ちょっと久々に

今晩は押形を描きました。
ちょっと久々です。
複雑な刃文だぁ。
刀身は内曇りの途中です。
研ぎ上がってからですと、僅かな事でも擦れ傷などが付いてしまう可能性もありますので研磨にお預かりしている御刀は全て研磨途中か研磨前に押形をとります。(研ぎ上がった御刀でも、慎重に行えば押形をとっても問題は有りませんが念のためにと言う事です)
それと、研ぎ上がりの御刀は表面がツルツル滑って輪郭をとる作業がやり難くて仕方ないのですが、白研ぎ状態だと滑らないので作業はかなりスムースに進みます。
押形は明晩完成予定です。

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拭い作り

先日、高見國一刀匠に鉄肌を頂きましたので、早速拭いを作っています。

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沢山頂きました。これだけ有れば孫の代まで有るでしょう(^^)
鉄肌とは、刀を鍛える時に飛び散る火花を集めた物とお考え頂いたらよいと思います。
まずは陶製乳鉢で叩いて潰し、ガリガリと擂って行きます。(もっと荒い時は鉄乳鉢でガンガン叩いて潰します)

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かなり細かく擂れたら、より細かく擂るため乳鉢を変えさらに擂り続けます・・・。
とりあえず大分細かくなって来ました。
10年ほど目指して来た理想の物になったかも(*^ー^)ノ!?
本当はあまり良いとはされない状態の仕上がりなのですが、私はずっと目指してた出来でして、とりあえず見た目では、初めて目指す物になった感じです。
しばらく擂って後日試しましょう。

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まだ鉄肌100%ですが、必要を感じれば他の物も調合します。



研磨の勉強に

昨日は研磨の勉強のため、兵庫県の高見國一刀匠の仕事場に伺いました。
京都駅から智頭急行スーパーはくとに乗って。

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ガラガラですので先頭の一番前の席に。 ん~息子も乗せてあげたい。
さてさて約二時間で上郡駅到着。
駅まで高見刀匠が迎えに来て下さいました。
山間ののどかの雰囲気の中に広い仕事場があります。
仕上げ場にお邪魔しました。

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うちの3倍は有る仕上げ場です。 
こう言う雰囲気が理想で憧れます。
こんな所に一日中こもって仕事がしたいです。
(画像が悪く、良い雰囲気は全く伝わらないと思います。残念)
多数の御刀を拝見し、さまざまなお話をお聞かせ頂きました。
やらないといけない事が沢山出てきました。
今日から始めます。

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鑑刀中の高見刀匠。



京都支部入札鑑定

平成21年7月19日  京都支部入札鑑定
一号  刀
 少し詰みぎみの肌ですが、全体的にかなり白く肌立つ。 研ぎの影響でもありそうです。
複雑に乱れ、物打ち付近は肥前刀の様な匂い口。 アブの目状にもなる。
帽子崩れ尖る。
なんにも思い浮かばないので後で考えよう。
二号  刀
 細め。 大磨り上げ無銘か。
好みは分かれる所だと思いますが、大変晴れた研ぎで見事。 
直刃。 小沸出来で刃中もよく働き沸える。
表大丸、裏尖りぎみ。
刃寄り柾。 裏には木目や板目がはっきりと出る部分が有るが嫌らしさは全くなし。
地刃ともに冴える。
相州行光と入札。
三号  刀
 反り深め。 腰が開くもあまり間を空けない互の目を全体に焼く。 焼頭沸える。
こちらも晴れた研ぎで刃取りが大変丁寧。 かなりの時間が掛かって居る事でしょう。
重ねが厚い。 棒樋に添樋。
少し互の目を多く焼き過ぎとは思いつつ、応永信国と入札。
四号 短刀
 両刃。 長めで9寸ほどか。  先に行きあまり見幅を落とさずフクラもゴロンとする。
大分先の方でカクンと反る。
姿は新々にも見えるが地刃は古い。 白鞘の柄がかなり短い。
ん~~、どこでしょうか。 渋い所を色々と思い浮かべます・・・。
 個名が分らないので大きく雲林院(うじい)と入札。
五号  脇差
 平造り。 
 横山祐包と入札。
一号は分らないので土佐守忠吉と入札。
 
 時代違いイヤ
 イヤ
 イヤ
 イヤ
 当り
 
 おお。 辛い。
さてさて皆さん大きな声でお話されていたので一号は末相州だと聞こえてしまいました(^-^;
一号 末相州次廣と入札。
二号 やはりこれですか・・・。 古三原正家と入札。 それにしても良い出来です。
三号 長船祐定(末)と入札。
四号 冬廣と入札。
 然
 然
 当り
 当り
 当り
一号  太刀 相州住康国
二号  太刀 備州住正廣作(重要美術品)
三号  刀  備前国長船住彦兵衛尉祐定作
         天正九年二月吉日
四号  短刀 備中国井原住人源□□
         若州住人冬廣作
         所持銘
五号  脇差 備前国長船住横山祐春
         嘉永四年二月吉日
         友成五十六代孫



京都新聞をみると

今朝京都新聞をみたら、「宵々々山」の記事が。
と言う事は、今日は祇園祭「宵々山」と言う事です。
毎日必死に下地(研ぎ)をしていたら知らぬ間にもうそんな時期でしたか。
てな事で今日の夕飯は息子を連れて祇園祭の夜店に行って来ました。(嫁さんと娘はお留守番)
三条京阪から三条大橋を渡り、河原町方向へ。
そうです途中には池田屋が有ります。

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今日は宵々山ですので池田屋騒動が有った日です。(暦の違いなどで日にちは違います)
まだ明るかったのでお客の入りはこれからでしょう。
ちょっと寄って生の一杯でもと思いましたが今日は息子が一緒ですのでまた今度。
河原町三条をず~っと下がって四条通りへ。
今日は歩行者天国です(^^)

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(四条通り東方向)
大分歩いて息子も少し疲れて来ています。 多分もうすぐ「もう帰ろう」と言い出す頃・・・。
「長刀鉾が見えてきた!」っと言ってなんとか元気付けます。

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(遠くに長刀鉾が見えます)
ようやく長刀鉾に到着!

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先に長刀が付いています。
元は三条宗近の大長刀だったと言う事ですが、今はレプリカだそうです。

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こんな感じ(^^) ボケて見えませんが・・・。

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あぁ、もう帰ろうと言い出す直前ですな・・。
クライマックスの山鉾巡行では、この長刀鉾に乗ったお稚児さんが太刀で注連縄を切ります。
その太刀は長い間”軍刀”が使用されていたようですが、2007年に”左行秀”の刀が寄贈され、それが使用されて居るようです。  現物を見た事は有りませんが、無鍛錬刀だとちょっと寂しいですので良かったですね。

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だんだん人が増えて来て祇園祭らしくなって来ました。
やっと焼そばを食べて元気になって来ました。

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私も食べてたら息子に写真を撮られました(^-^; (烏丸蛸薬師辺の路上)

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凄い人で大変になって来ました・・・。

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カッコいい刀を買ってご機嫌。
さてさて帰るとしますか。
明日からは鞘が上がった短刀の仕上げに入ります。
かなり気合を入れて行きましょう。

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次回研磨記録には

次回の研磨記録には短刀をUP致します。

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細身の短刀です。
直刃ですが、返りを激しい調子で腰まで焼き下げています。
この派の短刀は多分少ないのでは無いでしょうか。
そう多く有る物では無いと思います。



池田屋騒動の・・・

先日来の研磨はようやくまとまって参りました。
頑張りました!
すごく頑張ったので円広志さん!私を「となりの人間国宝さん」に認定して下さい(^^)
・・・すみません関西ローカルなお話で。
ところで、「三条木屋町西入ル(三条通三条小橋西入ル)」と言えば、興味の有る方はすぐにピンと来るかも知れませんが、”池田屋”です。
ご存知池田屋騒動の池田屋が有った場所ですが、近年まではパチンコ屋さんでした。 
その後お店は閉店。 京都の一大名所としてはかなり寂しい”パチンコ屋さん跡地”と化しておりました。
しかし!先日その池田屋跡地に「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」として、居酒屋さんがオープンしたそうです!(ニュースで見ました)
池田屋跡地前(京都の繁華街の中です)を歩く度に、「なんだこの状態は・・・京都市何やってんねん!」と思っていましたが、色々と複雑な事情があるのだろうとも思っていました。
居酒屋さんと言う事ですし、気軽に行けそうで楽しみです(*^ー^)ノ
新撰組に特別な知識も思いいれも有るわけではありませんが、にわかファンとして一度は行ってみたいお店です。
予約でいっぱいらしいですが・・・。



くもりなど

内曇や地艶などの工程を行っています。
しかし今回はなかなか抜け出せないヒケの迷路に入り込んでしまったようです・・・。
曇りや艶の工程でヒケに困るなんて事は、研磨初心者の人だけの話だとお思いでしょうが、ずっとやっててもたまにはこう言う事になってしまう時もあるんです(>_<) それにしても今回はなかなか抜け出せません・・・。 ヒケ地獄に入ってからの純研磨時間は20時間以上になりますが、いつもの感じとは全然違うタイプの鉄質である事にようやく気が付きました。 艶を変えたり工程を後戻りしたり、また進み、また戻り・・・と色々な原因を潰して来ましたが艶の上がりと拭いの入り具合が特殊です。 さて、明日は仕切りなおして進めましょう!  こう言う時は完全な気持ちの切り替えが必要です。  今までのロスの事は完全に忘れなければダメです。 ロスを取り戻しに行くとダメですね(^^) 終わった事は捨てます。



クモなど

日日研磨を進めております。  
HPの更新もしたいのですが、色んな物がそれまで届きません・・。
今日は地鉄も刃文も難しく思う様に進まない。ほんの少しだけ滅入ります。
こんな時は御刀鑑賞。
名刀から力をもらいます。 ・・・
ん~、なんだか少し違います・・。
そんな感じではなくて、「気持ちを少し静めます」が正しいですね。
と言う事で、村正、南紀、武蔵大掾(特別な銘)、雲次をじっくりと鑑賞。
備前國に、長船派とは別系で宇甘(うかん)派として、銘に「雲」の字を切る刀工がいます。
雲の字を切るので雲類(うんるい)とも呼ばれています。(刀関係の人達は”クモ”ともよびます)
雲生、雲次、雲重、守次などの刀工が居ます。(と、ここまで書いて、他に誰が居るのかと思い調べようとしましたがなかなか見つからず・・。時間が掛かりそうなのでやめます。)
時代は鎌倉末期から南北朝で作風は、備前刀でありながら、山城風や少し大和掛かる物も有るようです。
山城風と言うのは、輪反りであったり帽子がフクラにそって行き先が丸く返るところ。
そして匂い口の締まった刃で、逆足が入るなど青江風でも有る。
また、映りが極めて鮮明に出る物も多いようです。
今し方拝見した雲次(無銘)も、匂い口締まり気味です。
本来は映りがかなり鮮明に出ている御刀なのでしょうが、刀身表面をダイヤモンドペーストか何かでかなり磨かれてしまい、黒くテカテカ状態になり、映りもかなり沈んで居るようです。 
 さぁ。 明日は新たな気持ちで研磨に入ります。