刀は重い

先日、樋の無い居合刀に樋を掻きました。
とにかく軽くしたいと言う事で深めで広めの棒樋と広めの腰樋をお願いする。
少し小さめの刀身でも有りましたし、頑張っても105グラムほどしか減らないと言う事で帰って来ました。
この辺がせいぜいなんです。
本日は研ぎ場にて古名刀を拝見。
とにかく減っていない。 重いです。 鎌倉時代・南北朝時代の刀は重いです。
この後、100年でも200年でも一切研がず保存すべきではないか・・と思いました。 私的感情ですが。
古刀は軽いと言われますが、例えば「新刀はよく詰んで密度の高い鉄で、古刀は肌が粗くてすき間が多い、故に軽い」と言う様な考えが元に成っているとすれば、全くの間違いです。
上の樋の話でも分かる様に肌のすき間程度の重さは普通の人間では感じ取れないでしょう。
反りや重心の事を指し古刀は軽い説を言うのは有りなのかも知れないが、私が知って居る鎌倉時代の健全な刀は皆一様に重い。 
私は刀を前に構えて持つ事がないからでしょうか。 
居合い経験がないので微妙な違いが分からないのでしょうか・・・。



先日の砥石を

前回少しだけ書いた天然砥石を別の刀に当てる。
どうやら先日感じた通り間違いなさそう。
研ぎの世界に入り今年で多分20年目くらいですが、未だにこの様な衝撃的出来事が有るのです。
(これは自分で発見したのではなくお教え頂いた事です)
こう言う事が結構コンスタントに来るんです。
20年と言うと結構そこそこやっていると思うんですが。
べつにボーっと研いで来たとも思いませんし。
こういうかんじなんですよね、こういう世界は。
もっと時間を費やしたい。



仕上げ

古研ぎ状態から下地を直し、ずっと大道のつもりで研ぎ進めて来ましたが、これ国廣ですな。
別の話ですが、
ずっと信じて来た事が全否定してOKかもしれない結果が出た。
強く望んで居た結果です。
天然砥の真の実力を見たのかも知れない。
次に控えている一振りで確定出来る。



平成24年 京都支部新年恒例一本入札

昨日は支部新年会。
恒例の一本入札です。
しかし大サービスで、入札は一回のみですが三つ記入しても良いと言う事になりました。(昨年も同じ方式でした)
刀の横にヒント札が置かれています
 一号 刀  ヒント札「関西では馴染み薄。 帽子の返りの止まりが表裏揃う)
 二号 脇指 ヒント札「重要刀剣」
 三号 短刀(脇指?) ヒント札「応永 ちょっと簡単」
 四号 短刀 ヒント札「相州伝を探すべし 時代を誤らぬよう」
 五号 短刀 ヒント札「難物 当れば奇跡」
私みたいな者はいつもこのヒント札で余計迷う事になるんです・・。
一号 刀
寛文姿。 互の目 明るい。 確かに返り表裏揃う。
正直なところ、研ぎをさせて頂いていると地域による馴染みの差はあまり感じない のでこの刃文で考える。
 三善長道・駿河守盛道・賀州家忠 と入札。
二号 脇指
薙刀直し。 備前南北。 地はよく詰み全体に映り、地刃共に非常に柔らかい(フクラは少し硬くなる)。 総体に刃も少 し沈む。
一見元重の刃ですが、地に白い物が少ない。 尖り刃等あり。
 長船政光・元重・大宮盛重 と入札。
三号 短刀(脇指?)
平身。無反り(極僅かに反り)。裏に腰樋。直刃。フクラで錵付き錵崩れの互の目を焼く。
地は詰むも粕立つ。 映り気が強い。
応永と書かれると備前と信國しか出て来なくなる私です。
しかし何度か見てるうちに宇多と確信す。
 宇多国房・宇多国宗・信国 と入札。
四号 短刀
 
姿の美しい錵出来の良短刀。 ヒント札では「相州伝を探せ」と有ります。
しかし「時代を誤るな」と。
素直に島田です。 東海道筋でも室町になると匂い出来(小錵)が多く、島田だとぴょこぴょこした刃を連想しますが、島田の錵出来は研ぎこなせば上位に化けそうな物が有ります。
個人的に義助はぴょこ刃のイメージが強いので一には入れたくない。
 島田助宗・相州廣正・島田義助 と入札。
五号 両刃短刀
見事な両刃短刀。 刃文は備前とは調子が違いますが出来は同等。 杢や柾がめだつ美しい鉄。 姿は備前を凌ぐと感じました。
棟厚が0.数ミリですが平棟。 刃を引いたのか平棟か・・? 両刃の造り込みでも刃を付けない菖蒲寄りの物も有りますし。
「当れば奇跡」とのヒント札。 その国には珍しい両刃と言う意味か、そもそも珍しい刀工と言う意味か迷う。
直感は手掻(手掻に両刃は珍しい)。 
十数年前研磨させて頂いた雲林院の槍の地鉄を思い出した(雲林院はあまり見ない刀工)
 末手掻包真・雲林院包長・古水田 と入札。
 
 一号  刀   三善長道
 二号  脇指 金象嵌 元重
 三号  短刀 包行 応永年紀
 四号  短刀 義助
 五号  短刀 勢州雲林院住包長 文亀年紀
絶対宇多だと思いはずしてしまった手掻包行は指裏に銘、指表に年紀です。
これは右手差し(めてざし)故だそうです。なるほど。 そう言えば過去に拝見した拵え入り右手差しも銘の位置はそうだったように思います。

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新年会の後は、支部の大先輩に上七軒に連れて行って頂きました。
御茶屋さんのならぶ上七軒の街並みは、私的にですが、観光客向けの祇園よりずっと奥床しく感じます。(祇園を知らない私が言ったらダメですね・・)
こたちにとお土産を頂きました。
しかし大人たちで大変美味しく頂きました。
こたちの口に入れる品では有りません。
40年後、自分の力でお行きなさい。
 



なし

例えば、「中、細名倉を適当に突き、内曇の刃引きを十数分だけ引いて地引きを数分引いて下刃艶を省いて下地艶だけをちょちょいと入れて上げ艶も飛ばして拭いをぴょいと差し、刃取りをせずに磨きもバフで。横手、ナルメは適当に・・・。」 
今日は徳川美術館に行って来ました。
ここの照明は上に書いた研師の仕事と同レベです。 
こう言う研ぎをされた刀と一ヶ月かけて研いだ刀を並べて展示しても大差無く見える照明です。
実際展示されて居る刀は凄い品ばかりで研磨レベルも最上級が多いのですが
目当ての刀の前でゆっくり鑑賞する事が出来ないほどの客入りでした。
素人に照明は関係無いと言うスタンスでしょうか。
諸事情あるのでしょうが、個人事業主でこの仕事をやると終わりです。
展示作業はもの凄く大変な事は知っていますが素晴らしい刀達があまりに何も見えなかったのであえて書いてみました。
その後オフ会。
あぁ楽しかった。
色々ありますがこれが正しく行き着くところでしょ。



出した砥石を

先日若者に手伝ってもらって倉庫から出した砥石です。

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刃艶に良さそうな木っ端やら地砥に使えそうな硬い石やら。
石の粉まみれの物を携帯で撮っただけなので色が伝わらないですがなかなか良さげです。
それにしても、内曇や戸前の微粉末は手が荒れて大変です。
手荒れにめっぽう強い私もガサガサになります。
しかし角粉はもっとひどいです。 パリパリになります。
角粉は刀剣研磨では磨き工程で油分除去に使用しますが他では研磨剤としての使用が多いのでしょうか・・?
打ち粉にしろ角粉にしろ油をしっかり吸収するのは確かです。



無題

年中時間が足りないとぼやくが12月から5月くらいまでは強烈に時間がない。 
毎年。
今年は特に酷い。
なんだこれは。
Twitterネタやなこんなのは



初めの

今年一番最初に研がせて頂くのは新作刀です。

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研磨前は銘も茎鑢も目釘穴もまだなのです。
新年最初の仕事として気持ちが引き締まります。
さて先日は若者に助太刀してもらい、砥石を探しました。

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昭和3~40年代に販売されていたと思われる大平山の地砥を見つけました。
最近はあまり見る事も無くなった美しい色彩の砥石です。
しかしこの多くはかなり薄く割られてしまっておりました・・。
もう18,9年前でしょうか、バカな私は「全部割ってから磨った方が早いやんっ」と安易な発想で、砥質を全く考えずに全部割ってしまったのでした・・・。
今から思えばもの凄く良質な地砥の原石が沢山あったわけです・・残念。
ましかし使える物も有るので大事に使います。
以前ブログに書いた刃引きを見つけました! 多分・・。
色と層だけからの判断ですので最終的には使ってみないと分かりません。
おそらくこれだと思うんですが。
あいやいや、こうして糠喜びした事がどれだけ有るか。
家で見つけたのならまだしも、砥石屋さんに買いに行って、「あの石に間違いない!」っと6万7万と出して買って外した時はほんと落ち込みます。



あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願い申し上げます。
明日はちょっと助太刀を頼んだので砥石を出そうと思います。
良いのが見つかれば嬉しい。
あぁやっと仕事が出来る。 幸せ幸せ。
(年齢を重ねるごとに仕事以外の用事が多くなりますよね)
休み中、色々思いついてブログネタが沢山有ったのですがなんだか気持ちが変わってしまい書けないです・・。
こうして平らなブログに成って行きます・・。