ハイスで寄せ

埋鉄用の資材ですが、いつもお世話になっている方々から御提供頂いたりして色々と集まっています。
本当にありがとうございます。
これらは所謂”残欠”と言うような品で、戦後に進駐軍の接収を避けるため細かく切断された物や、刃切、大きなフクレなどの致命的欠点が理由で細かく切断された物などです。
これら埋鉄資材には、フクレ、フクレ破れ、鍛え割れなどの傷類が出た物も多くあり、この傷部を実験や練習の材料とする事で二重の利用価値が生まれます。  大変ありがたい品なのです。
昨日はお昼の休憩時間を利用して、先日UPしたハイスタガネの一本から寄せタガネを作り埋鉄資材に有る傷の部分を寄せてみました。
・・・。
ハイス硬っ。
めちゃめちゃキンキンなんですねぇ。
まそりゃ皆焼なんだから当然ですが。 
これは寄せにはダメなんでしょうね。
今まで通り炭素鋼で行きましょうか。
なんだか炭素鋼の応用性と言うか大らかさ(もちろん繊細で有る事は言うまでもありません)をほんのちょっとだけ実感した気分です。
私の仕事は研ぐばかりで鍛冶をする方々の事は殆ど知らないのですが、”鉄”とは色々と知るにつれ人を魅了する何かが有るのでしょうねぇ。
おおむかしの人がこんなに素晴らしい刀を造って居たと言う事に改めて驚きます。



高速度鋼

私にとってはちょっと難しい直しが続きますのでタガネを購入。
いつもは炭素鋼を使っていますがハイスを買いました。

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幾人かの方にハイスの特性や処理方をお教え頂きましたが、私の性格にはハイスが有ってるでしょう。



先日の磨き棒(へら)

先日ブログにも書きました売店で買った磨き棒ですが、めちゃめちゃいいじゃないですか!
道具類ですので当然使う人の好みも有りますが、私は凄く気に入ってしまいました。
本当に気に入ったので4、5本まとめて買いたい所ですが、多分この一本で一生使えますので買うのは我慢します(^^)
この形のヘラは私は初めて使ったのですが、売店で売ってるくらいですのでもしかしてこれが一般的なのでしょうか・・・。
なんだか10年くらい出遅れた感が・・。 まぁ今出会えた事を喜ぶ事にしましょう!



陸奥守吉行

この名前を聞くと、御刀好きの方よりも幕末ファンの方の方がピンと来るかも知れません。
そうです、坂本龍馬の佩刀として知られるあの「吉行」です。
それその物では有りませんが、今日は陸奥守吉行の御刀を拝見致しました。
龍馬が暗殺されたその時、龍馬が握っていた吉行(二字銘)は、大正時代に焼けてしまい、現在は京都国立博物館の蔵品となって居るそうです。
入手の経緯としては、京都の龍馬が土佐の実家の兄に手紙で頼み、西郷を介して龍馬の手に渡ったそうです。
吉行は土佐の郷土刀です。
その後、龍馬は吉行を喜び京都で幾人かの鑑定家に見せ、「一竿子忠綱位に見える」との評価を得、大変喜んで居たそうです。
陸奥守吉行は大和守吉道門ですので、中河内や一竿子の様な丁子を焼いて居たのでしょうね。
(この辺の内容は「坂本龍馬と刀剣」 小美濃清明 ・ 新人物往来社 から。)
暗殺時は斬り込みを鞘ごと受け、棟に酷い斬り込みが残っているそうです(私は現物を見た事が有りません)。
本日拝見した吉行は、「陸奥守吉行」と受領銘入りです(保存合格済み)。
大変良い状態の茎で、錆色も大変良く、丹精な銘です。
私は吉行を拝見するのは初めてだったのですが、こんな作風も有るのかとちょっと以外でした。
「坂本龍馬と刀剣」に、吉行二字銘の刀の茎の押形と物打ちより上付近の刀絵図が載せられており、詳しい説明が無いので龍馬愛刀の吉行と理解して居たのですが、その刃文は匂い口締まり気味の中河内や大和守吉道の様な丁子刃です。
それと並べて粟田口忠綱の押形を参考に載せ、「一竿子忠綱くらいに見える」との当時の鑑定の意味を解説して居ます。
先ほどネットで、龍馬愛刀吉行は焼け身と言う事を知り、よく分からなくなってしまいました・・・。(再刃?!)
で、この本の刃文のイメージをずっと持っていましたので、本日拝見した吉行とのギャップが大きかったのです。
互の目で少し尖り交じりで部分的に濤乱風にもなっています。
かなり沸付き、私的には呰部水田を思い起し、そしてなかなか良い御刀で驚きました。
 さて研ぎの方は石堂の内曇です。
石堂は鎬柾と言いますが、板目で地からの映りが鎬地で最高潮に達しています。
磨くのがもったいない・・・・。 
この鎬地は平地に負けない良い肌です。



卓上グラインダー

18歳の時から研磨の仕事をしておりますが、初めて! グラインダーを買いました(^O^)♪
かなり嬉しい。
いやいやもちろん御刀をグィーンって削るわけではありませんので誤解の無きようお願い致します(^-^;
あれやこれやと材料を加工したり、道具を作る時に当然の如く必要なわけですが、今まではゴリゴリとヤスリで削ったり砥石でシコシコと作っていたりとまことに非効率な作業だったんです。
しかし大量に作るわけでもなく、頻繁に使うわけでもなくと言う事で欲しいながらも今まで買わずじまいで・・。
それにしてもグラインダーを今更なんて・・と言う感じでお恥かしい話ですが、今更ながらどうしても欲しい事になったんです。 
新しく色々と作る事はなんとも嬉しいもんですね。

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5千円ほどのホビー用の安価な品ですが十分でしょう。
こいつは研ぎ場で使ってしまうと砥石の粉で大変な事になってしまいますので屋外で使います。
手前はWA、奥はA。
PAが今回の用途には良さそうですが、有るのか・・? グラインダ初心者の私にはよく分かりません(^-^;
コーナンに行って見てみよう。
無かったらGCを買おう。
色々やってみよう。



備前國長船へ

今日は仕事で岡山県の長船町へ行って来ました。
日本刀の作風を大きく分類すると大和伝、山城伝、備前伝、相州伝、美濃伝と五つに分けられ、これを五家伝と呼んでいます。
それぞれの名前で示される国で確立された作風であり、いずれも強い個性を持っています。
これらの国は主に古刀期に刀剣の主要生産地で有ったわけですが、なかでも備前と美濃は特に大量に生産されていた国として知られます。
その一つ備前國。 
「備前長船」と言えば名刀の代名詞な訳で、世間では「備前長船」が刀の名前だと思っている方も多いようです。
しかし、実際はこの「備前長船」の後に、長光、康光、勝光、祐定などの銘が入り、それが作者名であり、「備前長船」は地名で有りまたブランド名なのです。
新幹線で岡山駅に着きそこから在来線で「長船」まで行くのですが、路線図を見て気持ちが高鳴ります。
備前、備中、備後と言う文字を見るだけでも普段刀の世界で大変なじみ深い物で嬉しいのですが、長船、妹尾、和気、尾道、三原などの駅名を見るとほんとに山陽地方は刀剣王国だったんだなぁと実感します。
地元の方は慣れてしまってて何も感じないんでしょうねぇ。 
京都に居て三条、五条、粟田口などの地名にあまり強く感じる物が無いのと同じだと思います(^^)
お仕事の用事の方ですが、本当に行ってよかったです。
私にとって大変意味のある大きな一日となりました(*^ー^)ノ
そして、現在備前長船刀剣博物館で開催されている「第四回 お守り刀展覧会」に行きました。
私、現代に造られる御刀について大変興味が有り、かなり好きですので(しかしまだまだ全く現代に造られている御刀については知らない事ばかりです)至高のひと時だったのですが、時間が無く短時間で終了。
受付の方にお聞きしたのですが、残念ながら館内撮影もNG(>_<) 返り際、刀剣の里の売店で磨き棒(ヘラ)発見!
最近小さいヘラを欲しいと思って居たところでした。
「売店で売っている道具なんて・・・」と思われるかも知れませんが、売ってる場所は関係有りません!良いか悪いかです(^^) (まだ使ってませんが・・・。ちょっと曲がってたので直しました(^-^;) 1万8千円也。
先の形状が面白いので色んな角度で力を変えられ重宝しそうで。

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先がかなり綺麗だったのでちょっと粗します。



今週も

 もう週末です。 早いです。
今週も支部鑑定を除き、多数の御刀を手にとって拝見する機会を頂きました。
古波平、古伯耆、磨り上げ無銘小太刀(古青江・古備前や山城か)、来国真、来国安、手掻、千手院、小反り、大磨り上げ(再刃と思われる)、末古刀在銘短刀、下原脇差、新刀在銘焼身、新刀磨り上げ無銘(越前関か)、慶長新刀薙刀、武蔵大掾忠廣二振り、新刀上々作脇差、康継脇差、南紀、紀充、信秀、江州新々刀、肥前名鑑漏れ新々刀、新々刀無銘短刀、時代不明大磨り上げ脇差(南北朝か新々刀か)、新々刀大磨り上げ無銘最上出来の御刀、新々刀無銘(漢文切り付け銘有り)、銘消し無鍛錬軍刀、現代刀三振り。
仕事として御刀に携わっておりますとこの様に、日々御刀と出会う毎日です。
(刀屋さんはこのペースの何倍~何十倍の御刀に触れてられて居る事でしょう)
こうして思い返しながらブログに書いてみると、その御刀の出来口も思い出しますので復習と言う意味で勉強になります。



まるく

私、昔はかなりの神経質でシーツのシワ一つでも気になって、っと言うか痛くて全く眠れませんし、めざまし時計も「ぴぴぴぴっ」とか「りりりりりー」とか「じじじじじー」などの音で目を覚ます事はまず無く、そうなる前の「カチッ」っと言う動作音の時点で必ず起きるタイプでした。
また、例えば左手や左肩、頭の左側などに触れられたり何かが当ったりした場合(自らの行為であっても同じ)、それと同じ強さで反対となる右側の同箇所に同じ刺激を与え、左右のバランスをとらないと気持ちが悪いのです。
しかしなかなか同じ強さの刺激と言うのは難しいもので、左肩を自分で触ってしまったとしたらなるべく同じ強さで右側を触るのですが、それが少し強すぎたりすると、同じ数値に成るように後少しだけ左に触れます。 しかしそれがまた強すぎて調整の為、右をちょい触れ・・・。 あぁめんどくさい。 
しかし年齢を重ねて行くにつれ、そんな体質も徐々に改善されて来ているようです。
嫁さんには「昔はあんなだったのに、今では・・・」っと、良いやら悪いらや・・・。
ですが神経質と言う事は研磨の仕事にとってはかなりプラスの面が多いのです。
大分まるくは成りましたが仕事に活かせる程度にそれは保てたらと思います。
本日は大事な用で夕方少し外出。
そして栗原信秀の重刀を拝見。 
長寸で身幅重ね共しっかり残っています。 
少し反りめで大切っ先。清麿門らしく、フクラ枯れぎみで鎬幅狭い造り込み。
棟先の反りがよく残っていて、打ち下ろし後あまり研ぎ重ねられない健体さが見て取れます。
刃は沸出来ですが、光源がいつもの基準の物とは違うため正確には把握出来ず。
地鉄は蛍光灯と太陽光で拝見しましたが大変強く素晴らしいものでした。
この御刀は所載刀でありその解説に地鉄「総体に流れごころ」となっておりますが実刀はそれほど流れごころと言う印象は有りませんでした。
古刀はまた別でしょうが、若い刀で意図せぬ流れと言うのはあまり良い評価にはならないと思いますので、この解説はすこし気の毒にも思います。
新々刀の重要刀剣にはそうそう出会う機会も有りませんので貴重な鑑賞でした。ありがとうございました。



21年9月13日 京都支部入札鑑定会

一号 刀
  
 二尺四寸ほどでしょうか。
心持ち反り深め。 身幅広めで重ね厚く、中切っ先少し延びごころ。
先の下がる棒樋。
肌流れ、立ち気味でかなり白ける。
刃は潤み、崩れなど目立ち総体に焼きが低い。
大きく焼落とし。
帽子は裏が延寿っぽく表は確認出来ず。
 平長盛と入札。
二号 太刀
 重美とだそうです。
定寸(じょうすん)ほど。 腰反りぎみで小さい切っ先で良い姿。
肌はかなり沈んでいますが、荒れなどは無く整って少し柾気有り。
淡く映り。
小沸出気の直ぐ調の刃で、所々沸が凝って尖りや互の目が交じり、飛び焼に成る部分もあり。
帽子沸え火炎風。深めに焼下げ。
 重美と聞いてしまったのでかなり迷います。
本国物では無いでしょう。 刃の沸え方や少し飛び焼きに成る所などが石州直綱とつながる雰囲気ですが、少し大人し過ぎる刃文です。 優しめの姿も気に成ります。 
清綱って重美何振りくらいあったかなぁ・・・。
 二王清綱に入札。
三号 太刀
 
 定寸弱か。 反り深め。 小切っ先ぎみ。 少し細身。鎬高めで重ね薄い。
板目大変よく目立ち、肌立つ部分も多い。 平地真ん中より少し刃寄りから鎬方向へ映る。
直刃。刃肌がかなり目立ち、染みる部分が多い。 帽子フクラに添い、先掃きかけ。
 わぁ迷います。 染みながらも沸えて明るい刃で、刃肌が沸粒で構成されて居て輝いています。
肌立つも嫌味が無い。
考え疲れてしまいました・・・。
 雲生に入札。
四号 刀
 二尺ほどか。 
広直刃。 刃中寂しい。 板目肌立ち気味。
 長船祐定(彦兵衛)と入札。
五号 短刀
 冠落し。 小さめ。 柾。
 新々刀で柾目で小さめと言うと何があるのでしょうか・・・。
 市毛徳鄰と入札。
 準然
 イヤ
 イヤ
 然
 準然
二号、山陽道でイヤでしたが、やはり姿の点で気になり直綱には入れられません。
古入道で重美が有ったかどうか忘れましたが、古入道国光で入札。
三号、この刃の良さから古備前や古青江も考えますが、どうにも違います。
名品刀絵圖聚成に龍門延吉の地肌の写真が載っているのですが(刀美名刀鑑賞にも載ってたような気が・・)、あの肌とどうしても重なります。 でも刃は大和じゃないけどなぁ・・。 もう疲れたので、龍門延吉に入札。
 準然
 準然
 イヤ
 然
 準然
わぁ、今日はおまけばっかり(^-^;
三号、肌物と言うつながりだけですが、実阿に入札。
提出しましたが、札を見て「もう一回入札してみっ」っと返して下さいました(^-^;
ん~~、違うけど考え方の方向が有って来たよと言う事だと捉えます。
まさか違うとは思うけどと、則重に入札。
 準然
 準然
 然
 然
 準然
一号 刀  源盛房作
        二月一日
二号 太刀 桃川長吉(重要美術品)
三号 太刀 無銘 古伯耆有綱(重要刀剣)
四号 刀   忠光
五号 短刀 月山貞一造
         明治二年夏  
二号桃川長吉ですが、頻繁に本で見るあの太刀の現物です。 こんなに良い茎味だったのですね!本ではもっとヘタってしまったタガネに見えるのですが太く鮮明な銘が残っております。
三号ですが、古伯耆を忘れておりました(^-^; 良い太刀です。
則重は古伯耆の肌の雰囲気を狙っていたとも考えられると言う事でおまけ然と言う事です。



疲れをとるため銭湯へ

ここしばらく高校生時代の学校が休みの日の昼を思い出します。
中学時代もそうですが、日々ひたすら部活ですので三年間で休みの想い出はほぼ有りません。
私はボート部だったので休日は朝から練習がきつく昼ご飯は体が受け付けません。
ここでちゃんと飯が食えるヤツと食えないヤツに別れるのですが、私は食えないヘタレでした(T-T)
最近この感じで、昼、夜とご飯がきついです。
まぁそう言っていては体力が持ちませんので無理やり食って、アリナミンEXとキューピーコーワゴールドαとリッチミンで体力回復を図りつつ仕事をこなします。
今日は少しでも研ぎの疲れを取り除くために銭湯へ行く事にしました。
こんな時代ですが京都市内には未だ百数十の銭湯が残っているそうです。
かなりの老舗銭湯も多数あり、北区の船岡温泉などはTVでも度々紹介され有名です。
今日は以前から気に成っていた左京区白川通り辺の白川温泉、同じく左京区で素敵な名前で気に成っていた雲母湯(きららゆ)のどちらかに行こうと準備。
しかし、銭湯なんてもんは地元民がいただきに行くのが前提ですので駐車場はまず有りません。
白川、きらら共に大変狭い所に有るものですから車の止め場所に困ります。
コンビにに止めちまおうかなどと考えましたが気の進むものでは無く、タイムズなどにとめて歩くには長距離過ぎるのでいずれも却下。
結局近くの以前研ぎ場を設けていた上賀茂社家町の銭湯へ。
上賀茂には独りで数年居て、ひたすら研磨の日々で色々想い出の有る土地です(^^)
ある方のブログで社家町を見ましたので貼ってみます。(明神川畔の旧私の研場も写真中にあります。)
あぁ慣れた銭湯はまたそれで気持ちいい。
一緒に行った息子はひたすら冷水をかぶっている。気持ちいいらしい。そう言えば田舎の川でも水から出てこなかった(^-^;
頼むから私にかけるのはやめて。
すっかり疲れもとれました。
これでまた研げます。
富山県水墨美術館に於いて、「大名家秘蔵の名刀展 ~源平の武将から維新の志士たちまでの愛刀~」と題した展覧会が9月23日まで開催されております!
今日のブログでも少し触れました北区船岡山の船岡温泉のすぐ北、船岡山中腹にある建勲神社所蔵の名物義元左文字含め、多数の名刀が展示されております!
私は残念ながら行けそうも有りませんので図録だけ買いました。
行ける方は是非楽しんで来て下さい。