備前刀のことなど

時間をつくり、行きたかった「備前刀の系譜」に。
LEDペンライトを点けるとそこには備前刀にしか無い世界がひろがっていました。
刀を見る目は毎年変わりますが、もちろん今までの一番高い意識で見る事が出来たはず。
さらに思いもよらず備前伝の刀鍛冶さんと会場でお会いし、様々御教授頂きながら拝見する事が出来ました。
贅沢至極。
鎌倉備前凄し。
印象深い品は多数ありましたが、気になったのが光忠・守家合作太刀。
焼き出しに古調な腰刃を焼き、ぱっと見は古一文字かと思いました。
気になり帰宅後調べてみますと、刀剣美術第8号(昭和26年)に記載がありました。
「合作の研究 佐藤貫一」の記事、
 ~前略~ 時代順に見てまず一番古い合作の例と思われるものは尾州徳川黎明会の光忠・守家合作の太刀である。この太刀の押形等は古来の押形集にも見られないが、この太刀に就いて剣話録に今村翁が次のように述べている。 
  『光忠と守家両作の太刀が侯爵徳川家(旧尾張家)に余程結構なものがある。是は生中心で、目釘穴三つ、佩き表に「光忠」の二字裏に「守家造」と三字あり、刃長さ二尺六寸八分半、明暦二丙三百五十貫、本阿弥光温極めにて、出来は矢張頭バチ丁子頗る見事なもので、光忠上出来と見える。然るに太刀姿は一体にて円く反って、守家の太刀姿によく似て居り、先ず云って見れば守家が下地を造り、光忠が焼刃を焼いたのであろうかと思われる。応永以前のもので両作銘はないもののように是まで聴いて居たが、右の両作銘などもある』 
  その作風から言えば今村翁所説の通りであって、如何にも鎌倉中期の備前物として首肯せられるものであるが、「光忠」「守家造」の銘字は両方とも果たして良いかどうかについては研究の余地があると思われ、以前拝見した記憶から言ってもどうも無条件に賛成しかねるものがあった。下地は守家、焼き刃は光忠と言うのも如何にも合理的に似ってしかも後から考えた理屈と言った気持ちが残る。 ~後略~
と言う内容。
昭和26年と言う古い記事ですが、その後どの様に扱われて来た太刀なのか・・・。
出土刀のTVを見た。
・・・確かに。
古名刀を見ると、「今では考えられないが、武器なんだから極短時間で量産したにも関わらずこの様に素晴らしい品が出来たのではないか」と言う風に考える事が多かったのですが、江戸期のある種の刀装具の様に、作り手は時間とお金の概念を捨てないと出来ない仕事があり、それを刀身にも当てはめて考えるべきなのかも知れないなどと思った。
またTVですが、バラエティー番組で鑢の製作工程をやっていた。
味噌を焼き刃土風に塗ったり、鉛で焼き入れをしたり。 自分は何も知らないのだなぁと改めて認識。
バラエティーテイストに落としてはいますが、精度が問われる工業製品の製作工程が見られて大変勉強になった。
工具はMade in Japanにしたい。(実際全てと言うわけには行きませんが)



厳島神社の雲次拵え風鐔

またですが、今度は厳島神社の雲次の拵え風の鐔に。

画像
画像

縁の色のせいだと思いますが、やはり真っ黒な鐔では違和感が。
でまた金に。

画像
画像

やはりこちらの色が落ち着きます。
板切れに黒も金もペイントマーカーですが、こうやって遊んでいるのが楽しいもので・・。
鐔のサイズもこれが好みです。
二尺三寸の刀に5.9cmです。
鞘も柄もそういう出来ではなく、本当は赤銅の大きな鐔が似合う拵えなのですが。



鐔を

私、御刀との良縁に恵まれました。
鐔が無かったのでどうしても寂しく、その辺にころがっていた桐箱の側板で鐔様の物を作り掛けて見た。
明らかに鐔無し状態の方が格好がよいではないか・・・。
これではまずいので金覆輪でも掛けよう。

画像


土屋押形を

中央刀剣会が大正15年に発行した土屋押形(上中下巻)を入手しました。
これ、ず~っと欲しかった本です。

画像

大正十五年発行とは思えないコンディション。

画像
画像

内容はイメージしていた物と全く違い、体裁が整った大変美しい押形に端正な文字。 
「温直さん素晴らしい!」と最初はちょっと感動していたのですが、いや待てよ・・・ですよ。
「刀剣銘字大鑑 原拓土屋押形」(全10巻)は、この中央刀剣会の土屋押形のような筆写押形図ではなく拓本押形です。 
文字もこの様に整ったものではない・・・。
私はず~っと「土屋押形原本」が欲しいと思っていました。 そして勝手に、この中央刀剣会発行の土屋押形が”土屋押形原本”だと思い込んでいたんです。(最初は分かって居たはずなんですが途中から間違った認識に変わってしまっていたと言うのが正しい)
結局この本は、温直の手によるものではなく写本なのです。(しかし、この本の発刊には大変な苦労があったそうです)
ずっと原本だと信じていて(勝手に)ようやく入手した私は、大ショックです。
しかし、数十年間集めた大切な押形のほとんどを焼失した温直さんに比べればこんな事は大した事ではありませんね。
因みに、久々に刀剣銘字大鑑第一巻の序を読むと、所謂”土屋押形原本”は本間先生が”長年お預かり”と書かれていました。 
刀剣書籍紹介日記 刀剣銘字大鑑 原拓土屋押形 第一巻ア-カネ見次-兼景



ページを新設しようと

HP左のメニューに項目を新設しようかと考えています。
しかし項目が増えて雑然感が増すばかりですな。
全部をリニューアルした方がいいとは思っているのですが。
新たに考えているページは一般うけゼロの内容です。
一部の人と私自身には必ず参考になるページとなるはずですが。
労する時間があまりに膨大になるやもしれず・・。 



続きますが

ちょっと砥石の事ばかり続きますが、毎日砥石で刀を研いでいるわけですのでご容赦を。
今日は引退する研師さんから砥石をお譲りいただきました。

画像

天然細名倉3本、天然中名倉1本、山不明戸前一本、内曇刃引2本、地引1本など。
いずれも大変貴重な天然砥です。
大切に使わせて頂きます。 ありがとうございました。



ただただ

ひたすら砥石と向き合う日々のように思う。
刀と対話するというのが本来なのでしょうか。
しかし私の場合そうでは無いかもしれない・・・。
某日海外からのお客様。 鑑識の深さに驚く。 刀の本質をバシッと捉える見方。
無銘の押形をお見せしても瞬間的に極めを当てる。 ・・直刃でも。
20年以上前から御世話になっているお客様。 いつも楽しいお話をお聞かせ下さる。 鞘下地を気に入って頂けた。
某大学から砥石の件でお客様。 天然、人造とも砥石は奥深いです。 使う側の意識次第ですが。
湖底から発掘された太刀を見た。
なんじゃこの大きな鐔は! 十数センチ有るんじゃなかろうか。

画像

人造砥、初めての物を二種購入。
一つは非常によく、今まで使用の物は使わなくなると思う。
もう一つは好みではない。
人造砥の好みでない物は購入後数分の使用でもう一生使わないので大変非効率。
試し用、サンプル砥石のシステムを望む。 人造天然ともに。
内曇を10キロ購入。

画像

希望を見つけたい。
数日刃取り。 
以前ご指摘頂いた事があるのですが、私の刃取りは親指の側面を使うので関節を痛めるのではないかと・・。
40歳を超え、刃取りが複数続くと関節が痛む。 親指の先を使う刃取りも取り入れつつ行う。
20年以上前から御世話に成っているお客様。 気持ちが落ち着く。 御刀の状態は悪し。
今日は曇り。 難しい。 ひたすら引く。



昨日の続きで

画像

刀を電球で透かして見た時、この様に足が多数入りにぎやかな直刃。(画像は押形を斜めから見た状態で実際の刀身に見立てています)
これが押形になるとこうなる。

画像

最初の画像と同じ押形を平面撮影。
30センチ中に15本の足を入れました。
一枚目の画像、互の目の連れた刃文と見てしまい尻懸等を導き出す事になるかも知れません。
しかし2枚目の画像から尻懸は思い浮かばないと思います。
当り前の現象ですが、ちょっと意識しなければ見誤ります。



刃文鑑定で

茎を隠して銘を当てる場合一般的に、姿から時代などを、地鉄から国や流派や位などを、そして刃文で個銘を特定すると言うような方法をとります。
刃文の特長は個銘を当てる大切な手がかりですので、書籍等でよく勉強する必要があります。
刃文の名称などを覚え、一振りの刀の中に本で見た刃文を見つけると嬉しくなるのは何年やっていても同じです。
慣れて来ると、細かな特長だけでなく、全体の刃文の構成などが見えて来ますので、持った瞬間に個銘が浮かぶものです。
しかし、実際刀を持ち電球に透かして見た場合、知っている雰囲気ではあるがどうしてもイメージがつながらず、苦しむ時がないですか?!
その時はこれが原因の場合があります。

画像
画像
画像
画像
画像
画像

同じ刀を、書籍等で見る平面の見方、実際刀を見る時の斜め方向からの見方で3振り分並べました。
実際に見る時はこの画像よりもっと強い角度で水平に近い位置から見ている方も多いと思います。
当然ですが角度が強いほど刃文は詰まって見えます。
いつも見る本では腰が大きく開く刃文でも現物を見た時そうは見えない。
押形では働きの数が少ないのに、現物は大変よく働く直刃に見える。
特に後者。 押形を描いていても現物の見え方と描いた押形の見え方の違いに戸惑う事があります。
例えば直刃30センチの間に足が15本入っているとして、現物では十分にぎやかに見えるのですが、押形に描くと寂しく感じてしまう・・・。
しかしそれは錯覚で、その押形を斜めから見ると十分ぎやかな直刃です。
本に載っている押形を見る時、斜め方向からも見るようにすると現物とのイメージのずれも少なくなります。