下鴨神社と粟田口

今日は結婚式に行かせていただきました。
下鴨神社での神前式。
私の郷里では慶弔の儀式は基本的に全て神式で行なわれるので神主さんの祝詞には馴染みがあるのですが、雅楽は京都に来てから度々接する程度です。  まことに荘厳でよいですね。 
いつも思いますが雅楽で使用する楽器やその他の和楽器も、意外と音が大きくて驚きます。 プロの演奏だからでしょうけど。
こう言う式では列席者も、何度も何度も立ったり座ったりと繰り返しさせられますが、この様な儀式は簡略化されず伝えられて欲しいものだと感じました(現在の形がすでに削ぎ落とし切った物であり、長い歴史の中で十分簡略化されて来たのだとは思いますけど)
そして粟田口の粟田山荘へ移動して披露宴。
素敵な一日でした。

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刀剣入札鑑定記

HP左メニュー、「ブログ(旧)」の下部に「刀剣入札鑑定記」を追加致しました。



入札鑑定

入札鑑定会。昨日は本部から講師がこられました。
1号 太刀
反る。 鋒は研ぎ崩れ延びる。
大肌で肌立つ。  
大変よく沸える刃。 刃肌が非常に目立ち縁で止まらず刃先まで頻りに抜ける。
ハバキ上で焼き落とす。 
帽子は研ぎ減り抜ける。 
棟先二寸ほどがかなりうつむく。
少しだけ古備前や古青江風ですが沸えばかり明るく匂い部分は沈みます。結果総体に沈む刃。
 伯耆安綱と入札。
2号 刀
重い。かなり。
よく詰む。 少し映り気。 乱れ刃。 沸え付く飛び焼き多数。
帽子乱れて長く返り棟区まで焼き下げ。
 与三左衛門尉祐定と入札。
3号 刀
二尺三寸ほどか。 かなり幅広。 
肉付きは普通でしょうが広いからそう見えず。 鋒延び、広いのでかなり大きくなる(末左の様な姿)。二筋樋。
ざんぐり肌。 湾れに互の目。
肌は明らかに堀川物ですが、こんなに大きいのに国廣には入れたくない・・・。
互の目がぎこちないので大道と入札。
4号 短刀
極めて薄い。三つ棟。 先も反る。 
大板目。 棟寄り流れず。
互の目で皆焼。 帽子乱れる。
 長谷部国重と入札。
5号 平脇
よく反る。 重ね少し薄め。 
少し白け。 匂い出来の直刃。
刃寄り詰み棟寄り大肌。
古三原の刀をそのまま平身にした様な典型作です。
私は小さい物には「正」を使わない癖が有るので「政」で入れたいが誰が居ましたっけ・・・。
お隣の方に本を見せてもらうと「政清」の名がありました。
 古三原政清と入札。
 当同然
 同然
 時代違いイヤ
 当同然
 当
3号は素直に堀川でしょうが大きい物が気になる。
よけい大きい物が無い人でしょうが珍しい銘で入れてみたく藤原廣実と入札。
 当同然
 同然
 当同然
 当同然
 当
一号 太刀  真景(古伯耆)
二号 刀   備前国住長船五郎左衛門尉清光
         天文廿四年八月吉日
   
三号 刀   国廣
四号 短刀  長谷部国信
五号 脇指  政清(古三原)
 一号太刀は棟のうつむきを、「この太刀は平安~鎌倉初期なのでこれで良いが、仮にこれが新刀とすると、このうつむきを研ぎで直すのに半日かかるなぁ・・・」と思いながら拝見しました。
先伏しについて質問しましたが先伏して居る様には見えないとの見解でした。
所載物ですので帰宅後解説を読むと、「古作にありがちの先伏しごころが無い点も一派の太刀にまま見るところ」と書いて有り、鑑定上この太刀は先伏して居ないと見るべき物の様です。
この太刀に限らず、この程度の先伏しは入札鑑定時は無視した方がよさそうです。
研ぎ崩れやその他後天的理由の場合も多いと思いますので。(講師の見解は多分違う様でしたがちょっと上手く理解出来ませんでした)
下地研ぎ作業の地味さをつくづく感じます。 誰もあまり気にしない部分にかける時間が大変長い。

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鍛錬

先日、田中貞豊刀匠の鍛刀場に行って来ました。
田中刀匠は通常は鍛錬の公開はされていないのですが、某社の研修で特別に公開すると言う事でしたので、私も見学をお願いしたわけです。
仕事の用事で鍛錬をしていない日をお聞きしてから伺った事は何度もありますが、今回は雰囲気が違います・・・。
炭と火の匂いです。  細かく音もしています。

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フイゴを動かし炎が勢いを増します。

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作業内容などを解説しながらですが、全く無駄の無い動きで淡々と作業が進みます。

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唐突に緊張感が増したかと思うと一気に鍛錬へ・・。
場内には悲鳴と喚声があがり鍛錬の音が響きました。

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この日の作業を見た若者達は何かを感じたのでしょうか・・。
 誠に貴重な体験をさせて頂きました。 ありがとうございました。



中途半端に時間が出来たので

先日ちょっと中途半端な時間が出来てしまったので、娘を連れてお散歩に出かけました。
お天気最高桜満開!

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”娘も喜んで桜を見ています!”的な写真に見えますが、唯一そんな風に見える様写った写真です。
全く言う事を聞いてくれない子でお父さんは疲れ果てました・・・。
そう言えば岩倉に住んでるのに岩倉具視のお家を見に行った事が無いのでちょっと自転車で行ってみました。

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ん~、閉まってます。
すぐ横を毎日通るんですが見た事有りませんでした。
こんな綺麗な屋根の建物が有ったんですねぇ。 今度見学に行ってみます。

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曇りを引く

去年購入した内曇であまり良くない石と判断していた物を再度使用してみる。
確か先日も同じ様な事を書いたかと思いますが、内曇砥などの天然砥石は砥質の個体差が大変大きく、そこを利用してさまざまな硬さの刀に合う物を使用します。
基本的には硬い刀には柔らかい砥石、柔らかい刀には硬い砥石を使います。
しかし砥質とは硬軟だけでなく”研磨力”の強弱も有り、これが非常に重要です。
弾力が有り、適度に柔らかく大変引きやすい砥石でも研磨力が無ければ使用には堪えません。
砥石選びとはなかなか一様には行かないもので、一度ダメと判断した物でも時間をおいて使用してみたり全く違う質の刀に当ててみたりと色々試してみます。
以前はダメと思っていた砥石ですが今日は調子良く効いてくれ、大変鮮明な映りが出て来ました。

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十数年前の

十数年前入手した刃艶で硬軟二振りの刃取りを行なう。
この石は某山某層の物ですが思えばここ十数年これ系を主に使用している事になります。
もちろん一般的な山とその層の石も使ってはいますが好みの問題で私には使い辛い。 結果的に一番好きなこの山の石を使っています。
刃艶として使用するには薄く磨った石に漆などで和紙を貼るのですが、石を薄く磨る段階で石の硬軟や粘り、弾力などが分かります。
同じ石でも採取時期や同層内の細かな位置の違いにより質は大きく変わります。
私の好きなこの石は出合った当初から砥質のバラつきが特に酷いと感じていました。
しかし研磨の対象である刀の方も硬い物と柔らかい物では驚くほどの差があります。 
”力”さえ有る石ならば上手に使えば「砥質のバラつき」と言う一見ネガティブに聞こえる要素も実は極めて有効な物と成る訳です。
そう言う意味で今回は均一でない砥質に本当に助けられました。
それにしても「刃取り」は難しい・・・。
私は体質的にかなり酷使しても手の皮が厚くならないタイプなのと、手の動きがあまり平地に触れずに刃取る癖が有るので刃取りに何日も時間をかけても平地を汚す事は有りません。 これは偶然の事で非常に助かって居るのですが、なるべく日数は減らしたいものです。 ほんと大変ですので・・・。



最近の事。雑記

日々の所用の多さに少しへこたれぎみ。
しかし世の中には分刻みで動いている人が沢山居るので”忙しい”なんて言葉は簡単に使ったらダメですね。
なんとか研磨の下仕事も進めます。
刃艶作り。 
かなり大量。 半年は使えるか。 品質大変良好。 ナルメに使用出来る物も数枚有り。
刃引きがもう減ってきたので少し倉庫から探す。
原石から角取りするのですがかなり手間が掛かるのでもっと時間が有る時に行なう事にする。
色々探していたらずっと探していたコッパを発見。
これは確か中山の浅黄だったはず。 使いこなせるかどうかは分かりませんがとりあえず持って入る。
砥石を入れるボックスを4個購入。
未だみかん箱に入ったままの石も多く有り入れかえたいので。 しかしこのボックスに綺麗に詰め込むと4、50キロほどになってしまい持ち運びにかなりのやる気が必要となる・・。
3種の原石からそれぞれ刃引きをとるも全部だめ。 ちょい荒。
また使用条件と刀を変えれば使える可能性もある。 しかし結局刃艶にした方が良いと言う事でしょう。
去年買った刃引きを4本試す。 当時試した時はダメと判断。
今回は我慢すれば使用出来なくも無いと思った。 しかし実際には我慢しないので使わないのが現実。
また水に浸けてから試してみよう。
数年前磨っておいた刃艶を貼る。
ちょい硬めだが使える。 
山に拘らず探すとこう言う石に辿り着く事も有る。 
今研磨中の刀用の拭いを磨る。
研磨に入る前に何度も試した結果これを最後に使うと古研ぎの様な地肌の状態が得られた。 しかし別の刀には効果無し。 もっと単純で有ってくれ・・・。



ひごてる

本日は研ぎ場にて「肥後守藤原輝廣作」、薄錆身の槍を拝見。
肥後守輝廣は美濃の出身で京の埋忠明寿門と言われ(否定する説もあります)安芸へ移住します。
初代が肥後守輝廣、二代以降は播磨守を受領しています。
肥後輝はとにかく在銘の品が少ない幻の名工的な存在で、昭和63年発行の「肥後守輝廣とその一門(得野一男著)」で、刀では3口しか知られて居ないとあります。
重刀図譜では平成14年第48回重刀時点で、刀2、脇指2、薙刀7、短刀1、槍4の指定が有ります。(脇指の一振りが30.1センチ、短刀は33.3センチと表記されています。誤記かどうかは分かりません)
昭和33年の第一回重刀時点では解説の中で、全在銘作合わせても10指をこえないと言う事が書かれておりますが、昭和43年の第17回の解説では「20点に満たない」にまで増えて来ています。
その後、昭和51年24回の時点でも「20点以内である」とされています。
29回以降48回までで肥後輝の重刀指定は有りません(その後の資料は持っていませんので分かりません)。
本日拝見した槍は新発見の品ですので現存稀な肥後輝の一振りに加えられる貴重な物と言えます。
しかし名工と言われながら何故これほどまでに数が少ないのでしょうか・・・?(贋物は沢山ありますけど)
結局あれでしょうか。銘を消し大磨上無銘風に茎を仕立てられ、相州上工になっちゃったんですかねぇ。(でも良く似た人に相模守政常が居ますが、この人も刀は殆ど有りません。この手の人は短刀や槍、薙刀が上手でもともとそれらばかりを多く作っていた人なのかも知れませんが)
本日の肥後輝はいかにも新古境の美濃伝と言う匂い口の沈む物で、こちょこちょと働く刃を湾れでつなぎます。
肌は槍ですので柾基調ですが、若い槍に見る整った柾とは違う野趣を感じます。
総体に沈む雰囲気でそれがたまらなく良いと感じる品でした。
しかしまぁ総体に沈みしかも野趣満々な出来を”良い”と言い出してしまうと「刀の美とはなんぞや」と言う事になってしまう訳で、刀の価値観を何処に見出すかは単純ではないですね・・。
好みとは多様な物だと言う事でご容赦下さい。



無題

地震後もう何日経ちましたか・・。
うちは5歳と2歳前の子供がおりますが新聞の犠牲者名簿に同じ様な子供達を見てしまうと、目を閉じてその後に浮かんで来る多くの想像を打ち消す作業をします。
TVで繰り返し流された映像には本当に心にダメージを与え、深く消え難い印象を刻み込む部分はカットされています。
災害と言う物に合った事が無く、そう言うTV映像しか見た事が無い私が感じる事など経験者からすれば底の浅い悲しみでしか無いはずです。
そんな、多くの私みたいな人達はちゃんと日常を送る事が大事なのでしょうね。
日々異様な忙しさでてんてこ舞いですし悲しい記事を読むとブログを書く気持ちが起こらなかったのですが、ちゃんと日常を送ろうと思います。
久々に研磨記録を更新致しました。
研磨記録、新刀、武蔵国に初代康継を追加致しました。

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