信長(浅古当麻)

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短刀、銘 信長(浅古当麻)
 
16回目。信長と二字銘で「浅古当麻」と鑑定されている短刀です。
浅古当麻は、大和国浅古(現奈良県桜井市浅古)に住した当麻信長が室町時代初期、越前に移住し代を重ねたといわれる刀工です。
銘鑑を見るとこの浅古当麻信長の他、越後の山村系に一人、加賀の藤島系にも数人の記載があります。
今回信長を調べる中で解粉記(慶長十二)にその記述を見ました。そこでは信長を藤島鍛冶とし、藤島出来の信長と当麻出来の浅古当麻(個銘の記載はない)との違いを指摘しながらも「浅古当麻かとも思う」と、信長の浅古当麻説も述べており、悩みの程がうかがえます。
重刀に浅古当麻とされる信長の指定がいくつかありますが、その解説に「作風は藤島に似る」とし、今回の押形も特に差表などは藤島と同種の刃文です。
しかしこの片切刃の造り込みや常とは違う銘振りと茎仕立てから、銘鑑にある山村(京信国系)の信長も気になるところです。
 
尚、浅古とは地名ですが、「越前国浅古の地に信長が移住し…」との解説を度々目にします。これについては刀剣美術第414号(平成3年7月)、米村正夫氏の「浅古当麻(信長)の浅古とは何処か」に詳しい記載があり、また当麻派についても大変興味深い内容で、ご興味おありの方はご一読下さい。



当麻

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短刀、無銘 当麻(附本阿弥光忠折紙)

15回目も大和物。当麻です。
当麻派の在銘作は僅少ではありますが、国行、有俊(含長有俊)、友行、友長などに遺されており、また「当麻」とのみ銘を切る作品も数点確認されています。
それら在銘の当麻派作品には比較的穏やかな出来が多い中、無銘の当麻極めには大和色の中に錵が一段と強く、働き豊富な相州気質を持つ作品が多々あります。
これは前述(尻懸)の通り本阿弥の古極めなどを踏襲した結果ですが、当時はその様な作柄の在銘作が存在したのではないかといわれています。

さて押形の当麻ですが、重ね厚く内反り、板目に柾で地錵厚く、刃中錵づき金筋入り、茎尻は当麻派の特徴である片削風入山形となります(尻懸も近い形状)。
そしてこの短刀には享保名物帳編纂に大きな役割を果たした本阿弥光忠の折紙が附帯しますが、現存する当麻派の享保名物は二口の上部当麻で、本短刀は造り込み及び作風がそれに近く、大変興味をそそられます。



尻懸

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刀、無銘 尻懸

14回目は大和物、大磨上げ無銘の尻懸です。
鎌倉時代から南北朝時代にかけての大和には、千手院、保昌、手掻、当麻、尻懸と五大流派があり、大和五派と呼ばれています。
大和物に在銘の品は少なくその多くが無銘ですが、少ないながらも各派に在銘の品が残っており、それらが現在の無銘鑑定の基準となっています。
また古来よりの無銘鑑定の掟といいますか傾向もあり、大和物に対してもそれらを総合した判断が行われています。
さて押形の刀ですが、鎬が高く手持ちの重い大和物然とした造り込みに、柾気の強い地鉄、柾肌に絡む働きが豊かな刃文に、尻懸極めの要となる互の目が目立つ出来となっています。



清光②

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刀、銘 備州長船清光
    天正二年八月日

13回。今回も末備前の清光です。
前回の清光は鎬筋、棟角共に重ねが非常に厚く、重量感たっぷりの造り込みでした。今回は鎬重ねは十分有りますが棟に向かい少し重ねを減じる造り込みがされており、前掲清光より手持ちは頃合いです。(棟重ねの減じ方が著しい場合「棟を盗む」「棟を削ぐ」などと表現します)
地鉄は新刀並に詰み、刃文は切っ先に向かい次第に華やかとなり、皆焼状となっています。