高杉晋作の薩摩拵
2006年のブログに高杉晋作の肖像写真について以下の様に書いた事が有りました。
「古写真は侍や刀や昔の町並みや昔の子供なんかが見られるので好きです。
この写真ですが、体に比べて大きな刀ですね。
厚みの有りそうな柄に鞘。
柄は片手巻きで目貫無し。小さな鐔。返っていない返り角(元写真でしか分かり難いです)。
典型的な薩摩拵えでは無いでしょうか。
長州藩士が薩摩拵え。
この写真を撮った時期とか色々理由があるのでしょうね・・。
残念ながらこのへん私あまり詳しくなく分かりません。
詳しい方ならこの拵えの中身が何かとか色々分かるのでしょうね。」
つい先日、『戦国刀匠譚』著者の式部靜先生が御著書をおおくり下さり、その時「高杉晋作肖像に有る刀の中身を気にかけて居られたが、中身は「安芸国佐伯荘藤原貞安」の刀で有る」と言う内容を手紙で御教授頂き、その事が書かれた書籍のコピーまで添えて頂きました。
浅学故、私は全く知らなかったのですがこの事は幕末史がお好きな方なら有る程度知って居る事だそうです。
内容は土佐出身の田中光顕の維新風雲回顧録に書かれておりました。
驚いたのですが、私の郷里が少なからず関係して居る事です。
私は詳しく有りませんので間違った事を書いてしまうと大変ですし、掻い摘んで書きますと・・・。
田中光顕が大和十津川郷に潜伏中、同じく十津川に居た薩摩藩士梶原鉄之助の差していた刀が気に入りどうしても欲しかった。
梶原を拝み倒し、自分の佩刀と交換してもらった。
その後長州で高杉晋作と合い、その刀を見せたところ高杉が甚く気に入り是非欲しいと頼まれる。
田中は「十津川で苦労して手に入れた刀故・・・」と断るも断り切れず、弟子にしてくれるならばと言う条件で高杉に譲る。
後に高杉から京都の田中の元に、その刀を握るあの有名な写真が届いたのだそうです。
当時のあんな山奥でその様な事が有ったのか・・・と感慨深いものがあります。
2006年のブログにも書いて居ますが、写真で見ても少し違和感が有るくらい大きく見える拵えです。
薩摩藩士が持って居たと言う事でやはり薩摩拵ですね。
おどろいたのが、普通はこの手の拵えには新刀以降の物が入って居る事が多いのですが、安芸国佐伯荘藤原貞安は古刀です。
永禄六年八月吉日の年紀で長さは二尺六寸も有ったそうです。
改めて写真を見てみましたが、好きな拵えです。
式部先生には色々と御教授を頂きまして誠にありがとうございました。