重りを減らす
濃く描く
支部入札鑑定
今回は当番で判者と解説でした。
1号 太刀 銘 清綱(重要刀剣)
2号 短刀 無銘 行光(重要刀剣)
3号 刀 銘 肥前佐賀住国広
4号 刀 銘 正利(坂倉関)
5号 刀 無銘 延寿(重要刀剣)

1号清綱太刀

2号行光短刀

3号肥前国広刀

4号正利刀

5号延寿刀
1号清綱は柾気ゼロの精良な地鉄に鎌倉末期長船調の明るい刃を焼いていて超絶難問です。
重美で柾気のある清綱太刀が本部鑑定に過去3回以上使用されています。その太刀は刀美の本部鑑定講評で「非常に難しい」と解説されていますが、今回の清綱の難易度はそれを上回ると思われます。(刀美116,209,221号)
まず長船と見て「通り」、青江でも「通り」、古三原か国分寺助国でアウトという流れを想定しての出題でした。自分が参加者側だったらと考えると恐ろし太刀です。。
2号行光は最上クラスの地鉄。正宗の極めが来てもよいのではないかと思える名品です。
3号肥前国広は、忠吉本家に生涯をささげた刀工。自身銘がほぼ残らず、現存数の少ない人です。強く抜群の地鉄。
4号正利は鑑定刀に使用される事は少ないかもしれません。村正との関係が深かったといわれる刀工で、今回の刀も初代村正に似ます。
5号延寿は先日のブログの通り今回も直ぐに小丸、先掃きかけてかえる帽子です。
延寿の帽子(1) | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区
延寿の帽子(2) | 玉置美術刀剣研磨処|京都・左京区
少し前の鑑定会から、会場後方でホワイトボードを使用して初心者さん向けに刀の鑑賞ポイントなどをお伝えしています。
入札鑑定のヒントもですが、特に刀の鑑賞ポイントをお伝えする事がメインです。
ただ私も答えを知らずに書いていますので、道連れで爆〇する可能性も。。(今回は判者でしたので札が入るまでの間に簡単な図などを)
答えに直接つながらない様な伝え方って意外に難しいのですが、何も無しで見て頂くのはやはり不親切過ぎですし、何か手立てが必要ですね。

「錵の宙 刀鍛冶 晶平の世界」
あべのハルカス近鉄本店11階、美術画廊にて川﨑晶平刀匠の個展「錵の宙 刀鍛冶 晶平の世界」が開催されます。
・会期 令和7年5月14(水)〜20日(火)
・ギャラリートーク 5月17、18日 午後1時~
あべのハルカス近鉄本店 | 特集:その他 | 刀鍛冶 晶平の世界 “錵の宙” [5月14日(水)から]
私は刀は手に取らないと分からないタイプで、毎年の様に展覧会でトップをとる川﨑さんの刀が何故そんなに凄いのかが分からないで居ました。
もう十数年ほど前でしょうか、どうしても手に取って見てみたく埼玉県の晶平鍛刀場にお邪魔して拝見する事に。
「そりゃトップだわ」と感動して帰った事をよく覚えています。
SNSなどに、地鉄も刃文も不鮮明で何の情報も入っていない誰かの刀の写真が上がり、それに対し「美しい!」「地刃が冴えています!」など絶賛コメントが付く場面をよく目にします。時には鞘下地(名倉程度の研磨状態)の写真にその様なコメントが付く事も。。
そういう方が多いのが現実だとは思いますが、その様をみて「自分にはこの写真の何が美しいのか分からない」「冴えってなに?」と感じている方もいるはずです。そんな方がもしもおられたら、是非「錵の宙 刀鍛冶 晶平の世界」に行ってください。刀の冴えが理解できると思います。
無題
市役所前に用事で行ったのでちょこっと本能寺さんにお邪魔して、押形を見て来ました。
やはり私は押形が大分好きで。普段押形を複数並べて見る事もないですし、十数枚が整然と並ぶ様は「綺麗やなぁ・・」と、ずっと見ていられます。
自分で描いた押形をそんな風に思えるなんてかなり滑稽ではありますが、誰が描いたとかそういう事は考えず、純粋に全身押形を楽しむ視点で。
同程度の押形好きに出会う事は稀ですが、多分古押形を描いた人達は同じ様に好きだったのではないか、そんな想像をするわけです。

それぞれの押形にはこだわりポイントがあったりします。
展示押形の一つ、「短刀 朱銘 則国 本阿(花押)(粟田口)」。
この短刀は以前研磨させて頂いたものですが、研磨前、鞘から抜いた瞬間感じられた格調の高さをよく覚えています。
地刃を鑑賞するまでもなく感じられるあの感覚、そうあるものではありません。
その原因が造り込みにあるのか、以前の研磨の面や線にあるのか、それプラス地刃の出来か、まぁその全てだとは思いますが。
それを押形にあらわせないかと考え、普段通り全身の輪郭線や刳物の線を引いた後、カーブ定規やテンプレ定規を使用し、細く削った油性色鉛筆で全ての線を強調する作業を行っています。石華墨で引いた線は子細に見ると線ではなく点の連続になってしまっています。それが嫌で普段から石華墨で線を引く事は無いのですが、それだけでは粟田口の凛とした線が出ない気がして。(石華墨の”線ではない線”を抑える方法を近藤先生に教わったのですが、それがあまりに難しく挫折、今の技法に至っています)