昨日の続きで

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刀を電球で透かして見た時、この様に足が多数入りにぎやかな直刃。(画像は押形を斜めから見た状態で実際の刀身に見立てています)
これが押形になるとこうなる。

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最初の画像と同じ押形を平面撮影。
30センチ中に15本の足を入れました。
一枚目の画像、互の目の連れた刃文と見てしまい尻懸等を導き出す事になるかも知れません。
しかし2枚目の画像から尻懸は思い浮かばないと思います。
当り前の現象ですが、ちょっと意識しなければ見誤ります。



刃文鑑定で

茎を隠して銘を当てる場合一般的に、姿から時代などを、地鉄から国や流派や位などを、そして刃文で個銘を特定すると言うような方法をとります。
刃文の特長は個銘を当てる大切な手がかりですので、書籍等でよく勉強する必要があります。
刃文の名称などを覚え、一振りの刀の中に本で見た刃文を見つけると嬉しくなるのは何年やっていても同じです。
慣れて来ると、細かな特長だけでなく、全体の刃文の構成などが見えて来ますので、持った瞬間に個銘が浮かぶものです。
しかし、実際刀を持ち電球に透かして見た場合、知っている雰囲気ではあるがどうしてもイメージがつながらず、苦しむ時がないですか?!
その時はこれが原因の場合があります。

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同じ刀を、書籍等で見る平面の見方、実際刀を見る時の斜め方向からの見方で3振り分並べました。
実際に見る時はこの画像よりもっと強い角度で水平に近い位置から見ている方も多いと思います。
当然ですが角度が強いほど刃文は詰まって見えます。
いつも見る本では腰が大きく開く刃文でも現物を見た時そうは見えない。
押形では働きの数が少ないのに、現物は大変よく働く直刃に見える。
特に後者。 押形を描いていても現物の見え方と描いた押形の見え方の違いに戸惑う事があります。
例えば直刃30センチの間に足が15本入っているとして、現物では十分にぎやかに見えるのですが、押形に描くと寂しく感じてしまう・・・。
しかしそれは錯覚で、その押形を斜めから見ると十分ぎやかな直刃です。
本に載っている押形を見る時、斜め方向からも見るようにすると現物とのイメージのずれも少なくなります。



名槍

ここ10日ほどで出先にて槍を十数振り拝見。
かなりの名槍も多数あった。
八重の桜を見ていると十文字槍がよく出て来るので、無知な私は以前、なぜ?と思いネットで検索してはじめて知りましたが、宝蔵院流槍術は会津の地でも栄えていたのですね。
いつも大変お世話になっている方から頂いていた「会津、刀剣の美」をひらくと、刀の他槍も多数のっています。
直槍(じきそう)も十文字も。
会津の気風もあり、戦の最前線に立つ槍は重要な意味があったのでしょう。
また八重ネタですが、あの会津十一代兼定も京都守護のため文久三年上洛し、蛤御門の変では御所警護の任についています。
土方さんが持っていた会津十一代兼定もそう言う関係で持つ事になったのですか? このへんの事は詳しく知りません・・。
槍の研磨はケラ首周辺などに大変な時間を要するため、研磨料金はどうしても高くなってしまいます。
一応HP上では十文字研磨の受付はしておりませんが、過去には十数振りの十文字槍を研ぎました(片鎌含め)。
槍研ぎはかなり好きです。  時間が許せば延々、ずっと研いでいられます。 
特に十文字系の場合、最上を求めれば時間を制限すると研磨出来ませんし。
仕事内容は刀身彫刻に少し似ているんだと思います。 しかし料金形態が違うため、槍研ぎは成立しませんね。
色んなものが矛盾しています。



備後国

平成25年6月 京都刀剣入札鑑定会
今回は私が当番という事で、個人的に好みの作風が多い備後刀を5振り並べさせていただきました。
 一号 太刀 備州住正廣作   (重要美術品)
 二号 刀   大磨上無銘 古三原 (重要刀剣)
 三号 刀   大磨上無銘 国分寺助國
 四号 刀   大磨上無銘 国分寺助國
 五号 刀   大磨上無銘 法華
備後刀は末になると貝三原などの在銘に出会う事はありますが、その他の末備後や応永頃以前の在銘の品に出会う事はそう多くありません。
今回も一号重美の正廣以外すべて無銘です。
しかし大磨上無銘の備後刀を侮るなかれ、味わい深い品が数多く存在します。 

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一号刀 重要美術品、古三原正廣太刀。
圧巻の出来。 
働きを全て書き込むと私の押形技術では太刀打ち出来ず真っ黒の刃になってしまいますので簡略化しています。
二号は切っ先が延び、重ね厚く幅の広さが尋常でない豪壮な南北朝スタイル。
三原の滝落しが見られます。
三、四号は昔研磨させて頂いた国分寺助國です。
大変好みの作風。 
押形は四号刀 国分寺助國

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五号法華は流祖を国分寺助國に持つと言う事で並べさせて頂きましたが確かに通ずるものがありました。
  
   この度、大切な御刀をお貸し下さった皆様、誠にありがとうございました。
 



共鎺

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先日の鉄鎺とその刀身です。
全く同じ鉄味。 まさに共ハバキ。
区はウブで(焼き出し映りが有るが再刃ではないので)目釘穴は茎尻に一つのみ。
茎はもっと長かったのでしょうが無造作に切断されています。

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私が初めて拝見した当時は無かったのですが、新たに明智風の拵えが掛けられておりました。
新作の切羽は山銅。
大変古そうな鐔で、漆をかけていた痕跡があります。 よくこんな鐔が見つかりましたねぇ。 素晴らしい!



願えば叶うものです

そう、願えば叶うもので、先日ブログに書かせて頂いた鉄鎺の付いた古い長巻の様な刀に再会する事が出来ました。
いやちょっとおもしろいものになっていましたのでまた書きます。



大倉集古館にて

現在東京の大倉集古館にて「第四回 新作日本刀・研磨・外装 刀職技術展覧会」が、2013年6月8日(土)から7月28日(日)までの日程で開催されている。
所謂「刀職技術コンクール」である。
私などは、「ただ出品させて頂きそして結果が届き、それに一喜一憂し、表彰式だやれ遠いの大変だなどとわぁわぁ言いつつ東京に行き写真集を買って喜び、さてまた来年・・」と言って一年が終わる。
今年は表彰式には出席させて頂いたが私用が重なるため後の懇親会は欠席させて頂き、その間の2時間を展示鑑賞とし即帰京(京都)した。
その2時間、落ち着いた気持ちで鑑賞しそして考える事が出来、良い時間であったと思う。
まずこの展覧会、若手から中堅そして高名な先生方まで、大変多くの刀職者が自らの時間を割き行動する事で開催に至っている。
目に見える部分だけでも、出品受付、審査等、展示作業、写真集撮影、表彰式一切、展示期間中の解説、撤収など、これら作業の多く(多くと言うか、ほぼ全てか)を刀職者自らが行っている。
文字にすると簡単に見えるが、これは大変な労力である。
その他私の様な一般出品者には見えない部分でいったいどれだけの時間が費やされているか、想像に難くない。
その様な展覧会に毎年出品させて頂く価値に改めて気付き、感謝し、この場に臨む気持ちを今一度考え直す事が出来た。
そして会場には、日々様々な物を捨て、一つの物を得る、それを真剣に取り組んだ人にしか出来ない”仕事”が並んでいると感じた。
私の出品刀は当麻。
一番好きな刀である。

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薩摩上げ

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薩摩上げに掛ける拵えの簡単な図面。
所持しておられる方は画家さんで、サラサラッと描かれたもの。
あえて”寄せ集め”の小道具を使っておられます。
よい拵えになりそうです。
さて”薩摩上げ”ですが、過去何振りか研ぎましたが今回のものは少し大振りです。
語源ははっきりしないようですが、「日本地図、江戸側から見ると薩摩は日本の切っ先部分であり、そちら側から切り詰めて短くし、短刀に仕立て直した物。 薩摩側から磨上げるので”薩摩上げ”」 という説が有力のようです。
要は折損品や刃切れの生じた太刀や小太刀を、銘をのこすかたちで短刀として再生したものです。
備前の古いところの薩摩揚げには重要刀剣指定品もあり、確認出来たものでは古備前正恒、古備前則重、一文字助真、長船景安がありました(他国の指定品の有無は不明)。
備前物は腰反りで、薩摩上げに直すと良い姿になる事から加工される例が多かったのかも知れません。
冠落しや横手を切るおそらく風、菖蒲風などの造り込みが有り、構造上帽子は焼詰めとなります(焼きが高く華やかな場合はその限りでは無い)。
因みに図譜の解説に「この形は鎌倉時代の備前物に限って見られる事がある」とありますが、実際には様々な国、時代の刀身が薩摩上げとして存在しています。
昨日は内曇を買いに。

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購入した11キロプラス倉庫にあった石を加工。
無筋の10万、15万の石が並んでいましたがなるべく安くおさえるため、筋物や形の悪い物、木っ端等で凌ぐ。
効けば良い主義です。
しかし趣味で研ぎをされる方のほうが格好の良い石を使っている事が多いです・・。