馬手指(二)

「法隆寺西圓堂奉納武器」の図版に載る馬手差拵を数えてみましたら、鞘だけの物と拵全体が残るものを合わせると18口ありました。(西円堂に残された刀剣類は総数6500口ともいわれますが、図版に載る拵(鞘のみ含め)は300に満たないと思います。馬手指拵といわれる物は掲載品以外にもあるのかも知れません)
それぞれのサイズや解説などは有りませんので見た目判断ですが、完全な短刀サイズと思われる物は5口。寸延び程度のサイズが6口、完全に脇差サイズと思われる物が7口でした。
この西円堂に残る馬手差拵で注目すべきは鞘に付く返角の位置です。

図1

通常の拵に返角が付いた場合、図1の様に鞘の棟側に付きます。(短刀や脇差の場合もう少し鞘幅の中寄りになる場合が多い)
これが馬手差になると全てが反転するということで、図2の様に想像するところです。

図2

しかし実際は図3の通り。

図3

単純に全てが反転するのではなく、返角は刃側へと移動するのです。少なくとも西円堂の図版に載る物は全てこの仕様となっています。
この様に刃側に返角が付く事で、右腰(或いは体の前側に)に差した場合、刃を下に柄が後方にという事になります。
ただ、短刀サイズならばその様に差して抜くことが可能ですが、こんなに長い刃長の脇差を柄を後ろに右腰に差し、それを右手で抜くなんて無理なんです。
ということで、この馬手指といわれている脇差、実は刃を下にして左腰に差した物じゃないでしょうか。
「打刀拵」に大小の半太刀拵で刃を下にして差すタイプの掲載がありますが、あれの類似品ということで。
あ因みに、私武術の嗜みはありませんし、甲冑を身につけた事もありません。刀を振った事もないですね。ちと説得力に欠けますなぁ。。



馬手指(一)

某刀屋さんの動画で柄曲がり(振袖茎)の短刀や馬手指(右手指)についての内容がありました。
馬手指とは、体の左側ではなく右腰に差す物といわれている腰刀の一つです。
馬手指拵の現存品は少なく、その使用法についての記録も少ないことから、腰へのさし方、抜き方について様々な説があります。
某動画ではその使用法について詳しく解説されていて、抜くスピードが重要なため刃長が短くなければならない事など、いちいちご尤もと思える内容でした。
ただ馬手指でも短い物しか無いわけではなく、法隆寺西円堂に複数残る馬手指にはむしろ長い物が多いのです。
「法隆寺西圓堂奉納武器」の解説によると、「その刀身は菖蒲造の鎬の高い尖鋭な刀身か頑丈な両刃の打下し身が多い。刃の長さは一定しないが、一尺三、四寸を普通としている」とあり、図版に写る馬手指拵は、大小の小程に長い物多数です。
こんなに長い刀身は右にさして右手で抜くのはちょっとしんどいですよねぇ。一体どんな使い方をしたんでしょう。
最近振袖茎の短刀6口ほどと関わり、また自分でも銘が差し裏に切られた馬手指と思われる短刀を所持していますので、馬手指というものには興味があります。よく分からないというのがまたいいですし。

法隆寺西円堂
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日刀保京都府支部入札鑑定会

今回は当番でしたので以下の鑑定刀にて入札鑑定を行いました。

1号 太刀 無銘 綾小路     (重要刀剣)
2号 脇差  銘 越中守正俊   (重要刀剣)
         寛永三年八月吉日
3号  刀  銘 左行秀(花押) (重要刀剣)        
         嘉永六年二月日 足達正達佩之
4号 短刀  銘 清磨      (重要刀剣)
5号 太刀  銘 包清(手搔)  (重要刀剣)

1号 太刀 綾小路

2号 脇差 越中守正俊

3号 刀 左行秀

4号 短刀 清麿

5号 太刀 包清

綾小路は、初期粟田口や五條など古京物への入札が多くありました。
手掻包清は地鉄が大変強く美しく、そして身幅重ねともたっぷりなため、ほぼ全員の方が南紀や忠吉へと入札。
出題者としては心ひそかに喜んだのであります。。



押形の定規を

使っていた定規があまりにみすぼらしかったので新たに作りました。

刀身に定規を触れさせず、刃文の高さを測りながら同じ高さの刃文を描くことが出来ます。
また定規を横に動かしながら位置決めして行くことで、互の目や谷の幅などを正確にコピー出来ます。