侍

久々に七人の侍を見た。
私は少ししか見た事は無いが好きな人は何十回と見る映画だそうで。
その後youtubeで昔NHKで放映されたメイキングのドキュメンタリーが上がっていたので見たが非常におもしろかった。
先日鑑定会でそれほど著名な刀工の作ではない末古刀を見てこの映画を見たくなったので、皆が差している刀に注意して見る事にした。
時代設定は1586年(天正14)と言う事らしい。
まず拵えに注目したが町行く人々も”七人の侍”も菱が18,9個ほど有る長い柄が多い。
頭は兜金が多く(勝四郎の刀も兜金)、通常の頭でも金属製が多いようで角頭で張りの強い今で言う「天正拵」と見える刀は出て来なかった。
何しろ白黒映像なので分かり難いが柄に漆をかけた拵えはあったのだろうか?! はっきりそうだと分かる物は無かったように思う。
ラストの決戦はどしゃ降りの雨なので心配になるのだが・・。
漆で塗り固めた真っ黒な柄では白黒の映像として映えないので白鮫にしたのかとも想像出来る。
見ているうちに、7人それぞれの差料が気になった。
メイキング番組によると、主要キャストにはかなり細かな設定があったそうなので、もしかしたら差している刀についても具体的に設定されて居たら面白いと思ったのだがどうなんでしょうか。
とりあえずネット上ではそれは見つからなかったので、勝手に想像してみた。
勘兵衛は幾多の戦いで生き残って来たと言う人物。
冠落し造り(菖蒲造り?映像が悪くよく見えない)でよく乱れる短刀、そして直刃の大刀を差している。
最初の戦には家に伝わる古三原(正家大鋒)で臨んだが損傷が激しく放棄、その後は美濃物を数振り所持したがやはり三原の切れ味が忘れられず、今は磨上で応永頃の三原を差料としている。
ネット上では「平作りの短刀を差す」として居るページも有ったが、フクラがかなり枯れているのでおそらく上記の造り込みだと思う。
しかし1586年以前で互の目の冠落しと言う物はあまり思い浮かばない。やはり平身の方が圧倒的に多い。
直刃ならば時代を大きく上げて了戒或いは当麻等すぐに思い浮かぶのだが。
とは言えどの国にも無くはない。とりあえず冠落し造りなら美濃物。兼春で。 菖蒲なら、初陣の時から差している俗名入り祐定。 あぁ俗名入りは持てないかも知れないので備前国銘で。
勘兵衛の登場は立てこもった盗人から子供を救うシーンだが、勘兵衛が盗人から取り上げた刀は時代感の有る実用刀の雰囲気だった。
末古刀と見える互の目の刀。 初期の奈良刀と言う事で。
菊千代は推定四寸(それ以上か)の卒塔婆透かしの刀匠大鐔を掛けた野太刀。 三尺かそれを少し切る長さか。
あるシーンでは、反り浅く元先の開きが有る様に見える。 撮影には一人につき沢山の刀が用意されて居ると思うので、それぞれのシーンにより造り込みも差を付けているかも知れない。
(最近、とある時代劇ドラマの兵庫に入らせて頂いたが、激しい斬り合いをする役の刀は大量に準備されていた。)(テレビ朝日開局55周年記念ドラマスペシャル
「宮本武蔵」 2021/8/1追記)
しかし反りの浅い三尺は難しい・・。 菊千代は百姓の出だし。 ん~。 入手の経緯は不明だが古刀期加州清光と言う事で。
勝四郎は刻み鞘を差している。(勘兵衛も刻みだが勘兵衛の方が細かい)勝四郎は裕福な家に生まれたらしい。 注文打ちの氏貞を差す。
勘兵衛の”古女房”七郎次。 槍の腕が立つようで、刀は短い物を腰に。 拵えの姿から安っぽさは感じない。脇指か?或いは二尺前後の片手打ちか。 重ねの厚い備州銘勝光。
さて一番腕の立つ久蔵。 柄は長め。 元々長寸の刀で、区を送り茎を長くした志賀関兼延。 しかし鐔は透かしには敢えてせず、少し変わったバランスが好み。
五郎兵衛。 この人も腕は立つ。 勘兵衛のトラップもあっさり見破った。
腕は立つが少し大らかなところも有るのか、手貫緒穴の有る鉄鐔を前半と後半で表裏反対に掛けて居た。
刀は茎仕立て銘振りともに大様な所が好きな金剛兵衛源盛某。 その切れ味も気に入っている。
最後は平八薪割り流。 中の下の腕と言われて居る事も知っている。
この人も柄は短くは無い。 ん~、何を差していたのか。 思い浮かばない・・。 無理に出すのは止めておこう。
それぞれの出自等分かりませんので全くの無根拠で勝手な想像を書いてしまいました。
ファンの方、すみません。
しかしこう言う想像は楽しいです。 一振り欲しくなって来ませんか?



刀剣入札鑑定 26年2月

一号 刀
反る。 幅広。  
詰み、少し流れ、細かく錵を敷く。 映る。
中直刃調で逆足、片落ち互の目に少し近い刃が混じる(箱が延び気味)。
逆調子だが角が円く青江や備前の雰囲気ではない。
姿と帽子だけを取れば中島来でもよいがそれ以外はやはり異風。 何度か大磨上無銘でこの手の刃を見たが、その都度どう見れば良いのかと悩んだ記憶がある。
一度は古い鑑定書で「宇多」になっていると聞いた物があった。
はたしてこう言う出来が宇多に有るかどうか知らないが、地の一層上に見える錵はそうなのかも知れないと自分を納得させる。   宇多国房と入札。
二号 太刀
腰寄りに反り。 踏ん張りが強い。 棒樋。 
丁子や互の目華やか。上は複式。 帽子以外は全体にふんわりしている。 映りもよく出る。
比較的詰む鉄。
刃は複式風の磨上無銘大宮に見えるがこの踏ん張りは違うと思う。 応永の健全な太刀にも見えるが詰む手の応永の地鉄では無い。 末に入れる踏ん切りもつかず・・。 備前物でこう言う風に時代を決めきれない事は少ないのですが・・疲れてしまった。   大宮盛景と入札。
三号 脇指
平身。 簾風。 黒い錵。
過去に出たかなぁ・・。 地元と言う事もあり丹波を研磨させて頂く事は大変多く、固体識別は難しい。
錵が黒く感じるので  大坂丹波と入札。
四号 刀
少し細身。 二個づつの互の目を連ねる。 
白く太めにうねる流れ肌。
互の目の形は上野大掾風だが総体に美濃。 
個銘は分からないが三代までの兼定以外の兼定とかにしてみよう。 兼定と入札。
五号 短刀
末短刀。 少し肌立つ。 互の目。
わりと最近出た兼常だ。 昔出た時は美濃に見えたが最近見た時は完全に備前と見てしまった品。
今回は兼常と覚えているので兼常と入札するが、次忘れたらまた迷うのかも知れない。  兼常と入札。
 イヤ
 ヨク
 当
 然
 当
一号は全く分からない。 法華一乗と入札。
二号は応永にしてみよう。 康光と入札。
 イヤ
 ヨク
 当
 然
 当
一号、20年ほど前、錆身で隅州の重鑑の錆び切りをしていて、5つほど刃切れが出て来て研ぎを止めた事がある。 なんだかそれを思い出した。 違うと思うけど。  隅州重鑑と入札。
二号 末なんや。 祐定と入札。
 イヤ
 当
 当 
 然
 当
一号 刀  次廣作(若州)
二号 刀  備前國住長船幸光 天正六年八月日(重刀)
三号 脇指 丹波守吉道(大阪)
四号 刀  濃州住千手院道印(光山押形所載)
五号 短刀 兼常
一号はそう言う品なのですか。大変勉強になりました。
四号道印は美濃千手院。 美濃千手院の在銘はそれほど多く有りませんので貴重です。しかも光山押形所載でおもしろい。 鎬地が大筋違で平が切りヤスリ。 以前研磨させて頂いた美濃千手院在銘の品もそのヤスリでした。
一、四とこう言う品を拝見し、七人の侍が見たくなり、DVDを買って久々に見た。

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低硬度の拭い

青紙スーパー鋼の拭いは引き続き作成中。
この手の拭い材料は単に「硬い→力が有るかも」と言う発想で試すわけです。
力が有る拭いとは、弱い力で、或いは短時間で黒味が出る訳ですが、そうすると地肌を倒さず黒く出来る等のメリットが有るのです。 あと晴らさぬ地鉄を黒くしたり。
単に力の有る研磨剤ならWAやCやCr等のパウダーやその他硬い試薬やコンパウンド類も沢山ありますが、この手の研磨剤に共通する不具合も有るのです。
その点、”鉄肌”という研磨剤は他の硬い研磨剤に比べ、刀に使用するには不具合が少なく都合がよい物です。
刀は青味がある事を良しとしますので拭いで青くしたいと誰もが思うわけで、研ぎの世界に入り拭いに興味を持ち始め、少し調べたりすると「なぜ青く見えるのか」と言う原理を知るのですが、こう言う事を研究して居る人には簡単な話なのかも知れません。
「拭いとは肌目の間に拭い粉が入り込んで色が付くのだ」と言われたりすると、すぐに青系顔料を買いに走ったりするのですが、大体の顔料(硬い場合)はブラック系の仕上がりになります。
拭いを試していると、硬い材料の有用性に捕らわれ、柔らかい材料から遠ざかってしまいます。(私の場合です)
何かをベースに添加するタイプの拭いだと柔らかい材料が不具合の原因となる事が多いので。
先日インフルエンザで寝込んでいた時、スマホで柔らかい拭い材料を見つけ、今日試してみた。
大変おもしろい。 備前物に合うかも知れない。
「刀身表面の状態を変化させ、どの色に見える光りを反射させるかを操作する」と言うイメージでよいと思うのですが、そうすると使用可能な硬度範囲をうんと広げないといけない。
もう60年ほど前の刀美に拭いの秘伝について触れた記事がありました。
その中の一文、「秘伝の随一は、鉄肌の焼方である」
あれこれ手を出さずともこれが神髄といえそうです。



青スーを鉄肌にする

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焼く

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出来た被膜を叩き落とす。

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焼く

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また叩く。

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を繰り返し鉄肌を得る。

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半分を焼き皿で更に焼き、半分はこのまま磨って試す事にする。



青スーを

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青紙スーパー鋼材を入手出来た。
表面を酸化させよう。



中山を

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御世話になっている方から中山を沢山いただいた。
この山は既に閉山していて大変貴重な石。
刀剣研磨では多様な砥質を必要とするため、この辺の石はいくらあっても多過ぎると言う事はない。
また小刀の話ですが・・・。
本当に凄い切れ味なんでこれ削ってみてみ!っと嫁さんに言い、鉛筆と小刀を台所に置いて1分ほど目を離し戻ったら、ペットボトルの口にはまっている輪っかをグリグリ切ろうとして居た・・。
あぁっ!っと言いましたが既に大きな刃コボレ。
この刃コボレを研ぎで直すのに何時間掛かるかを言うと、大体その100倍くらいの感じで怒られた。
200℃以上で数回焼き戻しをしていたんですが。
その後240℃程度で30分ほど戻す。
それでも毀れるのでやはり単純に刃が薄過ぎ。(分かってますが敢えてやってました)
先ほど刃肉を少し付け、実用向きに研ぎ直したら強烈に良い刃物に変わった。
粘りの有る鉄にはたまらん魅力がある。