次回は
ナボリンシリーズ
先日嫁さんが新聞広告で見つけて買ってきてくれました。
ナボリン
針磨きの仕事でとっつくと嫌ですのでかなり晴らし切ってから磨きます。
しかしそうすると磨きが硬くてかなり大変です。
片面下磨きをするともう腕が限界ですのでそれ以降の磨きは翌日以降に持ち越し・・。
上げ磨きでも、「あともう一磨き・・」と思ってもまた翌日になってしまいます。
いつもアリナミンEXを飲んでましたがナボリンかなり気に入りました(*^-^*)
末梢神経の傷を修復してくれるのだとか。
これで「あと一磨き、もう一磨き」と出来そうです。
南紀大和伝
研磨記録に南紀重国、大和伝の御刀をUP致しました。
平成22年2月21日 京都支部入札鑑定
今日は私には難しい日でした。
一号 刀
二尺五寸ほどか。 重ね大変厚く反り極浅い。 地鉄よく詰む。
直刃。刃縁が細かく働く。
おそらく当てる事は困難な新々刀です。分からないので、大きい刀と言うイメージを持っている堀井胤吉と入札。
二号 平脇差
一尺二寸ほどか。反り浅で重ね尋常。 三つ棟で中大変細い。
良く詰む地鉄。映らず。
互の目と湾れで刃中も細かく沸付く刃。明るい。 足がよく入り、殆どが刃先に抜ける。
裏は突き上げる帽子。
わぁ、古いか若いかすら判らず・・・。 大慶直胤と入札(-_-;
三号 刀
定寸ほど。 腰反りでもないが、その気が有る。
身幅少し狭めに感じ重ね少し厚めに感じます。 鎬・庵ともに少し高め。 と言うか、身幅狭めで重ねが厚いので鎬高に感じるのでしょう。
中切っ先伸びてフクラ少し枯れぎみ。
で、全体に締まって大変格好いい姿の刀です。
直ぐ焼き出し。 帽子たるむ。
研ぎの刃取りは濤乱風に刃取っていますが、大坂新刀の雰囲気は無くもっと刃中沸付き賑やかに働く。
棟の内曇がよく効いていて大変気持ちよい研ぎです。
”予測の付かない刃文”と言う伊予掾を少し連想しましたが、以前拝見した紀充にも似る。或いはそれそのものか?! 筒井紀充と入札。
四号 刀
定寸ほど。 反り深め。 中切っ先。 棒樋。
詰みぎみで少しカス立ち地沸付かず。
小沸出来、互の目足の入る直ぐ刃。叢沸有り。
全く分かりません。 切っ先が大きくないので古三原正廣と入札。
五号 平脇差
尺1、2寸ほどか。 反り浅く付きフクラ枯れる。 棒樋、腰に添え樋や素剣。
樋に掛かるほど焼きが高い部分などが有る激しい乱れ刃で総体にかなり暴れ、焼き頭が沸付く。
応永備前の様な肌で映る。
姿と地鉄は応永備前に近いも刃は少し違う雰囲気です。 こんな彫物が有ったかどうかは完全に忘れてしまいましたが、10年ほど前拝見し衝撃だった御刀ではなかろうか。
吉井清則と入札。
ヨク
時代違いイヤ
当り
イヤ
当り
一号 そう言えば、朝尊にも似てるかも。 南海太郎朝尊と入札。
二号 やってしまいました。 この工にこんな大きいのは無いとは思うのですが、左行弘と入札。
四号 尻懸則長へ。
然
イヤ
当り
通り
当り
二号 そう言えば、現物は拝見した事有りませんが国宝で本阿弥光徳差料の長船長重に似た雰囲気を感じます。
長船長重に入札。
四号 三条吉則に。
然
当り
当り
ヨク
当り
一号 刀 平安城住河合大隈守平朝臣廣光
慶応三年紀
二号 脇差 備州長船長吉 (重要刀剣)
永和二年五月
三号 刀 於河州筒井越中守入道紀充造 (重要刀剣)
享保五年八月吉日
四号 刀 来国次 (特別重要刀剣)
五号 脇差 藤原清則
長禄三年十二月日
重刀図譜を見ていたら皆焼の吉井が有りましたが、五号の清則もその手の出来です。吉井にもこの様な出来が有るのですねぇ。
四号、ヒント無しなら私ではずっと当りません。
長船町史
日々研磨のうちにブログ更新も滞っておりました。
備前刀の中でどうしても知りたい事があり、色々調べましたが資料が全く足りず・・・。
運良く長船町史を安価で見つけましたので購入(そうなんです、まだ持って居なかったんです長船町史(^-^;)。
残念ながら知りたい事は載っていませんでしたが、今後の良き資料となってくれることでしょう。
長船町史は、「刀剣編図録」「刀剣編史料」の二冊に分かれています。
長船町の発行です。
「刀剣編史料」の方は、多数の古文書類の備前物に関する記述を編纂した物で凄い情報量ですが、残念ながら私には難しくて活用出来そうにはありません(-_-;
どんな書籍でもそうなのでしょうが、それにしても史料・図録とまとめあげるのにどれだけの労力が要った事でしょうか・・。
これだけの本を長船町発行として出されている事に驚きました。
さすが刀剣王国備前長船です。
しかし、備前刀を語り尽くすにはもっとこの何倍もの冊数が必要になる事でしょう。
編集・編纂に関わられた方々の色々な思いは私などでも想像がつきます。
備前刀凄すぎです。
完成
とある大小の全身押形です。
押形の大小とはまた別の話ですが、刀屋さんなどでかなり立派な大小の拵えで、しかもその刀身も位列の高い物が入っている物をまま見ますが、ああ言う品は、当時のかなりの身分のお方の持ち物です。
少し拵えの質が少し落ちたり、拵えはそこそこでも中身が今一と感じてしまう様な物でも、それはそれは高価で大切な物だったのだと思います。
現代では何から何まで手にとって見る事が出来る時代ですので、最高ランクの物を基準にして物を見る事が出来ます。 なんとも贅沢な話ですね(*^-^*)
以前、大名家が拵え付き大刀を注文した時の詳細な注文書が付いた御刀を拝見した事が有ります。
刀身はこれで、鐔はこれで、目貫はこんなので縁頭はこの材質にこの図柄で・・・と言う感じでしっかりと書付も残っております。
全てに於いて保存状態抜群で、刀身拵えとも立派な物でした。
その中身は豊後の行長です。
何かの本に「豊後刀は美術的価値なし」だとか「宇多に良刀無し」的な事が書かれて居ると言う事はちらほら耳にしますが、それはかなり端折り過ぎですねぇ。
御刀を色々と見て来られた方々ならば簡単にそう言い切ってしまう事は間違いだとご存知だと思いますが、初心者の人は、本に書かれて居るのだからそうなんだと思ってしまいますね。
また逆に位列の高い銘だから必ず良い出来だとも限らないわけで、この辺を見極められる目が必要ですね。
まぁなんとも楽しく奥深い世界なのでしょうか。
また話は変わりますが、最近の日本映画ですが、所謂”癒し”を求めるお話が多い気がしますね。
都会に疲れた人が人里離れた旅館に泊まって光を見るとか、人生に疲れて田舎に行き素朴な人々に出会い自分を取り戻す・・・みたいな感じの。
皆、いっぱいいっぱいな時代と言う事でしょうか。
現代に於ける御刀の存在とは、心を落ち着かせる為と言う面が大きいとは思うのですが、ほんとに心がいっぱいいっぱいな状態だとちょっと厳しいものが有るのかも知れないと今思いました。
人は心が落ち着かぬ時に御刀を鑑賞するのかと思いきや、よく考えてみれば、迷いは有るが実はかなり充実した精神状態だからこそ御刀を鑑賞する事が出来るのかも知れません。
っと言う事でTVの話ですが、坂本龍馬は刀好きだったと言う事ですし”龍馬伝”でも御刀鑑賞のシーンなどもっと有ってもいいのにね、とミーハーな私なんぞは思うのでした。