平成24年2月19日 入札鑑定

一号 刀
長い。反る。二尺五寸ほどか。
新刀の地鉄。 長めに焼き出し。 丸い帽子。 かなり硬い刃。 
いつも見る通りの上野大掾です。 しかし柄が長い。
以前研がせて頂いた事がある、永正九代末葉を名乗る新刀の与三左衛門尉祐定の茎が異様に長かったのを思い出しました。(上野大掾祐定と永正九代末葉祐定は新刀祐定の双璧と言われます)
ちょっとこちらに入れてみます。
 永正九代末葉祐定と入札。
二号 刀
新々の備前伝。 彫り。
この辺の刀工の勉強は全然で、系統を覚えられておりません・・。
とりあえず、同じ形の互の目が十数センチ間隔で規則的にやって来ています。
 固山宗次と入札。
三号 刀
重ね少し薄め。 鎬高。 鋒延びフクラ張り、小鎬先も付いて行く(先天的)。
地詰み映る。 
末備前の刃。
全体に詰む地鉄ですが、差し裏の腰に一本白い筋。
これと小鎬の状態で備前には入れたくない・・。
 金房政真と入札(先ほど名鑑を見てみましたら金房に「政真」はおりませんでした。 ”正”。こちらなら居ます)。
四号 脇指
本造り脇指。 応永備前姿。
応永杢。  おとなしい刃。
 応永家助と入札。
五号 脇指
大鋒、幅広。
沸え出来の互の目(頭の丸い尖り交じり)。 かなりバサけ、刃中はあまり沸えず。 そのせいか少し沈む。   
古研ぎで地は伏してしまっていますが大きな白い肌が沈んでいます。
地沸えは目立たず。
普通なら薩摩に行きたい所ですがここまでバサける薩摩は未経験なので避ける。
 水田国重と入札。
 
 当
 然
 イヤ
 然
 イヤ
三号は末備前でしかないのですが、どうしても入れる勇気がない。
一般的なイメージよりも普通の出来が意外と多い同田貫上野介と入札。
五号。もう薩摩しかありません。
底に沈んで筋は有るのですが、その筋は丸くつながっているので正良・正幸は避けます。 
ここまでバサけると一番有名所は避けたいのですがどんな刀工が居ましたか・・・。
薩州國平と入札。
 当
 然 
 イヤ
 然
 然
三号はもう疲れましたのでこれ。
 祐定古刀と入札。
 当
 然
 当
 然
 然
 一号 刀   横山上野大掾藤原祐定    備州長船住人
 二号 刀   於江府加藤長運斎綱俊    天保十二年二月吉日
 三号 刀   備前國住彦左衛門尉祐定作 天正三年八月吉日
 四号 脇指 備州長船家守    応永十三年十二月日
 五号 脇指 薩陽臣奥平元武  文化元年子春

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卒制

本日は、烏丸三条にある京都伝統工芸館へ。
以前から行こうと思いつつ中々行けていなかったのですが、京都伝統工芸大学校の卒業・終了制作展が開催中と言う事で行ってみました。

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立派なビルです。
漆工芸、蒔絵、金属工芸、和紙工芸、木工芸、仏像彫刻、木彫刻、竹工芸、陶芸と、約200点の展示です。

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学校のHPを見ますと、「本校入学生の5割が社会人経験者。10代から60代までが学んでいます。」と書いてあります。
10代の若者の作品から多くの人生経験を持つ人の作品まで、様々並んで居るのですねぇ。
立ち止まりじっと拝見する作品、その前に立つのを見られるのが恥ずかしいと感じる作品・・と、レベルの差は激しいです。
生徒さんの姿勢も様々でしょうから仕方無いですね。
技術は経験、経験とは数をこなす事。
卒業後、学んだ技術を生かした仕事に就かれる方は是非頑張って頂きたいと思います。
さて、卒制展をみながら思ったのですが、素人目で見ても木彫刻や仏像彫刻、金属工芸や漆工芸などは技術面での優劣は判りやすいのですが、陶芸などはどうも判らない。
陶芸はほぼどれも上手にしか見えないのです。 素人には。(各分野に上手下手が有ったので、陶芸の作品にも多分有ると思うのですが・・・。)
刀もそれに似ているのではないか。
一般的に見て、良い出来か、良い研ぎか、などは判らないと思います。
この卒制展にもありましたし、絵画やその他の美術で「作品を見た人それぞれが色々と感じて下さい」的な物も多くありますよね、制作技術とは別次元で。
その場合、感じ方が白か黒か180度違う見方に成ってもOKと言う訳ですが、美術品とされる刀の場合、刀工さんは多分そうなって欲しいとは思わないのではないか・・。
刀は”技術”の面が非常に大きい美術品なのです。
なので刀の良し悪しは、勉強しないと判らない。
よく聞く話ですが、「刀を全く知らない人に名刀と凡刀を並べて良い方を言い当てさせれば殆どが名刀を選ぶ」と言うこの手のお話。
これウソですよね。
古い刀を買う時、「”刀”ではなく”人”を見なさい」というあのウソ話と同じ類です。
色々と考えを巡らせて居ましたが、うちのHPなどは誠に不親切なサイトですねぇ・・。
もう少し判りやすい物にしないといけないと反省です。



針仕事

刃取りの途中ですが針仕事(磨き工程)を行なう。
どちらも長い時間がかかる工程で、手の負担軽減と気分転換のために磨きと刃取りは同時進行で行なう事にしています。
予想より少し柔らかい鎬地でしたのでしばらく使用して居なかった磨き棒を出して使う。
とっつくなぁ・・。 そう言う鉄じゃないんですが・・。
針先を200倍で見てみました。

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これじゃとっつく訳です。
磨き棒を磨き直して作業再開。
どの工程も改善策の効果がこれくらいはっきりと出てくれれば気持ちよいのですが・・。



仕上げ

最近ずっと仕上げをしております。
刃取りとは本当に難しいものですね。
時間を掛けるほどに”ただの刀”になってしまう・・。
合間に刃艶作り。

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最良の物と実験的な物を磨った。
中古レンズが欲しい・・・。
砥石も沢山買ってしまったし、もしもレンズの事を話したら確実にメシ抜きにされるのであきらめよう・・。



カシュウを

先日買った砥石が早速割れてくる。
特に層ではがれやすいのは分かって居るのですが、一度試しただけで割れてしまっては困ります。
とりあえずカシュウを塗る。

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天然砥には割れないように漆や塗料を塗るものですが、あまり好きではないのでめったに塗りません。
また、砥石の側面には色々と情報がありますし、出来れば透明な物を塗りたいのですが、とりあえずカシュウを塗りました。
気持ち悪い。頭痛い。



天然砥を

本日は砥石屋さんへ。
今朝は雪が積もっていましたので一瞬山を心配しましたが、家の外に出てみると比叡山が明るいのでこれなら大丈夫でしょう。

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愛宕山付近。 砥石山独特の山並み。 この雰囲気の山ならどこを掘っても砥石が出てきそうな気分になります。
実際それに近いとも言えるのですが・・。

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内曇砥

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砥石各種
案外知られて居なかったりするのですが仕上げ砥に関し、例えば刀に使う「鳴滝」と呼ばれる砥石や「内曇」と呼ばれる砥石、これらは同じ山の一つの大きな砥石層から産出されるわけです。
その大きな砥石層の中の位置により、天上巣板(内曇・地引、刃引、刃艶に使用)、戸前(鳴滝・地艶に使用)などの細かな分類がされます。(カンナやノミ、剃刀、包丁等の仕上研磨に使用される合砥、本山などと呼ばれる砥石も同じ様に大きな砥石層の中の一部分です)
ただ、どの山からも、分類される全ての層の砥石が産出されると言う訳ではなく、また各層の砥石が産出されたとしても、山によりそれらの砥質は微妙に違うため、「どの山のどの層の石は刀に最適だが、この層に関しては他に譲る・・」と言う具合にそれぞれの山に個性が有るのです。 
この”層”による個性と”山”の違いによる個性が天然砥最大の魅力かも知れません。
本日も地砥二丁購入。
帰宅後試す。
とりあえず最近目指して来た所には行き着いたと思う。
しかし結果として、それが正解だったと思うには至らなかった。
「刀剣研磨に正解など無い。修行は一生続く・・・」なんて書いて簡単にしめたいのですが、仕上げの方向性はわりと多様ですがちゃんとそれぞれに正解と思える物があるんです。
大正解と思える研磨に出会う度に思います。



押形の

押形作成で茎をとる時、石華墨派、インク派、その他色々有りますが私は石華墨派です。
しかし好みと完全に合う硬さの石華墨が入手し辛くちょっと苦労しております。
様々な方法を試して来ましたが、色鉛筆がちょっと良いかも知れないのです。
インクやカーボンには及びませんが、石華墨よりはかなり鮮明に銘が出ます。
後から銘の縁を補う必要も有りません。
しかし芯が細いため色ムラが出来易く、茎の縁をとる時滑らせるミスを犯しやすいなどのマイナス面が結構大きいのです。
(HPの研磨記録で言うと、景秀、畠田守家、初代康継、栗原信秀などは確か色鉛筆です)

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色々試していますがどれも今一つ上手く行きません・・・。
太さや硬さが難しい。
一番上の二つは質や太さは大変よいのですが、普通の鉛筆の芯と同じ物ですので茎をとると表面がテラテラ光ってしまいダメです。
やはり色鉛筆系の材質が良い。 クーピーとはまた違い、石華墨に近いのです。
先日太い色鉛筆を見つけ、購入。

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他と比べるとこんな具合。
押形作成に最良の太さです。

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届いた時はこれで全て解決と本当に喜んだのですが、使ってみると柔らかいんです・・・。
クーピーに似た感じでしょうか。
石華墨も夏柔らかく冬硬いので、冷蔵庫で冷やして使うと丁度いいんでしょうけど・・・。
結局はテクニックの問題かも知れません。 
分かっては居るんですが・・。 練習しよぅ。



ためし

先日来試し研ぎ。
一振りの刀には幾通りかの仕上げ方があります。 
刃取るか差込かと言う違いではなく、地鉄をどう上げるか、拭いはどうか、それに伴い刃取りの色と調子はどうかと言う違いです。
私の場合多くは艶の選択と拭いの組み合わせで悩みます。
それほど悩まぬ時は過去の経験を基に最良と思う組み合わせで作業を行なうものなのですが、どうしても決めかねる時は試験的に寸刻みで違う仕上げを行い最良の方法を選択し本番に臨みます。
とりあえずあと一日で結論を出したい。
今日、もうしばらく前の番組ですがNHKの「たけしアート☆ビート」で吉原義人刀匠が出演されていた回を見ました。
小刀を作ってみたくなりました。 ずっと思っていましたが。
備前おさふね刀剣の里、こちらの小刀製作講座
刀身の形にこだわらなければ兵庫県羅漢の里で鍛刀されている桔梗隼光刀匠が「小刀づくり体験を毎月第二、第四日曜に行なっておられます。
本当は自分だけ一人でぽいーっと行きたいのですが、家族の大顰蹙にあう事必至ですので子供が作業出来る年齢になれば一緒に行きたいと思っています。
上はもう小学生になりますのでその日も近いです。 あぁ楽しみ。



研ぎ場にて

本日は研ぎ場にて新々刀上々作二振り及び古刀最上作一振り拝見。
二振り古研ぎ、一振り研ぎたて。
日々の鑑賞の時、油を取り去るために打ち粉を使う方、使わない方と色々だと思いますが私は打ち粉は使用しない事をお勧め致します。
過去、ブログには打ち粉をポンポンと打ちそして拭うのが好きだと書いた事もありますが、それを特定の刀に対し何年も繰り返し行なうとなるとやはり良くないわけです。
刃取りが薄れるとかそう言うのは古研ぎの雰囲気となるだけで然して問題では有りませんが、鎬地、平地を曇らせ地肌を潰し、地錵や地景を消し去るのは確かです。
私は研師ですのでその様に打ち粉のヒケで全身被われて何も見えなくなった刀でも、底に沈んだ物を見つけ出すのは楽しいと感じますし、これを晴らせばこうなると分かる部分、こうなるかもと想像する事など楽しいと感じる事も多いです。
しかし一般的には殆ど見えない状態よりも、しっかりと見える状態が好まれるのは当然で、結果研ぎに出すと言う事になるでしょう。
研師的には仕事が増えてありがたい事ですが、やはりもったいないのですよ。 本来無用な研ぎは。 
全身が打ち粉のヒケでおおわれていても、もとの研ぎが上手かそうでないかは見れば分かるものです。
そう言うのを見るとなんとも切ないのです。
良い刀は良い研ぎで最高の状態になっているのです。 
それ以降、打ち粉の手入れにより状態は変化して行き、”味”とかそう言う曖昧な表現の物は増して行きますがそれは決して刀の良さの増補では有りません。  
やはり研ぎたてが最上と考えるべきと思います。(研ぎたてよりも手入れするほどに良くなると言う話の方が大勢でしょうか・・・)
いかに研ぎたて状態を保ち続けるか・・・。
私はこれを使っています。
ミクロディア
打ち粉を使わずともこれで拭うだけで油を除去し鑑賞出来ます。
もしも購入される方が居られましたら、念のために縁の纏り縫い部分等は切除して御使用ください。
打ち粉使用は例えば唾液が飛んだとか指紋が付いたとか、そう言う特別な時に限るべきと思います。
話は飛びますが、地砥三本購入。 一つは良かった。 残りは明日でも試そうか。

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ここ数日

ここ数日刃取り。
今日はもしかしたら柔らか過ぎる刀以外の刃取りについて一番重要な事がやっと分かった・・かも知れない。
20年目にして終にか。
今まで自分の手の動きに騙され続けたようです。
過去に何度も試した事は有るのですが、刀の硬さ・にえ方、刃艶の質・厚さ・・・この条件と行なおうとする事、そうであると信じる気持ち・・これらが上手く整わなければ正しい事を行なっていてもそれに気付かず終わってしまう。 そして一旦見過ごすと次に同じ事を試すまでにその工程のみでも数千時間、何百振りの研磨を経なければならない場合がある。
こういう回り道。 一見無駄に思える時間が重要だ、財産だと世間では言いますがどうなんでしょか。
はしょって言うと、すんなり行った方が絶対得だと思っています。
はしょってますのであれこれ有りますが。