大和
ここのところ研ぎ場で大和物と出会う機会が多く、千手院、手掻、当麻、尻懸、包永極め物などを拝見。
いずれも大磨上無銘刀。
やはり柾気の強い物が多い。
そう言う刀を大和物に極めるのでそうなる訳だが。
日本刀大鑑の大和物総説では「大和物は素朴で、華麗さに乏しく、しかもそれを守り続けようとする保守的なところがあり、それが禍いしてか、なかなか一般受けがせず、名物にもわずかに八点採り上げられているに過ぎないし、
現在でも国宝に手掻の包永・当麻の国行・竜門の延吉・千手院長吉の各太刀と無銘当麻・保昌貞吉の各短刀の計六点が選ばれているだけである。 しかしこうしたところが妥当な線であろう。」 と書かれている。
大和物ファンとしては非常に寂しいところである。
昔から華やかな物がもてはやされたのか、精良な鉄を鍛える技術が称賛されたからか。
大和には備前の様な華やかさは無いがそれとは全く違った魅力があり、必ずしも一般受けしないとも思えないのだが現実は違うのだろうか。
刀を好む人には素朴さを求める人も多いと思うのだが。