御刀拝見

研ぎ場にて近年発見の複数の御刀を拝見。
いずれも一軒の旧家から。
このレベルがまとめて出る事は大分少なくなったと思う。
手持ちずっしりと重く、非常に健全な在銘年紀入りの古刀が有った。
この刀工で市場に流通している品ではなく新発見でこのレベルを見たのは初めてかも知れない。大変驚いた。
本家の蔵はまだ開いていないのだとか。。

大都会に住む方が、「未だに新発見の刀だという事で新規登録がどんどん増えているのはおかしい、そんな事ある訳が無い」という様なお話しをされている場面に度々でくわすが、その認識は間違っている。
研ぎ場にて大磨上げ無銘の直江志津を拝見。
大磨上げ無銘の直江志津、実は本当に久々に拝見したと思う。
例えば重刀指定でも150振り程度は十分あるのではないかと思うし、昔の私の環境下では無銘の直江志津極めの刀に出会う機会は度々あり、研磨コンクールにも直江志津を出品させて頂いた事があったと思う。
無銘の直江志津はもしかしたら18年ほど手に取って居なかったかも知れない。まぁ記憶も曖昧なのでなんとも言えないが。
無銘の直江志津、一気に好きになってしまった。
美濃刀ファンは直江をみれば必ず虜になると思う。無銘が嫌いな人はダメだけれど。



菊一文字と虎徹を

研磨記録、研磨外の部に菊一文字と長曽祢興里真鍛作の全身押形を追加しました。



御刀拝見

出先にて無銘雲次拝見。研ぎで少し肌を荒くしてしまっているが、もう少し湿潤な肌に仕上げれば、今は淡く見え辛い映りももう少し鮮明になると思う。
無銘なので当然他の極めも考えられ、例えば畠田真守なども思い浮かぶが、帽子の素直さを重要視すれば雲次の極めになるのだと思う。
それにしても、刃中非常によく働いて、度々見る寂し過ぎる雲次極めの刀とはかなりの違いがあった。

出先にて山城慶長新刀を拝見。寸延び。
慶長新刀は、なんでしょか。あの魅力。慶長新刀を拝見する度に、「慶長新刀」の分類がある事に安心する。良いと感じる感覚は間違っていないのだねと。
この10年で新作刀を少なくとも150~180振り程度は研磨させて頂いたと思うが、その度に姿の大切さ、難しさをつくづく実感し、そして慶長新刀の姿の良さを感じる。(新作刀の姿が悪いと言っているのではない。むしろ現代刀匠の姿に対する敏感さに自分を反省し勉強させて頂く事は非常に多い)
山城慶長は国広、明壽、三品系初代などなど・・・。凄いセンスの刀工ばかり。
どこからあの姿が生まれたのだろう。。以前も書いた気がするが、単に”南北朝の磨上げ姿”では説明がつかん。
”他江不可渡之(太刀)”は何度か手に取って拝見したが恐ろしく洗練された姿で、長い物を一振りしか作った事の無い人間が作れる刀では無かった。
慶長平身。かっこ良さはフクラの張りや枯れ、刀身の反り、茎の振りや刃方のライン、茎の長さ、焼き刃バランスなどなど、様々な組み合わせを絶妙にこなしている物が多いと思う。単に”古いから”、”位列が高いから”の評価ではなく、実際非常に上手い。
ただ、私は数値できっちりと把握するタイプではなく感覚でしか見ないタイプの研師なので、数値の事や目釘穴位置に関する見解などを刀匠さんや鞘師さんに聞いてみよう。