天然砥を

本日は砥石屋さんへ。
今朝は雪が積もっていましたので一瞬山を心配しましたが、家の外に出てみると比叡山が明るいのでこれなら大丈夫でしょう。

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愛宕山付近。 砥石山独特の山並み。 この雰囲気の山ならどこを掘っても砥石が出てきそうな気分になります。
実際それに近いとも言えるのですが・・。

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内曇砥

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砥石各種
案外知られて居なかったりするのですが仕上げ砥に関し、例えば刀に使う「鳴滝」と呼ばれる砥石や「内曇」と呼ばれる砥石、これらは同じ山の一つの大きな砥石層から産出されるわけです。
その大きな砥石層の中の位置により、天上巣板(内曇・地引、刃引、刃艶に使用)、戸前(鳴滝・地艶に使用)などの細かな分類がされます。(カンナやノミ、剃刀、包丁等の仕上研磨に使用される合砥、本山などと呼ばれる砥石も同じ様に大きな砥石層の中の一部分です)
ただ、どの山からも、分類される全ての層の砥石が産出されると言う訳ではなく、また各層の砥石が産出されたとしても、山によりそれらの砥質は微妙に違うため、「どの山のどの層の石は刀に最適だが、この層に関しては他に譲る・・」と言う具合にそれぞれの山に個性が有るのです。 
この”層”による個性と”山”の違いによる個性が天然砥最大の魅力かも知れません。
本日も地砥二丁購入。
帰宅後試す。
とりあえず最近目指して来た所には行き着いたと思う。
しかし結果として、それが正解だったと思うには至らなかった。
「刀剣研磨に正解など無い。修行は一生続く・・・」なんて書いて簡単にしめたいのですが、仕上げの方向性はわりと多様ですがちゃんとそれぞれに正解と思える物があるんです。
大正解と思える研磨に出会う度に思います。



押形の

押形作成で茎をとる時、石華墨派、インク派、その他色々有りますが私は石華墨派です。
しかし好みと完全に合う硬さの石華墨が入手し辛くちょっと苦労しております。
様々な方法を試して来ましたが、色鉛筆がちょっと良いかも知れないのです。
インクやカーボンには及びませんが、石華墨よりはかなり鮮明に銘が出ます。
後から銘の縁を補う必要も有りません。
しかし芯が細いため色ムラが出来易く、茎の縁をとる時滑らせるミスを犯しやすいなどのマイナス面が結構大きいのです。
(HPの研磨記録で言うと、景秀、畠田守家、初代康継、栗原信秀などは確か色鉛筆です)

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色々試していますがどれも今一つ上手く行きません・・・。
太さや硬さが難しい。
一番上の二つは質や太さは大変よいのですが、普通の鉛筆の芯と同じ物ですので茎をとると表面がテラテラ光ってしまいダメです。
やはり色鉛筆系の材質が良い。 クーピーとはまた違い、石華墨に近いのです。
先日太い色鉛筆を見つけ、購入。

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他と比べるとこんな具合。
押形作成に最良の太さです。

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届いた時はこれで全て解決と本当に喜んだのですが、使ってみると柔らかいんです・・・。
クーピーに似た感じでしょうか。
石華墨も夏柔らかく冬硬いので、冷蔵庫で冷やして使うと丁度いいんでしょうけど・・・。
結局はテクニックの問題かも知れません。 
分かっては居るんですが・・。 練習しよぅ。



ためし

先日来試し研ぎ。
一振りの刀には幾通りかの仕上げ方があります。 
刃取るか差込かと言う違いではなく、地鉄をどう上げるか、拭いはどうか、それに伴い刃取りの色と調子はどうかと言う違いです。
私の場合多くは艶の選択と拭いの組み合わせで悩みます。
それほど悩まぬ時は過去の経験を基に最良と思う組み合わせで作業を行なうものなのですが、どうしても決めかねる時は試験的に寸刻みで違う仕上げを行い最良の方法を選択し本番に臨みます。
とりあえずあと一日で結論を出したい。
今日、もうしばらく前の番組ですがNHKの「たけしアート☆ビート」で吉原義人刀匠が出演されていた回を見ました。
小刀を作ってみたくなりました。 ずっと思っていましたが。
備前おさふね刀剣の里、こちらの小刀製作講座
刀身の形にこだわらなければ兵庫県羅漢の里で鍛刀されている桔梗隼光刀匠が「小刀づくり体験を毎月第二、第四日曜に行なっておられます。
本当は自分だけ一人でぽいーっと行きたいのですが、家族の大顰蹙にあう事必至ですので子供が作業出来る年齢になれば一緒に行きたいと思っています。
上はもう小学生になりますのでその日も近いです。 あぁ楽しみ。



研ぎ場にて

本日は研ぎ場にて新々刀上々作二振り及び古刀最上作一振り拝見。
二振り古研ぎ、一振り研ぎたて。
日々の鑑賞の時、油を取り去るために打ち粉を使う方、使わない方と色々だと思いますが私は打ち粉は使用しない事をお勧め致します。
過去、ブログには打ち粉をポンポンと打ちそして拭うのが好きだと書いた事もありますが、それを特定の刀に対し何年も繰り返し行なうとなるとやはり良くないわけです。
刃取りが薄れるとかそう言うのは古研ぎの雰囲気となるだけで然して問題では有りませんが、鎬地、平地を曇らせ地肌を潰し、地錵や地景を消し去るのは確かです。
私は研師ですのでその様に打ち粉のヒケで全身被われて何も見えなくなった刀でも、底に沈んだ物を見つけ出すのは楽しいと感じますし、これを晴らせばこうなると分かる部分、こうなるかもと想像する事など楽しいと感じる事も多いです。
しかし一般的には殆ど見えない状態よりも、しっかりと見える状態が好まれるのは当然で、結果研ぎに出すと言う事になるでしょう。
研師的には仕事が増えてありがたい事ですが、やはりもったいないのですよ。 本来無用な研ぎは。 
全身が打ち粉のヒケでおおわれていても、もとの研ぎが上手かそうでないかは見れば分かるものです。
そう言うのを見るとなんとも切ないのです。
良い刀は良い研ぎで最高の状態になっているのです。 
それ以降、打ち粉の手入れにより状態は変化して行き、”味”とかそう言う曖昧な表現の物は増して行きますがそれは決して刀の良さの増補では有りません。  
やはり研ぎたてが最上と考えるべきと思います。(研ぎたてよりも手入れするほどに良くなると言う話の方が大勢でしょうか・・・)
いかに研ぎたて状態を保ち続けるか・・・。
私はこれを使っています。
ミクロディア
打ち粉を使わずともこれで拭うだけで油を除去し鑑賞出来ます。
もしも購入される方が居られましたら、念のために縁の纏り縫い部分等は切除して御使用ください。
打ち粉使用は例えば唾液が飛んだとか指紋が付いたとか、そう言う特別な時に限るべきと思います。
話は飛びますが、地砥三本購入。 一つは良かった。 残りは明日でも試そうか。

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ここ数日

ここ数日刃取り。
今日はもしかしたら柔らか過ぎる刀以外の刃取りについて一番重要な事がやっと分かった・・かも知れない。
20年目にして終にか。
今まで自分の手の動きに騙され続けたようです。
過去に何度も試した事は有るのですが、刀の硬さ・にえ方、刃艶の質・厚さ・・・この条件と行なおうとする事、そうであると信じる気持ち・・これらが上手く整わなければ正しい事を行なっていてもそれに気付かず終わってしまう。 そして一旦見過ごすと次に同じ事を試すまでにその工程のみでも数千時間、何百振りの研磨を経なければならない場合がある。
こういう回り道。 一見無駄に思える時間が重要だ、財産だと世間では言いますがどうなんでしょか。
はしょって言うと、すんなり行った方が絶対得だと思っています。
はしょってますのであれこれ有りますが。



刀は重い

先日、樋の無い居合刀に樋を掻きました。
とにかく軽くしたいと言う事で深めで広めの棒樋と広めの腰樋をお願いする。
少し小さめの刀身でも有りましたし、頑張っても105グラムほどしか減らないと言う事で帰って来ました。
この辺がせいぜいなんです。
本日は研ぎ場にて古名刀を拝見。
とにかく減っていない。 重いです。 鎌倉時代・南北朝時代の刀は重いです。
この後、100年でも200年でも一切研がず保存すべきではないか・・と思いました。 私的感情ですが。
古刀は軽いと言われますが、例えば「新刀はよく詰んで密度の高い鉄で、古刀は肌が粗くてすき間が多い、故に軽い」と言う様な考えが元に成っているとすれば、全くの間違いです。
上の樋の話でも分かる様に肌のすき間程度の重さは普通の人間では感じ取れないでしょう。
反りや重心の事を指し古刀は軽い説を言うのは有りなのかも知れないが、私が知って居る鎌倉時代の健全な刀は皆一様に重い。 
私は刀を前に構えて持つ事がないからでしょうか。 
居合い経験がないので微妙な違いが分からないのでしょうか・・・。



先日の砥石を

前回少しだけ書いた天然砥石を別の刀に当てる。
どうやら先日感じた通り間違いなさそう。
研ぎの世界に入り今年で多分20年目くらいですが、未だにこの様な衝撃的出来事が有るのです。
(これは自分で発見したのではなくお教え頂いた事です)
こう言う事が結構コンスタントに来るんです。
20年と言うと結構そこそこやっていると思うんですが。
べつにボーっと研いで来たとも思いませんし。
こういうかんじなんですよね、こういう世界は。
もっと時間を費やしたい。



仕上げ

古研ぎ状態から下地を直し、ずっと大道のつもりで研ぎ進めて来ましたが、これ国廣ですな。
別の話ですが、
ずっと信じて来た事が全否定してOKかもしれない結果が出た。
強く望んで居た結果です。
天然砥の真の実力を見たのかも知れない。
次に控えている一振りで確定出来る。



平成24年 京都支部新年恒例一本入札

昨日は支部新年会。
恒例の一本入札です。
しかし大サービスで、入札は一回のみですが三つ記入しても良いと言う事になりました。(昨年も同じ方式でした)
刀の横にヒント札が置かれています
 一号 刀  ヒント札「関西では馴染み薄。 帽子の返りの止まりが表裏揃う)
 二号 脇指 ヒント札「重要刀剣」
 三号 短刀(脇指?) ヒント札「応永 ちょっと簡単」
 四号 短刀 ヒント札「相州伝を探すべし 時代を誤らぬよう」
 五号 短刀 ヒント札「難物 当れば奇跡」
私みたいな者はいつもこのヒント札で余計迷う事になるんです・・。
一号 刀
寛文姿。 互の目 明るい。 確かに返り表裏揃う。
正直なところ、研ぎをさせて頂いていると地域による馴染みの差はあまり感じない のでこの刃文で考える。
 三善長道・駿河守盛道・賀州家忠 と入札。
二号 脇指
薙刀直し。 備前南北。 地はよく詰み全体に映り、地刃共に非常に柔らかい(フクラは少し硬くなる)。 総体に刃も少 し沈む。
一見元重の刃ですが、地に白い物が少ない。 尖り刃等あり。
 長船政光・元重・大宮盛重 と入札。
三号 短刀(脇指?)
平身。無反り(極僅かに反り)。裏に腰樋。直刃。フクラで錵付き錵崩れの互の目を焼く。
地は詰むも粕立つ。 映り気が強い。
応永と書かれると備前と信國しか出て来なくなる私です。
しかし何度か見てるうちに宇多と確信す。
 宇多国房・宇多国宗・信国 と入札。
四号 短刀
 
姿の美しい錵出来の良短刀。 ヒント札では「相州伝を探せ」と有ります。
しかし「時代を誤るな」と。
素直に島田です。 東海道筋でも室町になると匂い出来(小錵)が多く、島田だとぴょこぴょこした刃を連想しますが、島田の錵出来は研ぎこなせば上位に化けそうな物が有ります。
個人的に義助はぴょこ刃のイメージが強いので一には入れたくない。
 島田助宗・相州廣正・島田義助 と入札。
五号 両刃短刀
見事な両刃短刀。 刃文は備前とは調子が違いますが出来は同等。 杢や柾がめだつ美しい鉄。 姿は備前を凌ぐと感じました。
棟厚が0.数ミリですが平棟。 刃を引いたのか平棟か・・? 両刃の造り込みでも刃を付けない菖蒲寄りの物も有りますし。
「当れば奇跡」とのヒント札。 その国には珍しい両刃と言う意味か、そもそも珍しい刀工と言う意味か迷う。
直感は手掻(手掻に両刃は珍しい)。 
十数年前研磨させて頂いた雲林院の槍の地鉄を思い出した(雲林院はあまり見ない刀工)
 末手掻包真・雲林院包長・古水田 と入札。
 
 一号  刀   三善長道
 二号  脇指 金象嵌 元重
 三号  短刀 包行 応永年紀
 四号  短刀 義助
 五号  短刀 勢州雲林院住包長 文亀年紀
絶対宇多だと思いはずしてしまった手掻包行は指裏に銘、指表に年紀です。
これは右手差し(めてざし)故だそうです。なるほど。 そう言えば過去に拝見した拵え入り右手差しも銘の位置はそうだったように思います。

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新年会の後は、支部の大先輩に上七軒に連れて行って頂きました。
御茶屋さんのならぶ上七軒の街並みは、私的にですが、観光客向けの祇園よりずっと奥床しく感じます。(祇園を知らない私が言ったらダメですね・・)
こたちにとお土産を頂きました。
しかし大人たちで大変美味しく頂きました。
こたちの口に入れる品では有りません。
40年後、自分の力でお行きなさい。
 



なし

例えば、「中、細名倉を適当に突き、内曇の刃引きを十数分だけ引いて地引きを数分引いて下刃艶を省いて下地艶だけをちょちょいと入れて上げ艶も飛ばして拭いをぴょいと差し、刃取りをせずに磨きもバフで。横手、ナルメは適当に・・・。」 
今日は徳川美術館に行って来ました。
ここの照明は上に書いた研師の仕事と同レベです。 
こう言う研ぎをされた刀と一ヶ月かけて研いだ刀を並べて展示しても大差無く見える照明です。
実際展示されて居る刀は凄い品ばかりで研磨レベルも最上級が多いのですが
目当ての刀の前でゆっくり鑑賞する事が出来ないほどの客入りでした。
素人に照明は関係無いと言うスタンスでしょうか。
諸事情あるのでしょうが、個人事業主でこの仕事をやると終わりです。
展示作業はもの凄く大変な事は知っていますが素晴らしい刀達があまりに何も見えなかったのであえて書いてみました。
その後オフ会。
あぁ楽しかった。
色々ありますがこれが正しく行き着くところでしょ。