研磨記録

龍門2
近日研磨記録更新予定。



バイス購入

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でかい、重い、嬉しい。



中身

ここに座り、刀の絵を眺めるのが好きになった。
刀の絵と言うが、絵なので見えるのは拵えだけである。
中身は何であろうか。

全く偶然だがこの絵を描かれた先生よりお電話を頂戴し、縁あって私の元に来た事をお伝えし(浪人之図 平成七年作)、描かれている刀の事をお聞きした。

拵えは、奈良の生駒に居られた老名鞘師の作。
中身は九州肥後同田貫兵部・・。
先日研磨記録にUPしたばかりの兵部それその物である。

実は、お気に入りの拵え(絵)が手に入ったのだから中身も欲しい、つまり中身の全身押形を描きたいと考えて居たのだが、もう済んでいたわけである。
兵部3



浪人之図

今日は絵を譲って頂いた。 刀の絵である。
浪人之図。
ここに座れば毎日見られる。
一振り欲しいと言う気持ちが収まった。
一振り持ったわけだ。
よい拵えは気持ちが落ち着く。



鎬地の仕上げについて 2

先日も少し書いた鎬地の仕上げについてです。
以前ブログで使用した画像です。

古青江映り
古青江。
映りがよく見えます。
これがもしも鎬地の磨き仕上げがなかったら。
古青江映り2
この様に鎬地の映り状態が確認出来るわけです。

この画像は刃引き途中に下艶でサラッと慣らし見やすくした物にPCで加工しているわけですが、このまま鎬地を磨かず仕上げが進めば拭いも入り、直刀風の落ち着いた風合いとなります。
磨き無しの鎬地が本当に美しいかどうかは刀にもよりますし、この太刀などは映りがうるさ過ぎると言う事になるかも知れませんが、研究材料と考えた場合、鎬地を磨き潰すのは惜しい気もします。

 



展示されていた刀の

歴博で展示されたいた長い物の一つに見覚えのある調子の刃取りを見た。
http://kyoto-katana.at.webry.info/201209/article_11.html
おそらくこの研師と同じ人だと思う。
刃取りの調子には研師の癖が現れるもので、特に強い個性を持つ場合見分けが付く。
上記旧ブログに書いた刀をその後研ぎ直したわけだが、同じレベルの刃取りに持って行く事が出来なかった。
この事でも分かる様に、刃取りの形は刃文の形によって決まるものではないわけだ。

最近派手な刃取りを嫌う内容の発信を度々見る。
そう言う発信をする人が、これは良い仕事だとする物は、酷い仕事の事がままある。
刃取りとは大変難しく、非常に長い年月の修行を要する。
数年程度では刃取りの白い形を作る事すら出来ない。
やりたいが出来ず、全く白くなっていない常態の物をすばらしいと発信してしまってはまずい。
こう言うレベルの物は好みなどと言うところを超えている。
私も刃取りが派手だと揶揄されるタイプの研師だが、実は本人は差込研ぎが好みなのだ。



歴博へ

本日は11月1日より大阪歴史博物館で行われている、お守り刀展覧会に行きました。
初日にも行きましたが、見たいポイントが新たに発生したので。
新作刀の研磨は難しいと思います。 下地も当然そうなのですが、仕上げの方向性が多様なのです。
古い刀は、研師が”こうだ”と言えばそれが正解となる事が多く、また実際それが正解の場合が多いでしょう。
新作はそうではないと私は思っています。 今日見た展示解説は作者自身の言葉によるものでしたが、「作刀は刀匠が発する言葉、出来上がった作品はそれに対する返事」という様な内容がありました。
刀匠は良い返事を待っています。 職方は良い返事が出来るよう最善を尽くします。(展示解説の趣旨はもっと深いところです)

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先日来描いていた太刀の全身押形が完成。
その後PCに取り込み。
ついでに他二振りの太刀を取り込み。
準備が整えばUPします。

 



鎬地の仕上げについて

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先日来描いている太刀、とりあえず刃文はつながった。

兵部2
こちらは近日研磨記録にUP予定。

さて、先日研磨させて頂いた古い太刀。
依頼者の希望で鎬地に磨きを掛けず、平地と同じ様に拭いで終了としました。
地肌は比較的詰んだ板目で潤う杢混じり。鎬地も同様です。
平地に錵映りが強く出、鎬地にもよく出ています。
鎬地を磨き潰すのが惜しいと感じる刀には度々出会います。しかし本当に磨かずに仕上げたのは今回が初めてです。
仕上がりの雰囲気は直刀に近いでしょうか。
個人的にはこれは有りだと感じました。
むしろ昔はこういう仕上げであったのではなかろうかと。
鎬地が美しく無い作刀方の刀のために磨き棒による磨きが考えられただけで、美しい鎬地を持つ刀は磨き無し仕上げだったのではないか、などとも思います。
依頼者は、新刀を古刀に化けさせるための発案が鎬地の磨き仕上げではないかと仰っていましたが、それもおもしろい視点です。 石堂の柾を磨き潰し、一文字に持って行く。

あまり手の掛かっていない研ぎの刀。
鎬地の磨きの上から内曇を引くと、筋交いの荒い砥石目がどっと出て来るのが普通です。
研師の目には磨きの底に沈む砥目は見えて居るものですが、一般の鑑賞者には見えないものだと思います。
針磨きは鎬地の本当の表情を見る機会を奪っているとも言えるわけです。