短刀 備州国分寺住助国作
研磨記録 古刀の部、備後国に短刀、「備州国分寺住助国作 嘉暦二年正月日」を追加致しました。
研磨記録 古刀の部、備後国に短刀、「備州国分寺住助国作 嘉暦二年正月日」を追加致しました。
研磨記録 古刀 備後国に、短刀「備州国分寺住助国作 嘉暦二年正月日」を追加致しました。
この刀、一見本物ですが、撮影用の模造刀です。 刃も付いておらず、刃の厚みもミリ単位あります。もちろん鉄でもありません。
以前、映画「武士の献立」の撮影協力をさせて頂いた時の物です。
撮影所での仕事も色々ありましたが、研ぎ場ではこの他にもう一振り、模造刀の表面を本物に見える様に仕上げたり、映画でメインとして使用する包丁の銘を消したり、主人公の春さんが手紙の封を開ける時に使用する小刀を研いだりと色々ありました。
この模造刀の表面加工、大変です。軟質の合金ですので一瞬で砥石が目詰まりします。刀剣研磨歴二十数年、一番難しい刀だったかも知れません・・。
助監督さんからこの仕上げのお話があった時、差込研ぎにするか刃取るのかと言う選択になりました。
一般には、刃取り研ぎは明治以降にしか無いと思われているが、実は1789年~1801年頃刊行の研磨本「察刀規矩」に現在の化粧研ぎに近い”刃取り研ぎ”が行われていた旨が記されている事や、窪田清音の「硎記」に刃取り研ぎの記述が有る事などの資料を見せ、”武士の献立”のこの時代に刃取り研ぎを施した刀があっても間違いでは無いと説明し、刃取り研ぎで仕上げる事になりました。(武士の献立の時代設定は察刀規矩より古いですが) 結局刃取り研ぎの方が撮影上色々と都合が良いですし、また刃文の無い刀を差込に出来ませんしね。
仕上げた刀はもっと重要な部分でアップに成る予定でしたがそれはカットされたものの、一瞬ですがスクリーンに映し出され、苦労の甲斐がありました。
ちょっと昔の話でしたが、画像が出てきたもので・・。
研磨記録、研磨外の部、備後国に、重要美術品「備州住正廣作」を追加致しました。
本日は京都支部会で、京都国立博物館で開催中の永藤一(なが ふじかず)コレクションを拝観。
重要美術品指定の「往昔抄」を拝見出来、感慨無量。
また本日の拝観には京都国立博物館研究員の末兼俊彦先生が付いて下さり、全ての品について詳しい解説をして頂きました。
その解説は、我々がいる今の刀剣界のレベルの低さを突く辛辣なもので、私には非常に新鮮であり、素晴らしい解説だと思いました。
研磨記録、古刀の部、大和国に、龍門を追加致しました。
日々拝見する刀、本に載っていそうな品は大体チェックする習慣がある。
度々持ち主も気付いていない事を発見し喜んで頂く。
普段からそうしていると”本の間違い”に遭遇する事がしばしばある。
先日、大倶利伽羅広光を拝見していて差し表に棒樋が無い事に驚いた。日本刀大鑑にも相州伝名作集にも差し裏の大倶利伽羅と差し表物打上のアップの写真があり、どちらの本も棒樋が入っている。
結局、名物帳のデータを見ると差し表は腰樋、裏に大倶利伽羅であり、大鑑と相州伝名作集は写真の掲載ミスである。
また今般、桃川長吉を調べて居たところ日本刀大鑑の図版に重要美術品として掲載されている太刀が重要美術品全集には無かった。 協会に確認したところ、どうやら大鑑の掲載ミスで、図版に載っている太刀は重要美術品では無いようである。(解説部に掲載の「桃川住長吉」は正しく重美である。)
これらは当然悪意の無いミスだが、先日はかなり悪質な物を見た。
オークションで販売されていた品。所載物と言う事で本を開いてデジカメでページを撮影した写真があった。
見ると鑑刀日々抄である。 写真に映るページの中央にその商品と同一物の解説と押形があり、その左右には別の刀の解説や押形が。
鑑刀日々抄は刀好きのバイブルなのでよく開き、薫山先生の筆はある程度頭に有る訳だが、その商品の押形だけ少々筆が違う。
ページ数も写って居たので本で確認すると無い。しかし、左右に掲載の刀のページを発見。
結局、そのページの写真を撮り、真ん中に挟まる形で掲載の押形と解説をPC処理で消し、自分で描いた押形をページに合成、フォントを日々抄に合わせた解説も合成し、所載物として販売しようとしていたようだ。
なかなか手が込んでいる。