村正②
村正①
初代忠吉
陸奥守忠吉
近江大掾忠廣
丹波守吉道
刀、銘 (菊紋)丹波守吉道
(京都帝釈天蔵、南丹市立文化博物館寄託品)
6回目は丹波守吉道。
おそらく二代、或いは三代でしょうか。
直ぐに長く焼き出し、互の目主体に様々な刃を交え、匂い深く錵よくつき、砂流し入り、そして湯走りが縞がかり簾刃風となる箇所が複数あります。
丹波は代が下がると完全な簾刃出来が多くなりますが、初代やこの頃の作品には完全な簾刃とはならず、あくまで”簾刃風”にとどめたものがあり、その過ぎない働きが絶妙な景色となっています。
この刀は南丹市立文化博物館にて開催された「園部藩立藩四〇〇年記念・令和元年度秋季特別展 園部藩の歴史と文化」に出陳の品ですが、その展覧会図録の解説に『刀が納められていた箱蓋裏には「謹上 明和八年辛卯冬十一月廿有五日 藤英常」との墨書きがあり…』とあるとおり、園部藩六代藩主小出英常、京都帝釈天への奉納品です。
奉納 賀茂御社 越中守包國
短刀、銘 奉納賀茂御社 元禄十二年七月十三日
願主 高橋就⬜︎ 大和住越中守包國作(賀茂別雷神社蔵)
5回目も、前回、前々回に続き、賀茂別雷神社(上賀茂神社)に伝わる奉納刀です。
この短刀は銘文にある通り、大和国の刀工越中守包國の作で、元禄年間に賀茂御社に奉納されたものですが、驚くべきことは、焼入れ後一度も研磨をされず、打卸状態のまま現在まで保存されていることです。
当然ですが刃も付けられておらず、刃の厚みは刃区部で約1ミリ、切っ先は2ミリ程の厚さが残っています。
茎の錆も概ね浅く未だ鈍い光を放ち、現代の新作刀打卸となんらかわりはありません。
祇園社(八坂神社)に奉納された出羽大掾國路の剣(承応三年紀/研ぎ身/重要文化財)も未だ茎にかなりの光を残しますが、奉納刀には時にこの様な品の出現がみられ、その特殊性から当時の文化の一端を窺い知る事が出来ます。
賀茂別雷神社HP
兼氏(室町時代)
4回目。
この太刀も前掲に続き、賀茂別雷神社への奉納刀で国指定重要文化財の社務日誌に同社への奉納記録が残る品です。
太刀銘で兼氏と銘がありますが、刀身は室町時代の作と思われます。
しかし出来はよく、板目の流れる古風な地鉄に明るく働き豊富な刃を焼いており、直江志津を一段と華やかにした、その様な出来となっています。
吉則(後三条)
3回目、山城国三条吉則二字銘の短刀です。
三条吉則は複数代あり、日頃目にする吉則の殆どが室町時代中期以降の作です。
この後代吉則は各地に駐槌し、和泉、三河、越前などの出先打ちを残しています。
さて本作は吉則二字銘で、南北朝時代末期乃至応永にかけての姿。
疲れはありますが未だよく詰み美しい地鉄を残します。
銘、姿、出来といずれも現存する三条吉則最初期、応永頃の物に合致し、賀茂別雷神社(上賀茂神社)に残る社務日誌(国指定重要文化財)に同社への奉納の記録が残る貴重な短刀です。