本能寺「五箇伝の名刀展」大和・山城編『千手院(二)』

大和国では千手院派が最も古い流派ですが、その成立以前の大和物として獅子王の太刀(無銘)が知られます。今は後天的要因による変容がみられますが、元来は鎬筋が身幅のほぼ中央に位置し、切刃造に近い造り込みです。大山祇神社に伝わる古太刀との共通性が指摘され、大和鍛冶の古態がうかがえる貴重な存在です。

現存する千手院派の在銘作は多くはありませんが、「千手院」と銘を切る最古とみられる作例は東京国立博物館所蔵の一口で鎌倉時代初期頃の作と考えられています。このような初期作は、今回展示の鎌倉後期の千手院とは趣を異にし、細身で小鋒の古典的な太刀姿を呈し、直ぐ刃調小乱れ主体の古雅な刃文を焼いています。また、過去の重刀指定品を見ると、吉光・助光・行光・長光・国光・国清・為清・為近・重久などの在銘の指定があり、「千手院康重」と長銘を切るものや、「東大寺延家」と大寺院の名称を直接用いた例もあり、寺院との関係や作刀組織の在り方を考える上で大変貴重な作品です。

大山祇神社には国宝の大太刀「千手院長吉」が収蔵されています。刃長は135.74㎝と長大で貞治の年紀があり、南北朝期における同派の代表的作例として知られます。この太刀は鎌倉期大和物の特徴は薄れていますが、破綻なく鍛えられたその刀身に、南北朝期千手院派の高い技術を見ることができます。

本能寺五箇伝の名刀展出陳 剣 無銘(千手院)

千手院派は、剣の作例が多いことでも知られ、大和五派中同派の剣が最も多くみられます。
重要刀剣指定を例にあげれば、諸国・諸流派を通じて千手院派の剣の指定数が群を抜いており、このことは同派と寺院との密接な関係を示すものといえます。
無銘の大和物を極めるにあたっては、最も華やかな出来に千手院の極めが付される傾向がみられます。これは在銘で現存する千手院義弘や同派の流れを汲むとされる龍門延吉などに見られる華やかな出来に依拠したものと考えられ、今回展示の無銘千手院も、太刀・剣ともに、柾目地に変化に富んだ刃文を焼いています。



本能寺「五箇伝の名刀展」大和・山城編『千手院(一)』

本能寺宝物館「五箇伝の名刀展」無銘 千手院 (重要刀剣)

千手院派は、東大寺あるいは興福寺に隷属したと考えられる一派で、若草山西麓の千手観音を祀る千手堂付近で作刀した刀工群と伝えられています。
手掻派の作刀地とも近接し、この一帯は古くより大和における刀剣製作の中心的地域でした。


大和鍛冶は古代国家の中枢と深く結びつき、寺社勢力の庇護のもとに展開したと考えられています。東大寺・興福寺などの大寺院は刀剣製作にも関与し、僧兵の存在と相まって、その需要と技術の蓄積を支えていました。千手院派もこうした環境の中で成立した一派とみられます。

千手院派は大和五派中最も古い系統とされ、その成立は平安末期にまで遡ると考えられています。
しかし大和鍛冶の初期段階には在銘作がほとんどなく、その実態をうかがうには古伝書に頼るほかありませんが、千手院派の作品はその大和鍛冶成立初期の姿を今に伝える存在といえるでしょう。



本能寺「五箇伝の名刀展」大和・山城編『手掻』

本能寺で開催中の「五箇伝の名刀展」出陳刀、手掻包清(手掻派/室町時代末期)の刀です。

鎌倉時代後期、東大寺西方の転害門(てがいもん)付近に住した包永を祖とする手掻派は、大和五派中もっとも隆盛を極めました。
現在も、国宝の転害門の西側には「包永町」の地名が残り、往時の鍛冶の営みを今に伝えています。

手掻包清初代には鎌倉末期、嘉暦四年紀の短刀があり、二代包永の子、或いは弟子と伝えられます。
包清は同銘で七代にわたり継承されたといい、今回の出陳刀は代別は明らかではありませんが、室町期の末手掻包清の作品です。

大和物の造り込みの特徴として、鎬が高く鎬幅が広い点が挙げられますが、これは主に鎌倉〜南北朝期の作に見られるもので、室町期に入るとその個性は次第に薄れ、造り込み・作風ともに一般化した作品となります。
今回展示の包清も鎬幅尋常で柾気は見られず、穏やかで整った出来となっています。

室町期の大和物は手掻と後代則長を除き、諸流派の作例が殆ど見られなくなります。
そうした中で手掻派は、包行、包俊、包真等々、いわゆる末手掻の刀工達が大いに繁栄し、室町時代末期へと続きます。
そしてその命脈は、南紀重国や越後守包貞など新刀期の名工へと受け継がれて行きました。



本能寺「五箇伝の名刀展」大和・山城編『保昌』

本能寺宝物館で開催中の「五箇伝の名刀展」出陳の短刀、大和国藤原貞興(保昌派・鎌倉時代末期/特別重要刀剣)。

保昌派の作刀地は大和国高市郡(現在の橿原市曽我町付近)であった事が現存作品の銘文により明らかです。
大和物は銘の切り出しが高い傾向にあり、本作も鑢の掛け出し付近に銘の摩滅があるものの「大和国」と判読できる状態を保っています。

大和物は総じて柾気が強いことで知られていますが、保昌派はその特徴が際立ちます。
本作にも明瞭な柾目肌が全身にあらわれ、その肌目にからむ刃文が繊細かつ大胆な働きを見せます。

大和物は在銘作が少ないことで知られていますが、保昌派は一段と遺例が乏しく、太刀では貞継(重文)、貞吉(重美)、貞興(特重)、貞行の作品が知られるのみです。
因みに、談山神社には「大和国住貞光作」をはじめ複数口の保昌派の短刀が伝来しており、また春日大社の重文「柏木兎腰刀」に納まる短刀も同派の作品と伝えられています。