藤島2

藤島刀工を銘鑑でみると以下の通り。結構居ました。
私が藤島と認識して見た事があるのは友重だけかも知れません。
「藤島」とのみ切る物も相当数存在し、それはよく見ます。
また実際の切銘は「藤嶋」で、協会も以前は「嶋」と「島」の使い方が統一されていませんでしたが、どうやら近年は「島」に統一されている様なので私も「島」を使うことに。

有綱 応永
有元 嘉吉
家次 新刀
右衛門尉 応永
景光 応永
清光 文安
清光 明応
国次 永和
是重 正長
是光 永享
重清 新刀
重信 応永
次家 応永
次家 文明
俊重 文明
友家 文明
友景 永正
友清 応永
友清 文明
友清 新刀
友貞 新々刀
友重 明徳
友重 貞和
友重 永徳
友重 応永
友重 康正
友重 明応
友重 天文
友重 天正
友重 新刀
友重 新刀
友重 新々刀
友次 至徳
友次 永正
友次 元亀
友次 新刀
友綱 明応
友長 文明
友弘 文明
友吉 明応
成重 文明
信長 応永
信長 文安
正重 天文
宗重 永正
守重 天正
守重 新刀
森重 天文
康重 天正
行光 康正
行光 文明
行光 文明
行光 応永
行光 康正
行光 永正
行光 天文

刀屋さんの商品説明にはほぼ必ず「友重は来国俊の門人で」の説明がされていますが、現存最古の年紀は応永です。
無銘の極めでは「古藤島」という応永より時代がさかのぼるという意味の鑑定書が出る事がありますし、在銘でも応永よりも古いと思われる物も少し。
しかし作風を見ると、来国俊とつながる様な物を見る事はまず無いですね。造り込みや茎や作風を見るとむしろ大和気質が強い物が多い(昨日のブログの通り備前と間違われる物も多いです)。例えば浅古当麻信長は当麻の流れといいますが、藤島に似た物がありますし。
藤島は鎬が高く、茎も当麻茎に近く、作風は尻懸風の物もあり。宇多や浅古当麻など、大和系刀工との交流が多かったためでしょうか。
重刀の中に「藤嶋友重」銘の短刀があります。刃長8寸5分で内反り。鍛えは杢がかり肌立ちごころ。刃文は直ぐに小錵付き小足入る。帽子小丸で僅かに返り、掃きかけで金筋入る。茎は振袖がかり、目釘穴3。
解説で「剣書に初代友重は来国俊の門人としているが、この短刀に見る時代、作風はそれを裏付けるものがある。」とある通り、垢抜けた良い短刀です。名義は永藤一さん。流石に良い物をお持ちです。
関西で刀剣の展示が色々と | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区



藤島

古刀期の加賀国には藤島一派が居ます。一派とは言いますが、では誰がいる?と考えてもパッと出てくるのは友重ばかり。
しかし先ほど銘鑑で見ると友重以外にもかなりの掲載があったので、それはまた後日。

さてその藤島の刀ですが、私はやけに沢山あるなと感じています。
研磨した数でいうと、おそらく豊後刀よりは多い。そしてもしかしたら関物よりも多く研磨しているかもしれません。
豊後や美濃といえば刀剣の量産国として知られ、銘鑑の古刀期の刀工分布図によると、美濃は備前に次ぐ2位、豊後は山城、大和、備中に次いで6位の刀工数を誇っています。で加賀はというと、14位。筑前の次、肥前の前です。肥前の古刀って誰よ。。
この「刀工数」というのはあくまで刀工の数であって、刀の生産量ではありませんので、生産量の順位がそのままではないかもしれませんが、おそらくこの順位に近いものになるでしょう。
藤島が多いというのも、単に私の環境から来るところが大きいと思いますので、実際の現存数は美濃物より多いということは絶対にありません。が、肌感としてかなり多く感じるのも事実。
在銘も多いですが、もしかしたら無銘が多いので研磨の機会も増えるのかもしれません。
藤島の刀は造り込みに特徴があり、仮に磨り上げ無銘の真っ赤錆で地刃とも一切見えなくても、研ぐ前に藤島とわかる物も多いです。
そして研ぎ上がった無銘藤島を見ればかなり古く見てしまう人も多いかも知れません。
実際複数回経験があるのですが「〇〇先生から”備前の古いところだから買っておけ”といわれ購入し審査に出したが備前にならなかった」と審査に不満を持たれ、拝見したことが。「結果は藤島ですか?」とお答えすると、あぁ・・・。
藤島は短寸で反り深な物も多いですが、結構長く南北末期頃の太刀風の物も度々みます。そのタイプなどは古い本国物の偽材料にされやすいですし、短寸の磨り上げ無銘もかなりの数存在しますから、それらも悪意で仕立てられた物が多いのかも知れません。



保昌と南北相州物

が特にどうしたという訳ではありませんが、保昌と相州生ぶ在銘南北年紀と、広光寸延びの全身押形を採拓。
南北年紀の物は小太刀。まだ採拓中で片面の5割程度。かなり激しい皆焼ですが、「基調は大倶利伽羅広光に似ているかも」と大倶利伽羅の押形採拓を思い出しながら作業を行っていました。
皆焼の時は毎回言っているかもですが、今回こそ本当に薄墨サラサラで済ませます。多分。

保昌も沢山見るうちに、「保昌」と「末保昌」の違いが自然と分かります。
そういえば、大磨上げ無銘の完柾刀に「包清」の極めがあてられた物を幾つか見た事がありますが、あの意味を理解せず来ています。
久々に見てみたい極めですが、今もある極めでしょうか。。
極めといえば・・・。
一般に流通する刀ではなく、本当に眠り続けていた刀を大量に見た時などは、無銘の極めにはちょっと思う所があったりします。
古研ぎ薄錆身 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区
↑この様な事例には度々出くわす訳ですが、新刀・新々刀の著名でない刀に、大変古く見える刀が必ずあります。そしてその人達は仕事も丁寧でとにかく上手い。
上のブログはもうかなり前のものですが、今でもそれは変わらずです。
長期間眠っていて突如出現するのでたまたま在銘のまま残されていますが、普通は磨上げて化けちゃうわけです。

これとはまた性質がかなり違う話ではありますが、「五ヶ伝」という分類方法は、便利だしよく出来ていて、なるほどなぁ~と思う事が非常に多いです。しかしこれだけではどうも説明がつかないというか、納まりきらない事も多々あるわけで、その辺については「大三島の太刀」で小笠原信夫先生が仰っている事に答えがあり、なんでも決め過ぎず、おおらかにみる事も肝要かと。




閑谷神社の長谷部国信太刀

また気になり、今朝改めて調べると簡単に見つかりました。以前もデジコレ見てたはずなんですが・・・。

MUSEUM136に寒山先生による詳細が。
『長さ88㎝、反り2.9㎝、元幅3.28㎝、先幅2.28㎝、鋒長5.75㎝茎長22.2㎝
鎬造、庵棟、身幅広く、鎬幅が狭く、鎬は特に低く、重ね薄く反り浅く大鋒となり、鍛えは板目、所々に流れごころの大肌が交じり、地錵付き地景が入っている。刃文は中直刃調に僅かに小湾れが交じり、ほつれて、足入り、砂流しかかり、小錵がよくついている。帽子は乱れ込、先は掃きかけ、金筋かかり錵付き、裏は小丸に返っている。そして表には二筋樋、下に梵字二つ、さらに下に三鈷剣の彫物があり、裏には二筋樋、下に梵字二つ、さらに籏鉾の見事な彫物があり、茎は生ぶ。先刃細って栗尻となり、勝手下がりの鑢目が立ち、目釘穴1、長谷部国信と細鏨で大振りの五字銘が鮮明で、部の字の口のところに目釘穴がかかっている。そして生ぶの見事な鉄鎺がつき、白鞘入りである。』

因みにこの太刀、明治に池田家から納められた物ですが、登録証問題などもあって東博が買い上げたそうで、往昔抄と光山押形に所収。
両書を確認すると確かにありました。往昔抄に掲載の品ってかなり珍しい。
大分スッキリした。東博で展示があれば見てみたい太刀です。