肥前刀

以前、柴田果の肥前刀観の事を少し書いたことがありました。
 柴田果の肥前刀観
昭和26年、刀美第10,12,13号、柴田果の「刀匠は斯う考へる」の一節。
『第一に品が良い。垢ぬけがして、すべてに無理がない。刃味がよい。自由に焼刃を渡している。それでいて、これ見よと言うような衒気がない。まことに精品という感じである。其上に、刀匠は幾代も上手が続いている。』
残念ながら刃味の事は判りませんが、正にその通りと誰もが思うところだと思います。
続いての文章。
『次に最も重要なことは、製作されている数量もまた相当に多い。そして、作品に例外というものは餘りない。この事も私の好きな理由の一つである・・・・・・というて、此例外なしと言うことは、精良なナイフ工場が作るナイフの如く画一的のものと言う意味ではない』

上記リンクの以前のブログでも書きましたが、肥前刀の生産量はかなりの数に上り、例えばネットで近江大掾の刀を検索すれば際限なく出てくるのではないでしょうか。とにかく作刀数は膨大で、しかもそのどれもが非常によくできている。こんな刀工は刀剣史上他に例がありません。
それだけ沢山ありますので肥前刀を研磨する機会も多く、研磨記録ページにも押形を多数上げさせて頂いております。

全身押形を整理したのでまた幾つかを。

肥前国住人源忠吉(初代)
通常は藤原ですが「源」姓を名乗る稀少例。


肥前国忠吉(初代)
五字忠吉銘で大和物を狙った作品。この手の初代に頗る出来の良い名品をみます。


肥前国住人忠吉作(初代)
時代の影響で、肥前刀の短刀は少ないですね。


肥前国住近江大掾藤原忠広(二代)
柴田果さんは刃味が良いと言っています。よく斬れたのでしょう。いや、よく斬れるのでしょう。
この押形、鑢の際もぼかしていませんし、金象嵌も色鉛筆だしと、ざっくり描いた記憶がありますが、久々にみると刃文がちゃんと近江大掾に見えますね。正に自画自賛ですが。。
差し裏腰のピョコんと刃中が丸くなる箇所。肥前刀の直刃によく見る現象です。


肥前国住陸奥守忠吉(三代)
肥前刀の人気は、初代、三代、初代後期武蔵大掾、近江大掾の順だと思います。もちろん人それぞれではありますが。


肥前国陸奥守忠吉(三代)
脇差にも名品多数です。短い故に完成度はさらに高まりますし。


刀、肥前国忠吉 脇差、肥前国忠吉(両者八代)
柴田果さんの「其上に、刀匠は幾代も上手が続いている」はこれです。
肥前刀の初代、二代、三代の作品と後代作品を、銘を見ずに判別できる人がどれだけいるでしょうか。


刀 銘 肥前国住近江大掾藤原忠広(二代)(2023年度、京都国立博物館修理事業に於いて記録として全身押形採拓)
先のブログはこの刀の研磨の前でした。
柴田果の「精良なナイフ工場が作るナイフの如く画一的のものと言う意味ではない」との言葉。
私はむしろ肥前刀は画一的な物だと思って来たので改めて考えながら研磨したわけなのですが・・。
”画一的”を辞書でみると「何もかも一様で、個性や特徴のないさま」とあるので、これはまず当たらないですね。
しかし技術の安定、それぞれの刀の鉄質の均一性に関しては画一的と言いたくなるほどのレベルです。
こんな刀工集団はやはり他に例はありません。
肥前刀の研ぎ味に関し過去にこんなブログがありました。

肥前刀の事 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)

やぁ面白いですねぇ肥前刀。
この近江大掾の研ぎ味は以下の通りです。
仕上は差し込みでしたが、過去一番好きな仕上りとなりました。
ただ、この次に差し込みをした刀で、この拭い材料の特性をようやく理解しましたので、次回からはまた違った仕上がりに到達できると思います。
研磨諸々 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)
肥前刀、内曇を引く | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区 (kyoto-katana.com)






周知、啓蒙

研磨道具をTV撮影して頂きました。
刀剣の研磨を行う仕事があるという事を皆さんに伝えて頂ける、大変ありがたい機会です。

例えば私の場合ですが、「刀を研ぐ仕事なんて、仕事あんの?」といわれ続けて32年が経ちました。
おかげ様で今まで仕事量に不安を覚えた事はありません。真面目にやっていれば、見ていて下さる方は必ず居ると信じています。本当に有難い事です。
昔の職人は、特別な仕事ではない普段仕事が異様に上手いんです。皆名人。本当の職人です。
白銀師、鞘師、柄巻師など、日本刀に関わる仕事は様々ですが、刀職者は確実に減っています。
刀職者の裾野が広がり、各職に名人が生まれる事を願っています。
若い人達は名人を目指して欲しいです。

しかし”受け入れ先探し問題”が大きいですねぇ。なんでもブラックだと言われる世の中になりましたし。簡単には見つからないでしょう。うちも今は無理です。。
弟子時代(18歳~)、住み込みで最初は無給で半年無休からのスタートでした。(何も出来ないので、今思い返しても当然としか思いません。)
1年もすると安い研ぎの下地、さらに仕上げも出来る様になり、以降は毎日16時間は研ぎ台の上で過ごしました。今じゃ信じられない生活ですねぇ・・・。若いって凄い。当時、部分研磨ではなくガッツリ研磨で年間70口研磨していましたのでヤバいです。その頃は給料を頂いて居ましたが、最初は3万円。最後で15か20万だったか。凄い稼ぎ頭ですw 

昔語りなどをしてしまいました。。
ブラックだと言って辞めていたら今の私は無いわけで。しかし、もっと早く辞めて独立すればよかったのでは?と言われればそうかも知れず。
ただ先の事など誰にも分かりませんし、過去の選択の良否も分かりません。
とりあえず、手仕事をやりたい人は刀職も選択肢に入れてみて下さい。一生楽しくお仕事が出来るかも知れません。






綾小路の

綾小路の全身押形の続きです。
綾小路の雰囲気になってきました。
昨日のブログの続きでいうと、是即ち古京物の雰囲気です。

無銘 五条

無銘 粟田口国安

無銘で古京物と極められる物が全てこの様な出来という訳ではありません。
例えば第49回重刀の無銘古京物、これは現物未見ですが、図譜から想像するに地鉄は違いますが刃は京博の国宝粟田口則国の様な直刃でしょうか。地鉄は肌立ちごころとありますので、国不明時代鎌倉前期で第43回重刀指定の助宗作と三字銘の太刀の様な出来かも知れません。
この助宗太刀は国不明での重刀指定ですが「一見古京物と鑑せられるもので、いかにも格調が高く、五条国永や粟田口国友などとの共通性が窺われ、鎌倉前期を降らぬ山城物と鑑するのが妥当であろう」と解説されています。この太刀は何度か拝見した事がありますが、二尺七寸超、踏ん張り付き、焼き幅十分で、非常に健全なものでした。




古京物

京物でも特に古い物、三条・五条や初期粟田口物等を古京物と呼称します。
綾小路定利なども以前は鎌倉時代中期とされていましたが、研究が進み鎌倉時代前期乃至中期とされる様になり、現在では鎌倉時代前期の刀工と考えられています。
無銘の極め物で、五条・粟田口国安・綾小路などを見ると共通点が非常に多く見られますが、過去に拝見した、三条各工、五条各工、複数の初期粟田口、定利などの在銘品を思うと、無銘程の共通性は少ないようにも思います(私見です)。
鎌倉前期在銘備前物以来、少々久々の押形採拓。無銘綾小路。