また練習
毎朝(毎?)ちょっとだけ練習を
久々に練習を
短刀鑑賞
日付は変わってしまいましたが今日は古刀の短刀ばかり七振り拝見。
いずれもきっちりと手の掛かった良い研磨がされておりました。
全て在銘で多くが年紀入り。 茎の保存状態もかなり良い物が多く、上身も当然の出来です。
短刀良いですねぇ。
そして今更ですが、刀にとって研磨はとても重要です。
手間の掛かって居ない研ぎはせっかくの御刀の品位を落とします。
しっかり研がれた物は、より一層良くなります。
献上銘忠廣(初代忠吉)
研磨記録に武蔵大掾忠廣、献上銘の御刀をUP致しました。
研磨記録へのUPにあたり献上銘について、さきほど肥前刀備忘録著者の横山先生に色々とご教授を頂きました。
献上銘一つにしても、かなり色々な事をお教え頂きましたが、とても研磨記録内では書ききれません・・。
肥前刀に関する古文書はかなりの数が残って居るそうで、お聞きするお話全てが大変勉強になり、また非常に興味深いものばかりでした。
現在、先生は肥前刀関連書籍第二段の執筆中だと言う事です。(発行時期未定)
待ち遠しいです(^^)!必ず入手したいと思います。
無題
なかなか
進めなければ行けない事が多く、HP更新が出来ておりません。
研磨記録更新予告からかなり時間が経ってしまいました。
当然ながら研磨の進行を最優先に考えておりますのでHPにはなかなか手がまわりませんが、研磨の中の気分転換も兼ね、追々更新したいと思います。
本日は、康廣や永重など多数拝見。
備中守橘康廣(裏・菊紋) 刃長は二尺四寸ほどです。
反り浅目。
本国は紀州で紀州石堂の人であり、後に大阪に出て大阪石堂と呼ばれます。
石堂派ですので通常は備前福岡一文字(鎌倉時代)を狙った丁子刃を焼きます。
康廣(江戸時代中期)はかなり上手な人で、匂い口の柔らかい丁子を焼き、磨り上げて本科に化けさせられそうな刃を焼いた刀を多く目にします。(実際、大磨り上げ無銘で石堂と見える刀は頻繁に目にしますので、石堂派の各工の作品が一文字等に化けさせられてしまった物なのでしょう)
また、過去に拝見したり研磨させて頂いた康廣は映り気が良く出た物が多く、石堂の中でも殊に映りを出す作風で有ると言う印象を私は持っています。
で、本日拝見した康廣はと言いますと・・。
良く詰んで強い地鉄に、大阪新刀や伊賀金の二、三代を見る様な大互の目を焼いていて大変良い出来の御刀でした。
数十年前の研ぎでしょうが研磨も大変素晴らしく、仕上げに大変な時間が掛かっていると見えます。
たまたまなのかも知れませんが、私は石堂然とした康廣しか拝見した事が有りませんので新鮮な感覚を以って拝見致しました。
大阪に出て大阪新刀の影響を強く受けた事が窺える出来です。
影響を受けると言っても、ただ作品を見ただけでそれを造れる訳では有りませんので大阪新刀刀工の誰かに師事したと言う事でしょう。(まだなにも調べずに書いてしまっています。すみません)
刀、(菊紋)一 摂津守藤原永重
刃長は二尺三寸ほど。
表、切刃造り。裏鎬造り。
重ねが厚く、しっかりとした造り込みです。
私は永重と言う刀工を知らずに拝見したのですが、一目で仙台の刀だと分かる出来です。
良く詰み強く、完全に柾目と成る肌に、匂い口深く、働き豊富で大変明るい直刃。
國包との違いを私には見出せませんでした。
大変出来のよい御刀です。
位列を見ると、”中上作”となっておりました。
こういう御刀を持つと目利きだと言われるのでしょう。
ところで、沖田総司の刀が確か「菊一文字」と言うふうに司馬遼太郎が小説の中で書いて居たと思います。
何か根拠が有っての事か、全くの創作かは私は知りませんが、茎に菊紋と一文字を切る刀工はかなり多くおります。
普通は古い所の菊紋や一の字が入った御刀を実戦で使う事は考え難いですから、新刀・新々刀の菊紋に一、偽銘、全くの創作、のどれかでしょうね。