閑谷神社の長谷部国信太刀

また気になり、今朝改めて調べると簡単に見つかりました。以前もデジコレ見てたはずなんですが・・・。

MUSEUM136に寒山先生による詳細が。
『長さ88㎝、反り2.9㎝、元幅3.28㎝、先幅2.28㎝、鋒長5.75㎝茎長22.2㎝
鎬造、庵棟、身幅広く、鎬幅が狭く、鎬は特に低く、重ね薄く反り浅く大鋒となり、鍛えは板目、所々に流れごころの大肌が交じり、地錵付き地景が入っている。刃文は中直刃調に僅かに小湾れが交じり、ほつれて、足入り、砂流しかかり、小錵がよくついている。帽子は乱れ込、先は掃きかけ、金筋かかり錵付き、裏は小丸に返っている。そして表には二筋樋、下に梵字二つ、さらに下に三鈷剣の彫物があり、裏には二筋樋、下に梵字二つ、さらに籏鉾の見事な彫物があり、茎は生ぶ。先刃細って栗尻となり、勝手下がりの鑢目が立ち、目釘穴1、長谷部国信と細鏨で大振りの五字銘が鮮明で、部の字の口のところに目釘穴がかかっている。そして生ぶの見事な鉄鎺がつき、白鞘入りである。』

因みにこの太刀、明治に池田家から納められた物ですが、登録証問題などもあって東博が買い上げたそうで、往昔抄と光山押形に所収。
両書を確認すると確かにありました。往昔抄に掲載の品ってかなり珍しい。
大分スッキリした。東博で展示があれば見てみたい太刀です。



長谷部

先日在銘長谷部某短刀の全身押形を採拓。いつもの長谷部らしい白く肌立つ地肌です。
白熱灯で見ながら、差し表は刃棟が柾がかるのではなく完全な柾なので少し疑問に思いながらも、時間も無い事だし・・・これも有りかとそのまま進めました。
やはり気になり国重、国信、国平の平身重刀ほぼ全ての地鉄を調べた結果、完全な柾目はゼロ。一つだけ片面ほぼ柾目という物があるのみ。
で改めて実刀を蛍光灯でよく見ると、差し表は一見ほぼ柾目ですが、仔細にみると板目交じりで柾気が特に強いという出来でした。
白熱灯で透かして見ると板目が見えず柾目だけが見え(目が刃に引っ張られることもあって)、保昌の様に区に寄らず茎から素直に先に向かい、そして先で棟に寄らず帽子に消える白い柾目が目立つだけで、蛍光灯だとまた違う見え方に。無冠で私見ですが銘も出来も大丈夫そう。

先月採拓した長谷部国重脇差は少し代が下がり南北末期乃至応永の国重。長谷部の銘も様々で、一番多い国重を見慣れた目で見ると相当な違いを感じる銘です。鎬造脇差で、出来は上杉三十五腰の唐柏(長谷部国信)に代表される長谷部の長物のあの出来。(長谷部長物は地鉄が詰み匂い口整う)
以前支部会で使用させて頂いた特重の長谷部国信の太刀も唐柏同様の出来でした。

そうその時長谷部太刀の事を調べていて、確か小笠原信夫先生の「長谷部国重についての一考察」などによると国重・国信ともに長い物は6口づつの現存だった様に思いますが(ちょっと曖昧な記憶で書いてます)、その中に国信の大太刀(刃長87.6㎝)がある事を知り驚きました。「長谷部国信に大太刀?聞いた事無かった!」って感じです。それで色々調べるのですが、全然出て来ず。。
さらに調べるうちに、寒山先生達が(確か備山さんも加わっていたか)岡山の山奥の閑谷神社という所に長谷部の大太刀が眠っているという話を聞き及び、半信半疑で見に行ってみると正しく長谷部国信の大太刀だったという記事が刀美に。さらに調べるとその後本間先生のお世話などにより、東博が買い取っていた次第。(正確な時期もありましたが失念)
その大太刀がどうしても知りたく、しかし東博の出陳履歴なども分からずでしたが、平成11年の岡山県博の「日本刀五ヶ伝名刀展」に岡山県閑谷神社伝来品として東博蔵の長谷部国信大太刀が出されていた事を知りました。東京からの里帰り出陳です。
そしてしばらく探すとその時の図録を入手出来、そこでようやく気付いたのですが、何度も何度も見ていた名品刀絵図聚成の唐柏の横に参考押形として掲載の茎押形が、その閑谷神社の大太刀押形だったんです。名品刀絵図聚成では唐柏の茎とほぼ同サイズに縮小されての掲載なので(多分縮小)、まさか大太刀の茎とは気づかず・・・。唐柏の名刀鑑賞項にも同様に掲載なので、今まで何十回みた押形か分からんのですが、気付くまでの労力たるや。。
(87.6で通常いう大太刀定義に届いていませんが、この太刀を「大太刀」としている物が多かったので大太刀と書いてます)

しばらく前に、重文長谷部国重、重文秋広、重文左文字、特重在銘正宗、重刀長谷部国信×2、重刀無銘長谷部他関連6口を並べて鑑賞させて頂いた事がありました。改めて、長谷部というやつは面白いと感じ。
こう言っちゃなんですが、長谷部の短いやつは、地肌ガサガサでなんでそんなに評価高いの?とずっと不思議に思っているんです。20代の頃から。
なんで長い物は短い物とそんなに本質的違いを見せるのかとか。大和出自説(当麻の長有俊の”長”は長谷部の略の事なども)や新藤五との関係など、分からん事が多いのも魅力の一つ。