清光①

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刀、銘 備前國住長船清光
    永禄九年二月日

12回目になりました。末備前、長船清光の刀です。
清光は忠光とならび直刃の名手と呼ばれますが、乱れ刃の作品も多く残しています。
末備前には同名刀工が多数いますので俗名によりそれぞれを識別しますが、俗名を冠した作品でない場合、よほど銘字に特徴が現れていなければどの工の作かを特定する事は困難です。
「俗名を冠する作品が注文打ちで、それ以外は数打ち」との解説を時折目耳にしますが、その影響か俗名の無い物は出来が劣るとの誤解も広まっているのではないでしょうか。俗名入りの末備前に名品が多いのはその通りですが、俗名がなくともそれと同等の末備前も多数存在します。



村正②

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短刀、銘 村正

11回目も前回に続き村正の短刀です。
これはあまり聞かないと言いますか聞いた事が無いのですが、私は村正の研磨は大変難しいものだと思っています。過去度々村正研磨の機会を頂いて来ましたが、いずれの作品も天然砥への反応がかなり繊細な鉄質でした(当然個体差はあると思います)。
そんな刀ですので見事な研ぎに掛かっている村正に出合った時は、その研師の技量に本当に頭が下がります。内曇砥以降の天然砥石の性質を余程研究しなければ、そういう研ぎは出来ません。



村正①

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短刀、銘 村正

10回目、村正です。
村正は室町時代末期の伊勢の刀工で文亀を上限に同名の継承が数代あるようですが、現存する正真と思われる銘にも様々あり、その代別については確固たるものではありません。
(文亀を初代、天文を二代、天正を三代とする通説が広く知られています)



初代忠吉

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短刀、銘 肥前國住人忠吉作

9回目。慶長新刀、初代忠吉の短刀です。
二代近江大掾忠廣の短刀は稀有であり、それに比すると初代の短刀は多いという事になりますが、他の慶長新刀、例えば堀川国広などと比べると決して多くはありません。これは同じ慶長新刀でも活躍年代に微妙な違いがある事が要因の一つとして挙げられます。



陸奥守忠吉

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脇差、銘 肥前國陸奥守忠吉

8回目です。前回の近江大掾忠廣の嫡子、忠吉家三代の陸奥守忠吉です。
この三代忠吉の作品は初代、二代に比べると現存数が格段に少ないわけですが、それは長寿であった父、近江大掾忠廣の代作に長年従事していた事と、父に先立つ事七年、五十歳の若さで歿していることによります。(近江大掾忠廣は享年八十一)
多くの肥前刀工中、人気実力ともに最も初代に迫るのがこの三代忠吉で、押形の脇差も、美しくも強さのある地鉄に錵密度が濃く明るい刃を焼いています。



近江大掾忠廣

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刀、銘 肥前國住近江大掾藤原忠廣
    寛文二年十二月廿二日
    貮ッ胴截断 山野加右衛門永久(花押)

7回目
初代忠吉の嫡子、忠吉家二代目を継ぐ近江大掾忠廣の刀です。忠廣は作刀期間が六十年以上と長く、多くの作品を残しています。
肥前国自体、刀の生産本数が非常に多いのですがその中でも最も多くの作品を残しているのが忠廣で、肥前刀工だけでなく、全刀工を含めても現存作品数は突出しているのではないでしょうか。
作風は直刃、丁子、互の目と数種ありますが、過去の鑑賞や研磨の経験上やはり直刃が断然多く感じられます。



丹波守吉道

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刀、銘 (菊紋)丹波守吉道
(京都帝釈天蔵、南丹市立文化博物館寄託品)

6回目は丹波守吉道。
おそらく二代、或いは三代でしょうか。
直ぐに長く焼き出し、互の目主体に様々な刃を交え、匂い深く錵よくつき、砂流し入り、そして湯走りが縞がかり簾刃風となる箇所が複数あります。
丹波は代が下がると完全な簾刃出来が多くなりますが、初代やこの頃の作品には完全な簾刃とはならず、あくまで”簾刃風”にとどめたものがあり、その過ぎない働きが絶妙な景色となっています。

この刀は南丹市立文化博物館にて開催された「園部藩立藩四〇〇年記念・令和元年度秋季特別展 園部藩の歴史と文化」に出陳の品ですが、その展覧会図録の解説に『刀が納められていた箱蓋裏には「謹上 明和八年辛卯冬十一月廿有五日 藤英常」との墨書きがあり…』とあるとおり、園部藩六代藩主小出英常、京都帝釈天への奉納品です。

南丹市立文化博物館

 

 



奉納 賀茂御社 越中守包國

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短刀、銘 奉納賀茂御社 元禄十二年七月十三日
     願主 高橋就⬜︎ 大和住越中守包國作(賀茂別雷神社蔵)

5回目も、前回、前々回に続き、賀茂別雷神社(上賀茂神社)に伝わる奉納刀です。
この短刀は銘文にある通り、大和国の刀工越中守包國の作で、元禄年間に賀茂御社に奉納されたものですが、驚くべきことは、焼入れ後一度も研磨をされず、打卸状態のまま現在まで保存されていることです。
当然ですが刃も付けられておらず、刃の厚みは刃区部で約1ミリ、切っ先は2ミリ程の厚さが残っています。
茎の錆も概ね浅く未だ鈍い光を放ち、現代の新作刀打卸となんらかわりはありません。
祇園社(八坂神社)に奉納された出羽大掾國路の剣(承応三年紀/研ぎ身/重要文化財)も未だ茎にかなりの光を残しますが、奉納刀には時にこの様な品の出現がみられ、その特殊性から当時の文化の一端を窺い知る事が出来ます。
賀茂別雷神社HP



兼氏(室町時代)

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太刀、銘 兼氏(賀茂別雷神社蔵)

4回目。
この太刀も前掲に続き、賀茂別雷神社への奉納刀で国指定重要文化財の社務日誌に同社への奉納記録が残る品です。
太刀銘で兼氏と銘がありますが、刀身は室町時代の作と思われます。
しかし出来はよく、板目の流れる古風な地鉄に明るく働き豊富な刃を焼いており、直江志津を一段と華やかにした、その様な出来となっています。

賀茂別雷神社HP



吉則(後三条)

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短刀、銘 吉則(賀茂別雷神社蔵)

3回目、山城国三条吉則二字銘の短刀です。
三条吉則は複数代あり、日頃目にする吉則の殆どが室町時代中期以降の作です。
この後代吉則は各地に駐槌し、和泉、三河、越前などの出先打ちを残しています。
さて本作は吉則二字銘で、南北朝時代末期乃至応永にかけての姿。
疲れはありますが未だよく詰み美しい地鉄を残します。
銘、姿、出来といずれも現存する三条吉則最初期、応永頃の物に合致し、賀茂別雷神社(上賀茂神社)に残る社務日誌(国指定重要文化財)に同社への奉納の記録が残る貴重な短刀です。

賀茂別雷神社HP