昔の刀美

何度か同じ様な事を書いた事があるかも知れませんが・・。
刀美は昭和24年の創刊号から持っていて、歯抜けも有るとは思いますが合本も持っていますので多分ほぼ全号有ると思います。(人に貸していて行方不明だった古い刀美多数も少し前に戻って来ましたし)

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何かの調べ物などに大変役立ちますし古い刀美は度々開きますが、面白い記事が多くてどうしても脱線して色々と見てしまいます。
審査結果など個々の案件についての手紙や投稿、それに対する記事での応酬なども有り、それがまた完膚無きまでに論破してしまったりと、今の時代ではちょっと有り得ない面白さがあります。
たまに昔のアニメなどを見ても台詞がプツプツ切られて音声が途切れる部分が多く有りますが(放送禁止用語多用のため再放送用に音声をカットして居る)、今に比べると色んな物がおおらかな時代なんですねぇ。
今はネットなどでは何でも有り状態な面も有りますが、それとはまた少し違うものの気がしますが。
また今度読もう。



わずかな時間ですが

岡崎近辺に用事が有り、ついでにほんの少しだけ南禅寺へ。
せっかく京都に住んでいながら観光の名所をちゃんと巡った事はあまり有りません・・。
ん~もったいない事です。  京都ファンの方々から叱られますね。

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行きたい所は山ほど有るのですが、子供が小さいうちはなかなか難しくて・・。

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大きくなったら腕でも組んで一緒に歩いてくれますか・・・?
へんな彼氏なんぞ連れて来んといて下さいよ。



最近だけで肥後守輝廣と播磨守輝廣を4振り拝見(研磨も含め)。
いずれも銘の良い物です。 
続く時は続くものです。 めったに無い品のはずなのですが。
出先にて清光の短刀を拝見。
以前は末備前の良い短刀をよく拝見したものですが最近少ない気がする。
久々に良い清光をみた。
出先にて南北末期乃至応永の小反りの脇指を拝見(小太刀と言うべきか。いやこれは脇指でよいと思う。)。
正系とはまた違う雰囲気の茎で区からの振りが強く尻が張らず、これも格好の良いものです。
仕事場にて年紀入り与三左衛門尉祐定の薄錆び身を拝見。 大変良い銘。 拵えも普通では無い。
与三がまだ眠って居ますかぁ・・・。  古都ですな。



幕末の

うちから歩いて1分の所

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ここに葬られています。
詳しくはこちらのブログで書かれております。(ブログ主と連絡が取れませんので勝手にリンクを失礼致します)
京都を感じる日々★古今往来Part2・・京都非観光名所案内
三縁寺さんは通常は非公開です。事前に連絡をすればお参り出来るようです。



こういうイベントみたいのはちょっと恥ずかしくって苦手なのですが、子供がずっと楽しみにしてましたのでメガネみたいなのを買ってきて皆で見ましたよ。
京都はほぼ晴れ。
素直にわーっ!って叫んじゃいました。
辺りの薄暗さは早朝でも夕方でもない独特なものでしたね。
ドラマなどで昼間にレンズにフィルターをかけて(或いは後処理で)早朝シーンを撮影した場面をよく見ますが、あの雰囲気。

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いつも見る木漏れ日ってそんな事になっていたんですねぇ、今回の件まで全然知りませんでした。



24年5月20日 刀剣入札鑑定会

 本日は本部から。
一号 太刀
古い太刀姿。 細めの直刃。 焼落し。
本国物でも稀に焼落しを見ますが普通は古伯耆か古九州物だと思います。
地刃の状態から古伯耆ではない。古波平とも違う。
行平にはスマートな姿のイメージを持っていますがこの太刀はそう感じなかったので見た事は無い人ですがジョウシュウにしよう。 腰の彫りも無いし。
 僧定秀と入札。
二号 短刀
無反り。三つ棟。少し幅広。乱れ刃。
来国光か国次です。 少し減っていますがさすがにキメ細かい刃。
現存数は圧倒的に国光が多く、確立で言えば国光ですがここは勘で行こう。(確立とか言ってる時点でダメですが・・)
 来国次と入札。
三号 刀
よく錵る刃。 地刃ともに全体にばさけ。匂い口さほど冴えず。
鎬柾。 切っ先の形がかっこいい。 
興正と記入するもなんだか踏ん切りが付かない。
 興里と入札。
四号 短刀
八寸ほど。 フクラ枯れ反り少し付く。 重ね薄め。 庵棟。
地景がよく現われる。
小さい互の目。
 長船兼光と入札。
五号 刀
出入りの有る大きい互の目。 虎徹帽子。 
新々刀の硬い刀並みに匂い口がかなり絞まった部分が多くある。 
全く分からない・・・。
肌立ちぎみで鎬地ははっきりと柾目。
刃の状態は全く違うが少しこの人風の互の目も見えるので、
 大和守安定と入札。
 当
 当 
 同然
 当
 ヨク
五号 固着した観念を捨てましょか。 
 
 興里と入札
 当
 当 
 同然
 当
 当
一号 太刀 豊後国僧定秀作         (重要美術品)
二号 短刀 来国次
三号 刀   長曽祢興正 金象嵌切截銘   (重要刀剣)
四号 短刀 備州長船兼光 延文五年三月日 (重要刀剣)
五号 刀   表 ハネトラ銘 裏 金象嵌切截銘

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本日は日本料理界の大変著名な方にお越し頂き多くのお話を伺いました。
日本料理を牽引し世界に発信するパイオニアとして御活躍されている先生です。
本当に奥深い世界です。
御高書を拝読し勉強させて頂きたいと思います。
何かを発信するには非常なパワーが必要ですね。
役割分担が必要です。
内曇を4日も5日も引く人はそれが仕事なのです。
発信するのはもっと大きな一つの塊からですよ。
なんて思っていたらこう言う世界になってしまったのでしょうか。
新しい役割を担い頑張っている方々が沢山おられます。



色々と

情報処理能力の低い私にとって最近ちょいと超えてる感じです。
気合を入れて行きましょうか。
さて最近は、
出先にて歴史上の人物の佩刀を多く拝見。そのうち全国的な話題になって来るでしょう。
出先にて、室町前期備前物、南北朝期と思われる磨上刀、越前新刀など拝見。
研場にて鎌倉後期山城太刀、南北朝期美濃、鎌倉末期大和在銘、差込研新作刀など多数拝見。
古刀期で、本国物であっても嫡流から少し逸れた感じの品やメジャー流派以外の品の中に、少し異風で、一時代ずれたスタイルを持つ魅力的な作品を見ます。
こういうのいいですね。



昔の

その昔の職人さんには字も読み書き出来ない人が多かったわけです。
刀工でも文字が書けないので銘をどうのこうの・・と言う話は沢山あります。
しかしいい仕事してる職人が多いですよねぇ。
ヨーロッパのどこかで大統領が代わるとか、中東がまた怪しいとか、んなこたぁ考えなくてもいいんですから、ずっと仕事に没頭すればいいんですから。(私も難しい事は考えてませんけど)
そう言う職人と勝負するんですから現代の職人もなかなか大変なのです。
昔の名も無き研師とちょっと一杯やってみたいですねぇ。
一年に何振り研ぐ?なんて話になったら、「たったそれだけかい?!」っと馬鹿にされそうです・・。
「平成の時代には内曇をここまで効かせないとダメなんだよっ」なんて自慢してやりますよ。
でもねぇ、「なんだこの力の無い内曇は!」って笑われるかも知れませんね。
であいつらは絶対に常見寺と細名倉の自慢をしてきますから、
そしたら100Wの電球と洗濯ソーダとタンガロイを自慢してやりますよ・・・。
内曇をずーっと何日も引いて居ると色々つまらぬ事を考えるわけです。
しかし2、300年ほど前の職人と共通の話題を同レベで盛り上がれるのが面白い。 多分。