京都新聞をみると

今朝京都新聞をみたら、「宵々々山」の記事が。
と言う事は、今日は祇園祭「宵々山」と言う事です。
毎日必死に下地(研ぎ)をしていたら知らぬ間にもうそんな時期でしたか。
てな事で今日の夕飯は息子を連れて祇園祭の夜店に行って来ました。(嫁さんと娘はお留守番)
三条京阪から三条大橋を渡り、河原町方向へ。
そうです途中には池田屋が有ります。

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今日は宵々山ですので池田屋騒動が有った日です。(暦の違いなどで日にちは違います)
まだ明るかったのでお客の入りはこれからでしょう。
ちょっと寄って生の一杯でもと思いましたが今日は息子が一緒ですのでまた今度。
河原町三条をず~っと下がって四条通りへ。
今日は歩行者天国です(^^)

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(四条通り東方向)
大分歩いて息子も少し疲れて来ています。 多分もうすぐ「もう帰ろう」と言い出す頃・・・。
「長刀鉾が見えてきた!」っと言ってなんとか元気付けます。

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(遠くに長刀鉾が見えます)
ようやく長刀鉾に到着!

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先に長刀が付いています。
元は三条宗近の大長刀だったと言う事ですが、今はレプリカだそうです。

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こんな感じ(^^) ボケて見えませんが・・・。

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あぁ、もう帰ろうと言い出す直前ですな・・。
クライマックスの山鉾巡行では、この長刀鉾に乗ったお稚児さんが太刀で注連縄を切ります。
その太刀は長い間”軍刀”が使用されていたようですが、2007年に”左行秀”の刀が寄贈され、それが使用されて居るようです。  現物を見た事は有りませんが、無鍛錬刀だとちょっと寂しいですので良かったですね。

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だんだん人が増えて来て祇園祭らしくなって来ました。
やっと焼そばを食べて元気になって来ました。

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私も食べてたら息子に写真を撮られました(^-^; (烏丸蛸薬師辺の路上)

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凄い人で大変になって来ました・・・。

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カッコいい刀を買ってご機嫌。
さてさて帰るとしますか。
明日からは鞘が上がった短刀の仕上げに入ります。
かなり気合を入れて行きましょう。

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次回研磨記録には

次回の研磨記録には短刀をUP致します。

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細身の短刀です。
直刃ですが、返りを激しい調子で腰まで焼き下げています。
この派の短刀は多分少ないのでは無いでしょうか。
そう多く有る物では無いと思います。



池田屋騒動の・・・

先日来の研磨はようやくまとまって参りました。
頑張りました!
すごく頑張ったので円広志さん!私を「となりの人間国宝さん」に認定して下さい(^^)
・・・すみません関西ローカルなお話で。
ところで、「三条木屋町西入ル(三条通三条小橋西入ル)」と言えば、興味の有る方はすぐにピンと来るかも知れませんが、”池田屋”です。
ご存知池田屋騒動の池田屋が有った場所ですが、近年まではパチンコ屋さんでした。 
その後お店は閉店。 京都の一大名所としてはかなり寂しい”パチンコ屋さん跡地”と化しておりました。
しかし!先日その池田屋跡地に「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」として、居酒屋さんがオープンしたそうです!(ニュースで見ました)
池田屋跡地前(京都の繁華街の中です)を歩く度に、「なんだこの状態は・・・京都市何やってんねん!」と思っていましたが、色々と複雑な事情があるのだろうとも思っていました。
居酒屋さんと言う事ですし、気軽に行けそうで楽しみです(*^ー^)ノ
新撰組に特別な知識も思いいれも有るわけではありませんが、にわかファンとして一度は行ってみたいお店です。
予約でいっぱいらしいですが・・・。



くもりなど

内曇や地艶などの工程を行っています。
しかし今回はなかなか抜け出せないヒケの迷路に入り込んでしまったようです・・・。
曇りや艶の工程でヒケに困るなんて事は、研磨初心者の人だけの話だとお思いでしょうが、ずっとやっててもたまにはこう言う事になってしまう時もあるんです(>_<) それにしても今回はなかなか抜け出せません・・・。 ヒケ地獄に入ってからの純研磨時間は20時間以上になりますが、いつもの感じとは全然違うタイプの鉄質である事にようやく気が付きました。 艶を変えたり工程を後戻りしたり、また進み、また戻り・・・と色々な原因を潰して来ましたが艶の上がりと拭いの入り具合が特殊です。 さて、明日は仕切りなおして進めましょう!  こう言う時は完全な気持ちの切り替えが必要です。  今までのロスの事は完全に忘れなければダメです。 ロスを取り戻しに行くとダメですね(^^) 終わった事は捨てます。



クモなど

日日研磨を進めております。  
HPの更新もしたいのですが、色んな物がそれまで届きません・・。
今日は地鉄も刃文も難しく思う様に進まない。ほんの少しだけ滅入ります。
こんな時は御刀鑑賞。
名刀から力をもらいます。 ・・・
ん~、なんだか少し違います・・。
そんな感じではなくて、「気持ちを少し静めます」が正しいですね。
と言う事で、村正、南紀、武蔵大掾(特別な銘)、雲次をじっくりと鑑賞。
備前國に、長船派とは別系で宇甘(うかん)派として、銘に「雲」の字を切る刀工がいます。
雲の字を切るので雲類(うんるい)とも呼ばれています。(刀関係の人達は”クモ”ともよびます)
雲生、雲次、雲重、守次などの刀工が居ます。(と、ここまで書いて、他に誰が居るのかと思い調べようとしましたがなかなか見つからず・・。時間が掛かりそうなのでやめます。)
時代は鎌倉末期から南北朝で作風は、備前刀でありながら、山城風や少し大和掛かる物も有るようです。
山城風と言うのは、輪反りであったり帽子がフクラにそって行き先が丸く返るところ。
そして匂い口の締まった刃で、逆足が入るなど青江風でも有る。
また、映りが極めて鮮明に出る物も多いようです。
今し方拝見した雲次(無銘)も、匂い口締まり気味です。
本来は映りがかなり鮮明に出ている御刀なのでしょうが、刀身表面をダイヤモンドペーストか何かでかなり磨かれてしまい、黒くテカテカ状態になり、映りもかなり沈んで居るようです。 
 さぁ。 明日は新たな気持ちで研磨に入ります。



支部鑑定

 21年6月21日
一号 脇差
一尺七寸ほどか。
表切刃、裏菖蒲造り。 研ぎ減りから重ねが薄くなる。
表の鎬地に幅が大変広くて浅い棒樋(研ぎ減りで浅くなりダレる)
裏の鎬地二筋樋(こちらもかなり減る)
地は白く荒れた大肌が板目状に多数でてかなり疲れる。
刃は直刃調ですが、研ぎ減りにより刃が下がり直刃になってしまったようで、元来は乱れた物。
焼刃のかなりの部分が沈み、匂い口が逆転してしまっています。
この状態から元の地刃を想像するのはかなり辛い。
切刃ですが越前とは違いそうです。
研磨の話ですが、本造りの刀ならば鎬地を磨き針で磨きますが、切刃造りは鎬地は拭いで終えます。
この脇差には切刃側の鎬地に幅の広い樋が有ります。
切刃ですのでチリ部分には磨きは掛けず、拭いで終えるのですが、これだけ広い樋があると大変厄介です・・・。
拭いで終えた部分と磨きを掛けた樋の部分の色を比べると、樋の方が鏡面でかなり黒く見えます。
そして、その他の鎬地部は拭いで終えているので樋に比べかなり白く見え、結果樋が浮いて見えてしまい、妙な雰囲気になってしまいます・・・。 かなり入念な研磨をしなければ、この様な造り込みの刀は様になりません。
 当る刀ではないので初代忠吉と入札。
二号 脇差
新々刀の大互の目の脇差です。
刃は沸出来。
 手柄山正繁と入札。
三号 短刀
備前短刀。無反り。こづむ。
 寛正則光と入札。
四号 短刀
派手な柾目。 内反り(多分先で)。
少しギラギラ感がありますが、良いハバキなので保昌に。
 貞興と入札
五号 刀
二尺五、六寸。 直刃。 荒い沸。
現代刀。
これは当らない。
 白鞘の柄が長いので剣竜子貞晴にでも。
 
 国違い
 通り
 国入
 国入
 同然
一号
 とりあえず国違いをイヤと捉える事にします。 東へ向かい入札をして行こう。
 肥後守輝廣と入札。 忠吉でイヤなら輝廣とは入れられないんだっけか・・・?!まぁいい。
二号
 正繁で通りですが山陽道には見えないので江戸の方で通りと捉える事にします。
 でさらに”通り”の刀には見えないので江戸で入れよう・・・。
 なんだか考える気力をなくしたので・・。
 水心子正秀と入札。(正繁は一応水心子門ですがどうなんでしょう。私入札鑑定のルールの勉強不足です)
三号
 家助と迷う・・。
 
 康光に入札。
四号
 手掻包清と入札。
 イヤ?
 当り
 同然
 当り
 同然
一号 も少し東へ。 堀川国廣と入札。
 一号  上総介兼重
 二号  水心子正秀 文化九年八月一日
 三号  備州長船家助 正長元年十月日
 四号  包久
 五号  無銘(極めなし)
おっと一号は結局越前に関連する刀工でした(^-^;
それにしてもこの出題刀で95点を取られている方がおられました。
お見事!!
 
 



全身で

今回は全身押形をとらせて頂きました。

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大変出来の良い正廣です。