大磨上げ無銘の全身押形をとる

鎌倉時代末期の大磨上げ無銘刀。
無銘ですが、適度な硬さの石華墨で鑢目をなるべく潰さぬよう、朽ち込みを埋め過ぎぬよう、時間をかけて丁寧に擦りだします。
しっかりと時間をかける事で紙に墨がたっぷりとのり、深い黒味と艶が生まれます。
銘や鑢目を潰すことなく紙に墨がしっかりのった押形は、鉄味絶妙な茎を見る様な錯覚に至ります。

錆が盛り上がった部分には石華墨を意識して逃さず当て、強い黒味を出します。
錆の盛り上がりの根本までは責め過ぎず少し白さを残す事により立体感が各段に上がります。
以前は鎬筋への意識が完全に抜け落ちていましたが、近藤先生のご指摘をいただいて以来、鎬筋を擦りだすよう心掛けています。
また茎全体をしっかり擦りだしたつもりでも、意識が行き届いていなければ実は目釘穴が明瞭に出ません。
目釘穴を美しく擦りだす作業も必要です。



太刀の全身押形を採拓する

新作丁子の太刀、山陽道鎌倉末期生ぶ在銘太刀、生ぶ在銘来国行太刀、生ぶ在銘来国俊太刀の全身押形を採拓。
全身押形でもやはり生ぶ太刀は格別で好き過ぎる。
木屋押形を残した研師達も必ず同じ気持であったろう。



『歴史と学ぶ日本刀展』本能寺大寶殿宝物館

本能寺大寶殿宝物館にて「歴史と学ぶ日本刀展」が始まりました。
上古刀から現代刀までの名刀が並びます。
刀装具では折紙付の名品や出土の倒卵形鐔も展示されています。

・上古刀           (奈良時代)

・太刀  銘 正恒(古備前) (鎌倉時代初期)

・太刀  銘 遠近      (鎌倉時代中期) 

・短刀  銘 国光(新藤五) (鎌倉時代末期)
 
・刀 無銘 兼光       (南北朝時代)

・脇差 折返銘 備州長船康光 (室町時代初期)

・ 刀  銘 備前国住長船清光(孫右衛門尉)(室町時代末期)
       永禄九年二月日(1566年)

・ 刀  銘 粟田口近江守忠綱(江戸時代中期)
      (附)朱漆塗鞘打刀拵

・ 刀  銘 栗原筑前守平信秀(江戸時代末期)
       慶応三年十二月日(1867年)
      (附)漆塗鞘打刀拵

・ 刀  銘 越後国義光作  (現代)
       昭和六十三年八月日(1988年)

また今回も新たに押形を多数展示して頂く事になりました。
以下押形展示リスト

・短刀  銘 定利(綾小路) (光山押形所載/鎌倉時代前期)

・短刀 朱銘 則国(粟田口)
       本阿(花押) (鎌倉時代前期)

・短刀  銘 国吉(粟田口) (鎌倉時代中後期)

・短刀  銘 備州国分寺住人助国作
       嘉暦二年正月日(1327年) (広島県重要文化財/鎌倉時代末期)

・短刀  銘 助弘(福岡一文字) (鎌倉時代末期)

・短刀 無銘 当麻 (鎌倉時代末期乃至南北朝時代)

・短刀  銘 備前国吉井吉則
       応永二年三月日(1395年) (室町時代初期)

・短刀  銘 入鹿實次 (室町時代初期)

・短刀  銘 實可
       入鹿 (室町時代前期)

・短刀  銘 信長 (浅古当麻) (室町時代前期)

・短刀  銘 入鹿住藤原實綱 (光山押形所載/室町時代中期)

・短刀  銘 月山貞一造(刻印)
       明治三年季冬刳物同作 (1870年) (近代)

・短刀  銘 於東京高輪以獨逸鋼鉄 胤勝
       明治三十六年五月(1903年) (近代)

・短刀  銘 元亨三年二月日 以余光鉄 備州長船住景光 鍋島景光ニ倣ㇷ源貞次
       紀元二千六百一年八月日 彫同作(花押)(1941年)
      (棟銘)為井内彦四郎氏作之 (現代)




延寿の帽子(2)

先日の支部鑑定で金象嵌銘の延寿国時(重刀)が出題されました。
3月京都府支部入札鑑定 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区

「1号刀、身幅広め、重ね尋常。中鋒。鎌倉末期から南北の造り込み。
地鉄詰み気味。鎬寄り映り気。全体に白ける感。
直ぐ小湾れ、小錵。食い違い。二重刃がかる箇所。帽子青江風。
色々考えられるがとりあえず古三原と入札。」

何故古三原に入れたのか、一番の理由は刃の小錵感と冴え方です。食い違いも少し。
白けのある古三原もありますがそこは考慮せず。
結果は「イヤ」。
山陽道の古三原で「イヤ」と来ましたので可能性の一つと考えていた青江も無くなりました。
造り込み等に違いはありますが一応の候補である二王も消滅。

単純に考えて、残るは西か畿内。(宇多はよぎらず)
しかしここでは西の可能性を疑う事なくほぼ即断で来国光に。(了戒より強い刃でした)
その訳は、過去に見たり研磨してきた多くの無銘来国光の極めの幅が非常に広く、今回の刀もその範疇と感じたから。
結果は「イヤ縁」。
来国光と書いてこのヒントが出たという事は、入札した来派に縁のある刀工、即ち延寿一派の作という事になります。

この1号刀、もしも帽子が大丸や大丸気味だったとしたら、おそらく1札目に延寿の誰かに入れていたはずです。
帽子が大丸だというだけで、先に書いた様々な要素は全部すっ飛ばして延寿に行ってしまうという事なんです。
大丸のインパクトって凄いですね。
悪くいえば「延寿=大丸」のイメージに支配されちゃってるとも。

で、延寿の帽子調書です。

無銘の延寿極め
103口中、大丸や大丸ごころなどは21口(20%)
在銘延寿
45口中、11口(24%)
無銘個名極め
40口中、7口(17%)

こんなに少ないのかと思うか、案外あるねと思うのかは経験値によるところでしょう。
支部鑑定に延寿はほぼ出た事がなく、過去に本部から2度来た程度だと思います。
無銘延寿は度々研磨しますが地鉄が一様ではなく案外幅広い質に感じていて。しかし今思えば概ね九州物らしい地鉄なのでしょう。

帽子についてですが、延寿の大丸率に比べると他国はぐんと下がります。
帽子データから考えると、帽子が大丸でその他が尋常ならば延寿と見て差支えないでしょう。
しかし「大丸じゃないから」との理由で延寿を完全に除外するのは非常に危険だという事が分かります。
鑑定でも極めでも、1つの特徴が決め手となる事もありますが、1つに頼り過ぎず総合的に判断する事が大切ですね。