山鉾巡行

函谷鉾

今日は祇園祭山鉾巡行で、少しだけ見に行きました。
立って居るだけで汗がにじみ出る暑い日です。
長刀鉾のお稚児さんの注連縄切りも無事一太刀で成功したようです。
以前この太刀は左行秀だと聞きましたが今もそうなんでしょうか。

長刀鉾
函谷鉾


長刀 銘 平安城住三条長吉作
     大永二年六月三日
(切り付け銘)去年日蓮衆退治之時分捕仁仕候於買留申奉寄附 感神院江所也 願主江州石塔寺之麓住鍛冶左衛門太郎助長 敬白 天文六丁酉歳六月七日(長刀鉾保存会蔵)

平安城長吉の三尺七寸七分の長大な長刀が伝わっています。この長刀には焼き刃が無く、長刀鉾の鉾先につけるために製作されたと思われます。
若州次廣、信濃守信吉には鞍馬寺竹伐り会式(たけきりえしき)で使われる山刀があり、これらは刀鍛冶が製作した祭具としての貴重な作例です。



柴田果の肥前刀観

柴田果のコレクションは壮大でその数は数千ともいわれるそうですが、一般愛刀家でなく刀の製作者である人物のコレクションとはどのような物だったのでしょうか。先日読んでいた本に晩年と思われる自筆の蔵刀目録がある事が記されておりその一部があげられていました。古刀から新刀までかなりの範囲を網羅しており、普通と言えば普通。。ただやはり刀工名を見ただけでは分かりません、実際の刀を見てみなければ。どのような作風の刀達だったのでしょう。
集める範囲は広かったようですが、とりわけ肥前刀への関心は高く、刀剣美術第10,12,13号(昭和26年)に「刀匠は斯う考へる」として自身の肥前刀観を吐露しています。その書き出しはストレートで「私は肥前刀が好きである」から始まります。
「第一に品が良い。垢ぬけがして、すべてに無理がない。刃味がよい。自由に焼刃を渡している。それでいて、これ見よと言うような衒気がない。まことに精品という感じである。其上に、刀匠は幾代も上手が続いている。」
肥前刀の良さを端的に表した一文です。続けてこう書かれていました。
「次に最も重要なことは、製作されている数量もまた相当に多い。そして、作品に例外というものは餘りない。この事も私の好きな理由の一つである・・・・・・というて、此例外なしと言うことは、精良なナイフ工場が作るナイフの如く画一的のものと言う意味ではない」

肥前刀の作刀数はかなりの数にのぼり、特に近江大掾などは刀剣史上突出しているはずです。研磨や入札鑑定で出会う事も非常に多くその多さを常に感じる中で、「精良なナイフ工場が作るナイフの如く画一的のもの」という気持ちが私の中に生まれていました。
この感覚は改める必要がありますね。改めるといっても「変える」という意味では無く「正しいかどうか詳しく調べて確かめる」方の意味です。もちろん、心の中で柴田果の見方が間違っていると思っているのではなく、私の方が間違っていた、考察が足りないと思っているのですが、まだ実感出来ていないのです。
少し先になりますがちょうど近江大掾のしっかりした造り込みの刀の研磨を予定しています。押形をとりながらじっくり考えてみたいと思います。








柴田果

読んでいた本に柴田果の事が書かれていました。
刀鍛冶であり大変な収集家でもあった事は知っていましたが、詳しく知らずで。
重文の小夜左文字を持っていた方なのですね。ネット検索するとその事が沢山出て来ました。
柴田果の短刀は過去2口研磨させて頂きましたが、内一つが今思うと左文字風の造り込みでした。
当時は則重を狙ったかとも思っていましたが、僅かに反っていた記憶があり、だとしたら則重でなく左文字です。(こんな時、全身押形を残しておくべきだったと後悔します。。)
小夜左文字を所持していたという事はやはりそれを狙った或いは写した短刀だったのでしょうか。気になります。

大正時代の押形 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
↑数年前のブログで私が持っている昔の押形集の事を書いた事が有りましたが、先ほど柴田果の検索ついでに小夜左文字の伝来も見てみました。ネット情報によると、柴田果に渡る前の所有者が、私が持っている押形集の小夜左文字の押形が入っていた封筒の田村市郎さんなのですね。

(上記ブログで但州国光の短刀について「”偽物”と書いているのでしょうか」と書いたのですが、平成28年に重刀指定済みでした。)




日刀保京都府支部入札鑑定会

1号 刀
短寸で脇差サイズかも。末備前。
全体によく反る。末備前の丁子。全身に乱れ映りがよく現れる。
表裏に八幡大菩薩と春日大明神。上に棒樋と連れ樋。
勝光時代か祐定時代かの判断は案外難しく。。
この小振りな雰囲気が勝光らしさ満載なのだが、丁度先日研磨させて頂いた同じ彫りの祐定の脇差とも雰囲気が似すぎていて。
彦兵衛尉祐定と入札。

2号 短刀
冠落造。重ね厚で内反り。良質な板目に刃寄り柾。細直刃で刃寄りの柾肌に絡み自然な働きを見せる。
上手で美しい造り込み。非常に良い地刃で、古刀にしか見えず。
判者さんから新刀であるとのヒントが出ました。
新刀だったのか。驚いた。末波平行安と書いていたが消して、平安城弘幸と入札。

3号 薙刀
少しだけ短めの造り込み。それ程反らず、先もそれ程張らず。
詰む肌、匂い深の中直刃。刃中はよく働く。
肥前忠吉(初代)と入札。

4号 刀
反り浅い。詰む地鉄。直刃湾れ基調で大互の目、矢筈風交じり。玉も焼く。
迷うが、昔研磨したこの人にこの様な作風を見た気がする。
常陸守宗重と入札。

5号 刀
反り浅。大板目うねって流れ、柾がかる。白筋多め。
沸えの深い直刃。
薩州正良系の地鉄。白筋が正良だが5号は新々刀というヒントが出ているので、伯耆守正幸と入札。


イヤ


当同然

2号 古刀に見える新刀でこの作風だとあとはこの人達だけ。肥後大掾貞国と入札。


当同然


当同然

1号  刀 銘 備前国住長船勝光
        明応九年二月吉日
2号 短刀 銘 播磨大掾藤原重高
        越前住
3号 薙刀 銘 肥前国河内守藤原正廣
4号  刀 銘 越前守助廣
        雙
5号  刀 銘 薩州住正良入道
        寛延三庚午二月日行年七十八

2号は越前の播磨大掾重高でした。越前新刀の上手さは日々実感しています。その上出来は銘を消され化けさせられたものと思われ、無銘となった越前新刀に出会う事もしばしば。それらは相伝上位などにされた物が多いのですが、今回の様な古作大和に見紛う物もあるのですね。大変勉強になりました。素晴らしい短刀!