本能寺宝物館「五箇伝の名刀展」『押形』

押形とは、刀身に紙を当て固形墨(石華墨)を用いて茎の形や鑢目、銘などを刷り出したものをいいます。さらに刀身の輪郭や鎬筋など各部の線を引き、刃文を描写した刀絵図をも含め、押形と称します。また押形には、茎や刀身の一部のみを記録する「部分押形」と、刀身全体を表した「全身押形」とがあります。

押形の原初的形態は、最古の古剣書とされてきた『観智院本銘尽』(応永三十年筆写)にみられます。
しかしそれは稚拙な表現で銘や鑢目を記した程度で、茎を正確に記録しようとする意識が感じられるものではありません。
室町後期の『往昔抄』になると、銘字や鑢目、茎形状に至るまでが記録されるようになり、茎の特徴を詳細に伝えようとする意識がうかがえます。

東寺塔頭 観智院
東寺塔頭 観智院

押形において、茎の記録とともに重要なのが刃文の記録です。
刃文までを記録した押形は室町時代末期頃に登場し、弘治二年(1556)の奥書をもつ『本阿弥光心押形』がその嚆矢とされます。
刀剣の贈答がそれまで以上に盛んになる中で、幕府や大名家には刀剣を鑑別・管理する専門家が求められ、次第に刀剣書が整備され、以降押形は、茎と共に刃文の記録を重視したものとして発展してゆきました。

(先ほどあげた『観智院本銘尽』ですが、この書は長らく”最古の古剣書”とされてきました。
『観智院本銘尽』は非常に貴重な歴史資料ですが、その価値は古さのみにとどまらず、底本を増補改訂せず伝来した点にあります。底本は鎌倉時代末期から南北朝初期の成立と考えられますが、応永年間に行われた筆写が、刀剣の専門家ではなく僧侶によるため、原形をよく留めることになったと考えられています。しかし近年、これを半世紀以上遡る南北朝期に書写された『龍造寺本銘尽』が九州産業大学の吉原弘道先生により発見され、こちらが最古となっています。)

このように発展した押形は、刀剣の情報を後世に伝える記録資料として重要な役割を担っています。
その一例が、大坂の役や明暦の大火で罹災した刀剣を多数記録した本阿弥光徳直筆の絵図資料、所謂「光徳刀絵図」です。
ここには焼損・焼失以前に記録された刀剣の姿や刃文、銘が記され、名刀の毀損前の状態を今に伝える極めて貴重な資料となり、この記録をもとに復元が行われた例は少なくありません。

短刀 銘 吉光
     令和四年 本能寺什(棟銘)一平
(河内一平刀匠の薬研藤四郎写。本能寺の変で焼けたといわれ現存していませんが、光徳刀絵図に焼ける前の状態が記録されており、それを元に再現されています。)

写し物 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区
新作写しもの | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区



本能寺「五箇伝の名刀展」大和・山城編『龍門』

多武峰南東にはかつて龍門寺があり、この地は千手院派の流れを汲む龍門派の作刀地と伝えられます。
延吉をはじめ複数の刀工が知られるものの、延吉以外の現存作は極めて稀です。
多武峰・談山神社には、龍門吉行とされる太刀が伝来し、大変貴重な作例として知られています。
今回の本能寺宝物館、五箇伝の名刀展では、龍門長吉の全身押形を展示しています。



本能寺「五箇伝の名刀展」大和・山城編『当麻』

本能寺宝物館で開催中の「五箇伝の名刀展」に展示の全身押形、朱銘当麻。

保昌の鍛刀地である橿原市曽我町付近より西、大阪府と境を接する二上山の麓に当麻派の作刀地とされる、葛城市當麻(たいま)があります。
当麻派はこの地に栄えた當麻寺と関係があったものと考えられていますが、他の大和物同様、詳細は不明です。
当麻派は国行に始まるとされますが、国行在銘の作は僅少で、藤沢乙安コレクションの国宝太刀、藤田美術館の重文小太刀の他数口のみです。
国行以外では友行、友清、友長、有俊らがいますが、太刀の在銘作はほぼ残されておらず、数口の有俊の他、談山神社の友清太刀が知られる程度です。

当麻派の短刀・脇差には複数の在銘作が現存し、友長・友行などの作例があります。
また「ヒヤウエノデウ(兵衛尉)」とカタカナで切るもの、「當麻」とのみ切った銘等があり、貴重な資料となっています。
当麻と尻懸 | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区

参考押形 : 室町期の当麻派と伝える短刀、有王有光(旧コンプトンコレクション)。
なお談山神社には有王有光の鵜首造の刀が伝来しています。



本能寺「五箇伝の名刀展」大和・山城編『千手院(二)』

大和国では千手院派が最も古い流派ですが、その成立以前の大和物として獅子王の太刀(無銘)が知られます。今は後天的要因による変容がみられますが、元来は鎬筋が身幅のほぼ中央に位置し、切刃造に近い造り込みです。大山祇神社に伝わる古太刀との共通性が指摘され、大和鍛冶の古態がうかがえる貴重な存在です。

現存する千手院派の在銘作は多くはありませんが、「千手院」と銘を切る最古とみられる作例は東京国立博物館所蔵の一口で鎌倉時代初期頃の作と考えられています。このような初期作は、今回展示の鎌倉後期の千手院とは趣を異にし、細身で小鋒の古典的な太刀姿を呈し、直ぐ刃調小乱れ主体の古雅な刃文を焼いています。また、過去の重刀指定品を見ると、吉光・助光・行光・長光・国光・国清・為清・為近・重久などの在銘の指定があり、「千手院康重」と長銘を切るものや、「東大寺延家」と大寺院の名称を直接用いた例もあり、寺院との関係や作刀組織の在り方を考える上で大変貴重な作品です。

大山祇神社には国宝の大太刀「千手院長吉」が収蔵されています。刃長は135.74㎝と長大で貞治の年紀があり、南北朝期における同派の代表的作例として知られます。この太刀は鎌倉期大和物の特徴は薄れていますが、破綻なく鍛えられたその刀身に、南北朝期千手院派の高い技術を見ることができます。

本能寺五箇伝の名刀展出陳 剣 無銘(千手院)

千手院派は、剣の作例が多いことでも知られ、大和五派中同派の剣が最も多くみられます。
重要刀剣指定を例にあげれば、諸国・諸流派を通じて千手院派の剣の指定数が群を抜いており、このことは同派と寺院との密接な関係を示すものといえます。
無銘の大和物を極めるにあたっては、最も華やかな出来に千手院の極めが付される傾向がみられます。これは在銘で現存する千手院義弘や同派の流れを汲むとされる龍門延吉などに見られる華やかな出来に依拠したものと考えられ、今回展示の無銘千手院も、太刀・剣ともに、柾目地に変化に富んだ刃文を焼いています。