入れかえ

私のパソコンは旧型で何をするにも不便でしたので入れかえました。
万年初心者の私にとってPCの入れかえは本当に大変。
諦めたくなる様な苦労の末ようやくネットにアクセス出来るようになりました!が、メールの方がまだです。
今のウインドウズはアウトルックが無いんだそうで・・(泣)
完全に正常に戻りましたらこちらで報告いたします。
今日は京都御苑付近に用事で行きましたので、見てみたかった十津川屋敷跡を訪ねました。
先日の京都古地図で言うとこの辺です。

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仙洞御所、寺町御門のすぐ東。
今はマンション?が建っていました。

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慶応元年、とにかく御所の近くにとこの地に十津川屋敷を建てたそうです。
今、坂本龍馬が話題ですが龍馬や中岡もよく十津川屋敷を訪れて居たそうです。
驚くのが、建築に使う材木3000本を十津川の山から切り出して京都まで運んで来たと言うのです。
車で行く事をしんどいなんて言ってたらバチが当りますね。反省です。

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すぐ西に御所の森が見えます。
この十津川屋敷には2百名ほどの郷士が来て居たそうです。
御所の警護と言う大役のため来て居たと言う事ですが、毎晩大酒を喰らって京の都を楽しんで居たんでしょうね。
それでも慶応4年の鳥羽伏見の戦いにはこの十津川屋敷からかなりの数の郷士が出兵し、多くの戦死者を出しています。
京都市のHPを見ましたら、伏見にある龍雲寺(桃山善光寺)には十津川郷士の墓が87基有ると書いてありました。
墓石に刻まれた郷士の名をみますと、大前萬平邦巳、中井富五郎盛義、深瀬勘三郎義重、更谷三治郎義則、今中虎松忠明、岡本忠三郎惟義、藤井良平成憲、谷向杢之助友諒、栗栖松次郎平兼、玉置辰之助延秋、丸谷利馬光信、杉浦茂助、中前松次郎重則、岸尾藪之進定吉、玉置角馬、玉置正平、玉置富之承・・・。
これらの姓はうちの田舎では大変馴染み深いものばかりで、友達や隣近所に必ず今あげた全ての姓が有ります。
歴史の中に名は残っていませんが、さまざまな地方の多くの人々が幕末の動乱に関わって居たのですね。

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小反り

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研磨記録、古刀、備前国に小反りをUP致しました。



なんとか

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先日廃棄した押形を再度描きなおし完成。
今回も佩き裏から描き始めましたが、佩き表でようやく筆が上手く動き始めました。
単純に練習が足りず、手の動きが荒い事が下手な原因です。
先日のブログで「廃棄する」と書いたものですから、温かい励ましのメールを頂きました。
ありがとうございます。
しかし例えば刀匠の仕事ならば、何日も何日も力を尽くし進めて来た仕事が焼き入れの一瞬で全て水泡に帰す事は普通に有る事ですし、研ぎの仕事でも同じ様な事はよくあります。
全部捨ててやり直す事は慣れていますし(慣れて居ると言うのも語弊が有るのですが)、一振りの御刀の内曇を引ききる労力などから比べると、私程度の押形を描く事はただただ楽しみでしか有りませんので大丈夫です。(もっとハイレベルな押形はまた別世界だと思います)
時間の余裕が無く押形を作成する事が出来ない場合も多々ありますが、HPで楽しみな御刀を色々と御紹介出来る様これからも描いて行こうと思います。



本日は、

今日は京都支部例会でした。
今回はいつもの入札鑑定とはちょっと趣向を変えて、会員それぞれが御刀を持参し鑑賞をすると言う楽しいものでした。
ざっと20振りほどの御刀が集まり、大変盛況な会となりました。(入札鑑定では有りませんので、全て柄を抜いた状態での鑑賞です)
重要美術品、特別重要刀剣や重要刀剣はじめ、初めて聞く刀工の作品や、めったに見る事の出来ない貴重な御刀まで、眼福な一日となりました。
中でも私が好きだったのは、短刀・貞宗(宇多貞宗)、脇差・吉次(鞍馬関)です。
貞宗は二字銘で、茎重ね厚く、茎味が大変良く銘も鮮明で、冠落し造りで直刃の短刀。
宇多に貞宗と言う刀工が居る事は知りませんでしたが、出来や造り込みから素直に宇多と分かる物でした。
時代は応永頃と言う事で、南北朝期の宇多刀工と同等の大変高い技量を見る事が出来ました。
鞍馬関の吉次ですが、こちらもめったにお目に掛かれません。
こう言う刀は刃が眠かったり地が荒れていたりと言う事もしばしばなのですが、この吉次はなかなか良い御品でした。
尺六寸ほど、本造りの脇差。 重ね厚めで腰に梵字、上が棒樋です。
詰まってフクラ枯れ気味な格好の良い切っ先。 末備前の様な広直刃調の刃を焼いています。
茎が短く、頃合に気持ちの良い肉が付き吉次と鮮明な銘が残っています。
手触りや握った感触の良い茎と言うのは本当に良いものです。
さて、昨晩は研磨をさせて頂いた短刀の写真を撮影。
研磨記録UPのお許しを頂く事が出来ましたので、準備が整いましたら研磨記録にUPさせて頂きたいと思います。

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丁子刃に対応出来ず

複雑な丁子刃に対応出来る刃艶が無くなってしまったため、急遽刃艶を作る。
内曇砥のこっぱをタガネで割って行きます。
内曇は層に成った砥石なので、砥石の目に添ってタガネを入れれば有る程度の薄さまで割ることが出来ます。
しかし私は無層の内曇で作った刃艶が好きで、そのコッパが有ればそれを使います。
無層と言うか何なんでしょう、筋だらけで普通は使わない所です。
筋が縦横無尽に走っていて、層が複雑で、薄く割る事は不可能な石です。
それでも何とか割りますが、やはり薄くは割れませんので、時には数センチの厚さの物をゴシゴシと2ミリ程度まで砥石で摩り下ろします。

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画像手前はとても綺麗な層を成し、割り易く大変目の詰んだ内曇で、ナルメ用です。
奥は厄介な無層の石で、全く綺麗に割れてくれません。

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一時間半磨ってこれだけしか出来ませんでした。 
泣けます。
厚い状態にしか割れませんし、硬い筋が多くてなかなか下りてくれません。
普通の砥質ならばこんな筋だらけの刃艶など価値無しと見做され捨てられますが、私にとっては全く違う価値で、10キロの普通のコッパよりも、この筋だらけの刃艶10枚を選びます。
(黄色や焦げ茶色の筋は硬くてヒケだらけになりますので避けて使います。黒や白の筋はOKです)
HP中の「仕上げ工程」に有る濤乱刃風の刃取りはこの手の刃艶を使用しており、刀身両面全ての刃取りに刃艶3枚程度しか使用していません。(割って張ったままの大きな刃艶三枚ではなく、使用の為丸く切った刃艶三枚程度です)
この刃艶はそれほど絶大な力の有る艶です。
同じ手であった場合、質の劣る刃艶を使い一週間かけて頑張って刃取りをした物と、質の良い艶で3日で仕上がった刃取りを比べると、後者の方が良い仕上がりである、と言うのが刃取りです。
それほど刃艶の質が重要なのですが、残念ながら良質な刃艶を確保する事は困難な状況に有ります。
困難ながらもなんとか確保すべく努力しています。



無題

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研磨前の御刀で、時間の余裕も有りませんがどうしても全身押形がとりたいと思いここまで進めましたがダメです。
この押形は廃棄。 
自分の不甲斐無さに今日は落ち込みます。



文部科学省

文部科学省のHPに「文部科学省動画チャンネル・MEXTch」と言うのが有るのですが、そこで「長船刀剣の里」はじめ備前国でご活躍されている刀職の方々をごく簡単にですが紹介しています。(刀匠、研師、白金師、鞘師、塗師、柄巻師、装剣金工)


他の動画は文科省HPよりごらん下さい。



次回は

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次回の研磨記録はこの御刀をUPさせて頂く予定です。(まだしばらく先になります)
PCが遅くてまいります。 全身押形は重すぎで辛い。
過去の刀身や押形画像をとことん削除してようやく繋ぐ事が出来ました。
もっとPCに詳しければ色々対処方が有るのでしょうが・・。
もう少しPCがサクサク動いてくれるようになれば、今後は今までの刀身画像とはまた違った雰囲気の画像をUPして行く予定です。