埋忠明寿の刀を見てきた

重要文化財、埋忠明寿の刀(太刀銘)、佩表 山城國西陣住人埋忠明壽(花押) 佩裏 慶長三年八月日 他江不可渡之(他へ之を渡すべからず)  刃長 二尺一寸三分半。
先日まで開催されていた刀匠河内國平展は複数回足を運びました。この展示は壁掛けのアクリルケースに遠距離からLEDを当てる方式のため、眼球から10センチ程度の距離で刀身が見られます。 そのすぐ後なので一般的な展示は距離が辛い。
刀好き以外にはそれが普通でしょうが、見たい人には一般的な展示は辛い時代に来ています。どうしても比較したくなるものですし。 照明設備や需要等の関係で簡単では無い問題ですが。

さて明寿。 慶長新刀は素敵です。
太刀でしょうか刀でしょうか。明寿の刀に出会う事は有りませんので意識した事がありませんでした。
太刀銘ですが、慶長新刀ですし一応刀としておきます。日本刀大鑑では「刀」としていますが多数の書籍及び今日見た展示では「太刀」です。
佩表が不動明王と梵字、ダブルカーン。裏は龍。彫りを見られる人が見ればどちらが表か分かるのかも知れません。

展示は太刀置き。かっこいいです。
慶長新刀の見本的な姿。
刀を習う時、「慶長新刀は南北朝の磨上姿」と習うわけですが、あまりそれにとらわれない方がよいと思います。
姿とは切っ先のフクラ、茎の刃方の線、棟の線、肉置き、踏ん張り、茎の全ての線等そして焼き刃バランスと、大変微妙な事で決まる物なので。 慶長新刀は慶長新刀の姿として完成されています。(製作時に南北の磨上刀に対する意識は有ったのかも知れませんが)
単に分類や鑑定の方法として「慶長=南北磨上姿」と言い切るには違和感を感じます。 そんな程度の考えでは慶長新刀の姿は出せませんから。
例えば刀工が造り込んだ姿(焼きも含め)、これを研ぎ崩すのは一見簡単です。しかし、ちゃんと見られる目で見れば、殆どの場合、元の状態がわかります。即ち、最初の造り込みを完全に崩し切る事は難しいのです。 と言う事は良い姿、焼き刃バランスを保っている刀は、焼き入れ、姿直しを終えた段階から名刀なのです。
名刀とは優れた刀工が生み出す物。 当り前ですが案外本当に分かって居る人は少ないのかも知れません。