平成26年10月 京都刀剣入札鑑定会

一号 刀

太刀の磨上定寸ほどか。
表尋常な切っ先。 裏は少し上で切っているため小切っ先風に見える。コンマ数ミリだが刃三つ角を外すと雰囲気がかなり変わる。
細かく乱れる。
横手下から帽子は元来の匂い口、それ以下は総体に潤む。
映り鮮明。映りのほぼ全てが焼き頭に接着。焼き頭より棟方向へ垂直に立ち上がるイメージ。よって、暗帯部は帯状ではなく魚体に現れるパーマーク状となる。
暗帯部と映りでは映りの方が明らかに硬く、映りが高い状態にはっきりと段差が出来る。
薩摩刀ほど大粒で黒い地錵が映り部と暗帯部にも均一に、平地全面に付く。
地錵は映りより更に硬く刀身表面で一番高い層となる。

こういう状態は珍しいと思うが以前拝見した事がある刀で、片山の極めが付いていた。
片山一文字と入札。

 

二号 刀

備前。中期を少し下がる姿かと思う。室町の。
直刃。映る。もやもやと大肌が映るタイプ。自然。
反り、身幅、切っ先、地鉄、すべて忘れて刃だけを見ると少し来風。
もしかして昔出た事があるか?しかし全く思い出す事は無い。

長船勝光と入札。

 

三号 刀

延びる切っ先。フクラ先張るも元来では無い。
新刀風。
綺麗な地鉄。
古刀風。
よくわからず。
長義の形の刃が混じる。
兼長の極めだったりする?

兼長と入札。

 

四号 短刀

反る。複雑な互の目でずずっと焼き下げる。
かなり刃を立てた差込で元来の匂い口の雰囲気がつかみ難いが、本来は今ほどカリカリしていないはず。
末備前と廣賀で少し迷う。備前にしては反り過ぎだが廣賀はいま少し先で細いイメージがある。

源兵衛尉祐定と入札。

 

五号 短刀

細身。重ね厚。細目の直刃。

土佐吉光と入札。

 



国入
イヤ
イヤ

二号は同然に終わりました。
三号は時代が全然違うそう。
四号は二択負け。(本当はそうでは無く、第一に入れるべきであった)
五号は絶対の自信だったので驚いた。

 

三号 祐定と入札。
四号 廣賀と入札。
五号 末の包次と入札。





通り

五号、大和末手掻で通りと来てしまいました。
加賀四郎? 20年弱前でしょうか、加賀四朗コレクターが居られ、数振り拝見したかと思いますがそれ以来見て居ません。
山城?
判者さんが山城の鞍馬関をお持ちである事は知っています。確か過去に三、四振り鑑定に出ており、この短刀は無かったはず。 もう鞍馬は無いと思う。
後代の信国、吉則、吉房、長吉、この辺しか思い浮かばず。

三条吉則と入札。





一号 刀  片山一文字
二号 刀  備前国住長船与三左衛門尉祐定作 天文十年八月日 為銘有り
三号 刀  備前国住長船彦左衛門尉祐定作 天正三年八月吉日
四号 短刀 見田五郎長銘廣賀 永禄五年八月日
五号 短刀 吉次(鞍馬関)

鞍馬関ですか・・。
土佐で完全な札だと思ったのですが。
鞍馬関は思いのほか隆盛したのでしょうか。 しかし長い物は見た事が無い。

IMG_1988



埋忠明寿の刀を見てきた

重要文化財、埋忠明寿の刀(太刀銘)、佩表 山城國西陣住人埋忠明壽(花押) 佩裏 慶長三年八月日 他江不可渡之(他へ之を渡すべからず)  刃長 二尺一寸三分半。
先日まで開催されていた刀匠河内國平展は複数回足を運びました。この展示は壁掛けのアクリルケースに遠距離からLEDを当てる方式のため、眼球から10センチ程度の距離で刀身が見られます。 そのすぐ後なので一般的な展示は距離が辛い。
刀好き以外にはそれが普通でしょうが、見たい人には一般的な展示は辛い時代に来ています。どうしても比較したくなるものですし。 照明設備や需要等の関係で簡単では無い問題ですが。

さて明寿。 慶長新刀は素敵です。
太刀でしょうか刀でしょうか。明寿の刀に出会う事は有りませんので意識した事がありませんでした。
太刀銘ですが、慶長新刀ですし一応刀としておきます。日本刀大鑑では「刀」としていますが多数の書籍及び今日見た展示では「太刀」です。
佩表が不動明王と梵字、ダブルカーン。裏は龍。彫りを見られる人が見ればどちらが表か分かるのかも知れません。

展示は太刀置き。かっこいいです。
慶長新刀の見本的な姿。
刀を習う時、「慶長新刀は南北朝の磨上姿」と習うわけですが、あまりそれにとらわれない方がよいと思います。
姿とは切っ先のフクラ、茎の刃方の線、棟の線、肉置き、踏ん張り、茎の全ての線等そして焼き刃バランスと、大変微妙な事で決まる物なので。 慶長新刀は慶長新刀の姿として完成されています。(製作時に南北の磨上刀に対する意識は有ったのかも知れませんが)
単に分類や鑑定の方法として「慶長=南北磨上姿」と言い切るには違和感を感じます。 そんな程度の考えでは慶長新刀の姿は出せませんから。
例えば刀工が造り込んだ姿(焼きも含め)、これを研ぎ崩すのは一見簡単です。しかし、ちゃんと見られる目で見れば、殆どの場合、元の状態がわかります。即ち、最初の造り込みを完全に崩し切る事は難しいのです。 と言う事は良い姿、焼き刃バランスを保っている刀は、焼き入れ、姿直しを終えた段階から名刀なのです。
名刀とは優れた刀工が生み出す物。 当り前ですが案外本当に分かって居る人は少ないのかも知れません。

 



関西で刀剣の展示が色々と

13日まで行われた「とらやギャラリー」さんでの「刀匠河内國平展」は過去の入場者記録を更新する盛況ぶりであったそうです。
15日から京都国立博物館で開催される企画、
「秀吉の愛した天下三作-吉光・正宗・義弘-」(「京へのいざない」第2期展示)2014年10月15日 ~ 2014年11月16日
こちらも相当な入場者数となるでしょう。
京博の駐車場は超狭いのでそれを考慮して行かないと何十分も駐車場待ちになってしまいます。
またその後は同じく京都国立博物館にて「永藤一コレクション」が開催され、こちらも非常に楽しみです。
この永藤一コレクション、京博HPの解説に「昭和の刀剣界を代表する名コレクターとして、関西では永藤一氏の名前を第一に挙げないわけにはいきません。永氏は医学博士として製薬会社で活躍し、業界で「永の名前を知らないのはモグリ」とまでいわれた敏腕であると同時に、稀代の愛刀家でもありました。同氏コレクションの全作品を一挙に公開する初の展示となります。」と紹介されています。
これは非常に楽しみです。しかし私、恥ずかしながら永藤一と言う方を詳しく知りません。
確か往昔抄の原本がこの方の持ち物だったと思い解説を見てみるとやはりそう言う事で、薫山さんが「私の親友」と書いています。
昔の刀美を見ると、昭和29年の記事に「永冠峰」の名で「埋忠に就いての一考察」の記事がありますが、この方でしょうか?っちょっとわかりませんが、その辺も含め展示が楽しみです。
また、10月11日(土)~11月29日(土)の会期で烏丸北大路の大谷大学博物館にて2014年度特別展「戦国武将と神仏」が開催されています。
こちらは上記の昭和29年刀美、永冠峰氏の記事「埋忠に就いての一考察」にもある重要文化財、慶長三年紀の埋忠明寿の太刀が展示されているそうです。 これもすぐ近くですので行ってみます。
そして、11月1日からは大阪歴史博物館にて「お守り刀展覧会」が開催されますし、生國魂神社の現代刀匠展など、関西での刀関連イベントはまだまだ続きます!



無題

先日深夜、薬指の爪の上を切ってしまい血が止まらず。
上手く行かない等の焦りが有るとろくな事はない。
居合等で切る傷とは違い研ぎでの傷は長くも深くも無いので押えている間は止まっているわけで、親指でグッと押えた状態でセロハンテープで縛って寝る。
翌朝アロンアルファで固める。

大原
少し時間があり、三千院へ。
遊歩道沿いに綺麗な茗荷が沢山出ていたが誰も採った形跡は無い。
美しいものとして捉える場なので当然だが、もしもうちの親と行ったらその自信が無い。
ビニール一杯に詰めて持って行けと渡されるかも知れない。
ま、そうなったらもう仕方無いので娘のリュックに入れて持ち帰り、味噌付けてぱりっといくと思うが。

東博
45分間だけ東京国立博物館に行く。 東博初めて。
正宗を見たかったのだが見つけられず。インフォお姉さんに刀の展示について尋ねたが刀の展示はここだけ(本館)だと言われたので諦める。
そもそも短時間で行こうと言う私の考えが失礼だと思った。
もう涼しいのに上野公園で蚊に3箇所刺された。 ニュースも忘れてるのでウイルスも発症を忘れてるでしょう。

「刀匠・河内國平展」に行く。
初日は時間がなく少ししか居られなかったので後日改めて1時間拝見出来た。
「刀は”紙”で買うものではない」と考える方は是非行って頂きたいと思う。

出先にて色々拝見。
超名刀から普通また珍刀まで。
7年前に出先で見た大磨上無銘の普通刀があった。
30秒ほどしか見ていないと思うが、その時に何か感じていれば覚えている事もある。
5分みても三日で思い出せない事もある。

研ぎ場にて鐔多数拝見。
鏡師、古刀匠、古金工、太刀金具師など。
好きな品多数。楽し過ぎ。

研ぎ場にて20年前に窓開けをした無銘刀に出会う。
未だ錆び身。
細直刃、硬い刀であった。
今見ると南北は有ると思うが、当時の硬さの記憶も間違いとは思えない。

以前インフルエンザの時思い付いた軟らかい拭いが差し込みに頗る良い事が分かった。
あとは色々な順番を確立すべし。

公衆トイレで薬指の爪の上のアロンアルファが取れた。
いつもならべロッとなった肉は接着再生する事は無く必ず取れるのだが、初めてくっついた!
どうせ取れるのだからと洗ってないし、洗うと化膿するのでいつも洗わないが、砥石の粉とか入っていないのか?!